前置きが長くなったが、世界価値観調査(WVS)の「地獄」に関する調査項目から、特に世界の中での日本の位置について解説したい。
この調査項目は、
との質問に対して、「hell(地獄)」という選択肢に「Yes」と答えた人の割合を、上位からランキングしたものである。
回答データがあるのは世界54か国・地域。いつものようにこれを「信じる」と答えた人の割合で上位から並べたのが、次の横棒グラフである。
調査結果全体の割合(国名がブランクのグラフ)を見ると、「信じる」人が圧倒的に多かった「神」の場合と違って、「地獄」に関しては「信じている」人の割合は6割(58.5%)と、さほどでもない。「信じない」が4割弱(35.6%)、「わからない」が約5%(4.9%)である。
単純に考えて、価値の「よい・明るい・上の」極にある「神」を信じたい人が多いのは当然だし、一方価値的に「悪い・暗い・下の」極である「地獄」を人々が信じたくないことは容易に理解できる。
この項目もまた、WVSが世界の人々の心をよく反映していることを示す一例だと思われる。
ここでの問題関心は、特にわが国における伝統的コスモロジー崩壊の状況確認にあるので、まず日本の位置を見、その上で全体を概観していこう。
「地獄」の存在を信じる人の割合を順位で見ると、日本の位置は世界で下から6番目となっている。最下位から3番目であった「神」より相対的には多いようだが、数字では「神」の場合それでも4割超だったのと比較して、わずか2割(19.4%)となっている。
だがそれにしても、現代日本で、地獄の存在を信じている人がおよそ2割にも上るのである。日常で出会う人々のほぼすべてが、筆者同様に神も地獄の信じていないようであるだけに、世界比較で最下位に近いレベルとはいえ、10人に2人は「地獄」を信じているというその割合は、むしろ意外なほど多いとの印象を受ける。
内心で本当に思っていることは、日常会話ではおくびにも出さないということなのだろうか。宗教的、つまりは人生の本質的な話題が「恥ずかしいこと」として徹底して避けられ、「お笑い」レベルで表面上人間関係をやり過ごすのが私たちの内的・間主観的な一般状況なのだとすれば、この調査結果はかかる抑圧傾向をも表わしていると見られる。
戻れば、「信じる」の最下位がオランダでわずか12.3%、下から2番目が中国14.0%、同3番目がスウェーデン14.4%だが、これらはほとんど差がなく、同列で最下位と言ってもよいほどだ。
そして日本に続き下から4番目のエストニア(18.4%)、同5番目のドイツ(18.9%)もまた、いずれも日本と同じような割合でほとんど差がなく、これら3国もまとめて同列にあると言ってもよい状態である。
つまり大まかに言って、「地獄を信じていない」人々の割合は、国・地域別でわが国は最下位から2番手集団にあり、最下位集団がスウェーデンやオランダ、そして中国である。これは「神」の場合とおおむね同じ傾向である。
「地獄」を信じる人に関しても、上位をいわゆる「発展途上国」が占めるのは「神」その他の調査項目と同じ傾向だが、しかし「神」の場合ほどその傾向ははっきりしていない。
特に米国の調査結果は、いわゆる「先進国」中で、順位で言えば「神」の場合以上に突出しており、世界全体の平均を大きく超え、上位から20位、「信じる」が7割(70.2%)となっている(もっとも割合で言えば、「神」の場合の「信じる」9割弱と比べれば少ない)。
私たち日本人がいわゆる黒船来航そして敗戦以降、近代化の範としてずっと仰いできた米国人とは、その7割が2010年代(米国の調査は2011年集計のもの)にもなって7割の人が「地獄」を信じ、9割方が「神」を信じている人々なのである。
米国人を個人的によく知っている人には当然思い当たるの結果なのかもしれないが、メディアを通じたイメージしかもっていない筆者のような人間には、この結果は極めて意外に感じられる。
移民の多い米国とはいえ、遡って1945年前後の時代に、その割合がこれより少なかったとは考え難い。
これまで述べてきたように、先の大戦後、米国が占領下の日本人の思想改造、言い換えれば旧来のコスモロジーの抹消を図ったことは、数々の証拠はさておき、状況を考えただけでも疑いない(これについても前掲『コスモロジーの心理学』参照)。
先に述べておけば、その「洗脳」の結果こそが、ここで紹介している日本の価値観の世界的に見た特殊性の主たる原因であることを明らかにするのが、この連載の目的でもある。
その観点からすればきわめて興味深いことに、日本の脱宗教化を企図し実行した米国人の意識の核心にあったものが、必ずしも近代合理主義ではなかったことを、これらの調査結果は示している可能性がある。
いずれにせよ、戦後の米国史を考えるうえで、これらは極めて示唆深い調査結果だと思われる。
さらに米国の上下にもシンガポール(「信じる」が8割に迫る77.9%)や台湾(同67.6%)のような高度に近代化された国・地域が存在する。伝統的コスモロジーの崩壊とは、必ずしも社会の近代化の進行とパラレルに起こるものではないことを示すケースであろう。
また、前回タイで「神」を信じる人がきわめて少ない(下から2番目、約3割)ことについて、敬虔な仏教国において質問文の「神」と被調査者の人々の心の中の「仏」が一致しなかった可能性があることに触れたが、実際、この「地獄」に関する質問では「信じる」が77.1%で第18位となっていることは、それを裏付けているように見える。
さて、日本の傾向について戻れば、一方ではっきりと「信じない」と答えた人は4割(40.4%)程度で、順位で言えば世界で22位にある。これは世界的には中位レベルにあって、全体平均に近い。高度に近代工業化された国としては、むしろ「地獄」を否定する人はかなり少ない。
再三のようになるが、日本で最も特徴的なのは「わからない」(Don’t know)との答えが突出して多いことである。特にこの「地獄」に関しては、その割合は4割(40.2%)にも及んでいる。2位がロシアでも2割弱(19.6%)だから、断トツで世界トップである。
この特殊性は、これまで書いてきたように、私たちの祖父母たち・先祖たちの姿を考えれば、従来の日本人論で言われてきたような「日本人の価値観のあいまいさ」などでは説明がつかない。
このことが示すのは、おそらく上記の日本の戦後史の特殊性によって惹き起こされた価値観の空白状態であり、それは「あいまいさ」などとのんきに構えてはいられない深刻な問題を孕んでいる可能性が高い。そのことはまた後ほど述べていきたい。
この「わからない」との答えはまた、「神」の場合以上に旧共産圏であるロシア、アルメニア、ルーマニア、エストニア、そして政治的にはいまだに共産主義をとる中国でも多い(20%~10%程度)。共産主義・唯物論の影響でも「地獄」を否定しきれていないのは、現実が地獄に近いからなのかとも想像するが、筆者には何とも言えない。
日本で顕著な「わからない」に関して、文化的・言語的に近い韓国と比較したいところだが、前回の「神」と同じくここでも「わからない」がゼロ%(0.00%)となっている。これについては韓国における調査方法の問題があるのだと推測され、前回の「神」に関する記述は訂正する必要があるようだ。
ところで、日本との比較で注目したいのは、やはり隣の超大国・中国、そして北欧の超優等生・スウェーデンであろう。「地獄」に関して見ても、伝統的コスモロジーに代わる無神論的コスモロジーの内面化の進行に関し、両国は世界トップを争っているように見受けられる。
中国では「地獄」を「信じる人」は14.0%で「神」の場合とほぼ同じ割合となっており、この国の無神論的コスモロジーの浸潤ぶりを示している。
しかし同じ中国人でも、台湾では「地獄」を信じる人は上述のとおり約7割(世界21位)、香港で約5割(世界35位)と、この項目でも伝統的コスモロジーの崩壊が社会の近代化と同等かそれ以上に、政治的な要因によって左右されることが、はっきりと示されている。
また「地獄」を「信じる」が4割を超える韓国(43.1%)と比較してみても、同じ東アジア地域で人々の意識に大きな差が生じていることが確認できる。すなわち、中国における強度の無神論傾向とは、「儒教文化圏」(WVSを総括したイングルハート―ウェルゼル図での分類)のような伝統的要因に単純に帰すことができないものである。
さて、筆者の目に触れた限りでは、WVSに関する日本の言説では、この「神」や「地獄」に関する調査項目はまったく紹介されていない。「世界価値観調査」について検索してみればそのことはすぐ見て取れる。この項目が、日本人の価値観の特殊性に関し国際比較の観点から重要な結果を示しているにもかかわらず、である。これはどういうことなのだろうか。
それはおそらく、価値観調査の結果を読み解く側が「神」も「地獄」も幻想にすぎないという価値観を心底信じているからであろう。そういうわけで、「女性の社会進出への意識」やら「外国人との共生への許容度」等、現代産業社会が要請する価値観にぴったりと当てはまる調査項目のみが注目されるわけだ(先述の「二次的な価値観」)。
言ってしまえば、「価値観」をあたかも細胞や都市構造のような研究対象にして、学会という名の業界内で地位を保っている学者のセンセイたちもまた、一つの特殊な価値観の世界の住人であることから少しも逃れられていない、ということにすぎないのだろう。
これは単なる皮肉ではなく、価値観調査の読み方そのものが、調査結果が明らかにした日本人の価値観の特殊性を表わしている可能性があるということである。
しかしそれにしても、自身の価値観を相対化せず、自集団の価値観の本質を見極めようとせずして、いったい何のための価値観調査なのだろう。
ともあれ、特にこの「神」と「地獄」に関する二つの調査項目は、世界全体の伝統的(宗教的)コスモロジーの崩壊の傾向と、日本がその崩壊の進行度、さらにそれにとどまらない日本の世界的な特殊性を、数値的にはっきり示していると思われる。
以降、これを軸に、さらにそのことを裏付けている項目をピックアップして紹介していきたい。
イスラム教世界の地獄 15世紀トルコの書物所収の「地獄を訪れるムハンマド」の図(Wikimedia commonsより)。ここでもやはり地下の暗黒の世界、火と責め苦が描かれていて、洋の東西を問わない共通性が見て取れる。
この調査項目は、
In which of the following things do you believe, if you believe in any?
(あなたは次にあげるものの存在を信じますか)
(あなたは次にあげるものの存在を信じますか)
との質問に対して、「hell(地獄)」という選択肢に「Yes」と答えた人の割合を、上位からランキングしたものである。
回答データがあるのは世界54か国・地域。いつものようにこれを「信じる」と答えた人の割合で上位から並べたのが、次の横棒グラフである。
調査結果全体の割合(国名がブランクのグラフ)を見ると、「信じる」人が圧倒的に多かった「神」の場合と違って、「地獄」に関しては「信じている」人の割合は6割(58.5%)と、さほどでもない。「信じない」が4割弱(35.6%)、「わからない」が約5%(4.9%)である。
単純に考えて、価値の「よい・明るい・上の」極にある「神」を信じたい人が多いのは当然だし、一方価値的に「悪い・暗い・下の」極である「地獄」を人々が信じたくないことは容易に理解できる。
この項目もまた、WVSが世界の人々の心をよく反映していることを示す一例だと思われる。
ここでの問題関心は、特にわが国における伝統的コスモロジー崩壊の状況確認にあるので、まず日本の位置を見、その上で全体を概観していこう。
「地獄」の存在を信じる人の割合を順位で見ると、日本の位置は世界で下から6番目となっている。最下位から3番目であった「神」より相対的には多いようだが、数字では「神」の場合それでも4割超だったのと比較して、わずか2割(19.4%)となっている。
だがそれにしても、現代日本で、地獄の存在を信じている人がおよそ2割にも上るのである。日常で出会う人々のほぼすべてが、筆者同様に神も地獄の信じていないようであるだけに、世界比較で最下位に近いレベルとはいえ、10人に2人は「地獄」を信じているというその割合は、むしろ意外なほど多いとの印象を受ける。
内心で本当に思っていることは、日常会話ではおくびにも出さないということなのだろうか。宗教的、つまりは人生の本質的な話題が「恥ずかしいこと」として徹底して避けられ、「お笑い」レベルで表面上人間関係をやり過ごすのが私たちの内的・間主観的な一般状況なのだとすれば、この調査結果はかかる抑圧傾向をも表わしていると見られる。
戻れば、「信じる」の最下位がオランダでわずか12.3%、下から2番目が中国14.0%、同3番目がスウェーデン14.4%だが、これらはほとんど差がなく、同列で最下位と言ってもよいほどだ。
そして日本に続き下から4番目のエストニア(18.4%)、同5番目のドイツ(18.9%)もまた、いずれも日本と同じような割合でほとんど差がなく、これら3国もまとめて同列にあると言ってもよい状態である。
つまり大まかに言って、「地獄を信じていない」人々の割合は、国・地域別でわが国は最下位から2番手集団にあり、最下位集団がスウェーデンやオランダ、そして中国である。これは「神」の場合とおおむね同じ傾向である。
「地獄」を信じる人に関しても、上位をいわゆる「発展途上国」が占めるのは「神」その他の調査項目と同じ傾向だが、しかし「神」の場合ほどその傾向ははっきりしていない。
特に米国の調査結果は、いわゆる「先進国」中で、順位で言えば「神」の場合以上に突出しており、世界全体の平均を大きく超え、上位から20位、「信じる」が7割(70.2%)となっている(もっとも割合で言えば、「神」の場合の「信じる」9割弱と比べれば少ない)。
私たち日本人がいわゆる黒船来航そして敗戦以降、近代化の範としてずっと仰いできた米国人とは、その7割が2010年代(米国の調査は2011年集計のもの)にもなって7割の人が「地獄」を信じ、9割方が「神」を信じている人々なのである。
米国人を個人的によく知っている人には当然思い当たるの結果なのかもしれないが、メディアを通じたイメージしかもっていない筆者のような人間には、この結果は極めて意外に感じられる。
移民の多い米国とはいえ、遡って1945年前後の時代に、その割合がこれより少なかったとは考え難い。
これまで述べてきたように、先の大戦後、米国が占領下の日本人の思想改造、言い換えれば旧来のコスモロジーの抹消を図ったことは、数々の証拠はさておき、状況を考えただけでも疑いない(これについても前掲『コスモロジーの心理学』参照)。
先に述べておけば、その「洗脳」の結果こそが、ここで紹介している日本の価値観の世界的に見た特殊性の主たる原因であることを明らかにするのが、この連載の目的でもある。
その観点からすればきわめて興味深いことに、日本の脱宗教化を企図し実行した米国人の意識の核心にあったものが、必ずしも近代合理主義ではなかったことを、これらの調査結果は示している可能性がある。
いずれにせよ、戦後の米国史を考えるうえで、これらは極めて示唆深い調査結果だと思われる。
さらに米国の上下にもシンガポール(「信じる」が8割に迫る77.9%)や台湾(同67.6%)のような高度に近代化された国・地域が存在する。伝統的コスモロジーの崩壊とは、必ずしも社会の近代化の進行とパラレルに起こるものではないことを示すケースであろう。
また、前回タイで「神」を信じる人がきわめて少ない(下から2番目、約3割)ことについて、敬虔な仏教国において質問文の「神」と被調査者の人々の心の中の「仏」が一致しなかった可能性があることに触れたが、実際、この「地獄」に関する質問では「信じる」が77.1%で第18位となっていることは、それを裏付けているように見える。
さて、日本の傾向について戻れば、一方ではっきりと「信じない」と答えた人は4割(40.4%)程度で、順位で言えば世界で22位にある。これは世界的には中位レベルにあって、全体平均に近い。高度に近代工業化された国としては、むしろ「地獄」を否定する人はかなり少ない。
再三のようになるが、日本で最も特徴的なのは「わからない」(Don’t know)との答えが突出して多いことである。特にこの「地獄」に関しては、その割合は4割(40.2%)にも及んでいる。2位がロシアでも2割弱(19.6%)だから、断トツで世界トップである。
この特殊性は、これまで書いてきたように、私たちの祖父母たち・先祖たちの姿を考えれば、従来の日本人論で言われてきたような「日本人の価値観のあいまいさ」などでは説明がつかない。
このことが示すのは、おそらく上記の日本の戦後史の特殊性によって惹き起こされた価値観の空白状態であり、それは「あいまいさ」などとのんきに構えてはいられない深刻な問題を孕んでいる可能性が高い。そのことはまた後ほど述べていきたい。
この「わからない」との答えはまた、「神」の場合以上に旧共産圏であるロシア、アルメニア、ルーマニア、エストニア、そして政治的にはいまだに共産主義をとる中国でも多い(20%~10%程度)。共産主義・唯物論の影響でも「地獄」を否定しきれていないのは、現実が地獄に近いからなのかとも想像するが、筆者には何とも言えない。
日本で顕著な「わからない」に関して、文化的・言語的に近い韓国と比較したいところだが、前回の「神」と同じくここでも「わからない」がゼロ%(0.00%)となっている。これについては韓国における調査方法の問題があるのだと推測され、前回の「神」に関する記述は訂正する必要があるようだ。
ところで、日本との比較で注目したいのは、やはり隣の超大国・中国、そして北欧の超優等生・スウェーデンであろう。「地獄」に関して見ても、伝統的コスモロジーに代わる無神論的コスモロジーの内面化の進行に関し、両国は世界トップを争っているように見受けられる。
中国では「地獄」を「信じる人」は14.0%で「神」の場合とほぼ同じ割合となっており、この国の無神論的コスモロジーの浸潤ぶりを示している。
しかし同じ中国人でも、台湾では「地獄」を信じる人は上述のとおり約7割(世界21位)、香港で約5割(世界35位)と、この項目でも伝統的コスモロジーの崩壊が社会の近代化と同等かそれ以上に、政治的な要因によって左右されることが、はっきりと示されている。
また「地獄」を「信じる」が4割を超える韓国(43.1%)と比較してみても、同じ東アジア地域で人々の意識に大きな差が生じていることが確認できる。すなわち、中国における強度の無神論傾向とは、「儒教文化圏」(WVSを総括したイングルハート―ウェルゼル図での分類)のような伝統的要因に単純に帰すことができないものである。
さて、筆者の目に触れた限りでは、WVSに関する日本の言説では、この「神」や「地獄」に関する調査項目はまったく紹介されていない。「世界価値観調査」について検索してみればそのことはすぐ見て取れる。この項目が、日本人の価値観の特殊性に関し国際比較の観点から重要な結果を示しているにもかかわらず、である。これはどういうことなのだろうか。
それはおそらく、価値観調査の結果を読み解く側が「神」も「地獄」も幻想にすぎないという価値観を心底信じているからであろう。そういうわけで、「女性の社会進出への意識」やら「外国人との共生への許容度」等、現代産業社会が要請する価値観にぴったりと当てはまる調査項目のみが注目されるわけだ(先述の「二次的な価値観」)。
言ってしまえば、「価値観」をあたかも細胞や都市構造のような研究対象にして、学会という名の業界内で地位を保っている学者のセンセイたちもまた、一つの特殊な価値観の世界の住人であることから少しも逃れられていない、ということにすぎないのだろう。
これは単なる皮肉ではなく、価値観調査の読み方そのものが、調査結果が明らかにした日本人の価値観の特殊性を表わしている可能性があるということである。
しかしそれにしても、自身の価値観を相対化せず、自集団の価値観の本質を見極めようとせずして、いったい何のための価値観調査なのだろう。
ともあれ、特にこの「神」と「地獄」に関する二つの調査項目は、世界全体の伝統的(宗教的)コスモロジーの崩壊の傾向と、日本がその崩壊の進行度、さらにそれにとどまらない日本の世界的な特殊性を、数値的にはっきり示していると思われる。
以降、これを軸に、さらにそのことを裏付けている項目をピックアップして紹介していきたい。
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