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世界価値観調査について②―「権威・権力」の尊重度

2020-04-04 | 世界価値観調査(WVS)等について
世界価値観調査(WVS)について続けたい。

現下の新型コロナウィルス禍で、危機対応に当たっている政府・公的部門の決断・意思決定における、いわば「及び腰」ともとれる態度が問題になっている。そこで導入といて、まずこの点について焦点を当てたい。

他国は早々に緊急事態宣言を出し、積極的に強権的措置をもって「スピード感」(それにしても珍妙な言葉だ)ある対応をしている。一方で日本はいまだに「自粛」「自主規制」を「要請」するだけである。
おそらく緊急事態宣言が出されたからと言っても、徹底性を欠くものになることは目に見えている。

なぜこうした事態になっているのか?
それに関しては政府や地方行政の意思決定の遅さや右往左往ぶりが、ある種の「無能さ」として問題とされているわけだが、この混乱は、当の私たちの意識と別のところにあるものではなく、明らかに一体のものである。そのことを、WVSの調査結果を用いることではっきりと理解することができるのである。

政府等の「意思決定」を実効性あるものとするのは、よい意味でのパワー(権力)と求心力(権威)であると仮定しよう。政治的意思決定に関しておそらく最も重要であろうこの要素に関し、世界の人々及び日本国民の意識は果たしてどうなっているだろうか。

WVSにおける調査項目の中で、
「生活の変化は良いか悪いか:権威や権力がより尊重される」(Future changes: Greater respect for authority)
というものが存在する。

これは
「ここに近い将来起こると思われるいろいろな生活様式の変化があげてあります。もし、そういうことが起こった場合、あなたはどう思われますか。よい(好ましい)ことだと思いますか、悪い(好ましくない)ことだと思いますか、それともそういうことが起こっても気にしませんか。それぞれについてお答え下さい」
という問いに、複数の選択肢から「権威や権力がより尊重される」と回答した人の割合を示すものである。



この調査項目の文言は多様な解釈が可能だが、要するに「集団のリーダー層に権威・権力(authority)を認めるか」ということ意味するのは間違いないだろう。単純に言って、人は尊重しないものの増大を望むわけがないからである。
そして、これは数ある調査結果の中でもとりわけ日本人の特殊性が突出したものの一つである。

私たち日本人が突然「『権威・権力』は『よい』と思うか」などと問われたら、当然「そんなこと良くない」と答えるだろう。それが常識的空気となっているのは言うまでもない。
しかし、それが世界の「常識」ではまったくないことを、この調査結果は実に端的に示している。

権威的な政治が営まれていると推測される、いわゆる「第三世界」の国々・地域で肯定的な回答が目立つのは当然だが、主要な「先進国」とされる米国やドイツでも世界平均(空欄のグラフ)に近い。「はい」が4割を下回るのは下位10位くらいからである。最下位から二位のスウェーデンでさえ、肯定的な回答が2割超、「気にしない」とする人も含めれば5割に近い。

一方、日本では肯定的な回答はわずか5%にも満たず、「気にしない」という人の割合を含めても、せいぜい2割程度である。このように、世界の中で日本が突出して低いのである。
逆に「悪いこと(Bad thing)」と答える人の8割に近く、これもきわめて突出している。

以降見ていくように、「わからない(Don’t Know)」というあいまいな回答をする人が多いのが日本人の一つの顕著な特徴だが、この項目に限ってはその割合が少なく、回答にためらいがないことも注目される。
つまり日本人の迷いのないこの回答は、いわば確信的判断といえよう。
すなわち、日本人は「権威・権力」の増大をもっぱら「悪いこと」と見る、世界的に特殊な価値観を抱いていることになる。

民放テレビを中心とするメディアの、現在の危機的状況に対する政府・公的機関の「弱腰」への不信感と猜疑心に満ちた論調は、間違いなくこうした意識を反映するものである。何せ「見られて・読まれてナンボ」の業界だからだ。
そればかりか、これまで日本人の「権力嫌い」を長らく醸成してきたのが、テレビ等マスメディアであることも、私たち日本人にとって異論のない事実であろう。

人々の「情報源」を問う別の調査項目において、「テレビニュース」「新聞」と回答した日本人の割合は、2014年段階でも世界で堂々1位である。そこでは「権力=悪」という先入観に満ちているのは明らかだ(もちろん、権力に様々な問題が付いて回るという問題を否定するものではない)。
すなわち、現在のマスメディアに公的部門のいわば「弱さ」を批判する資格はない。そればかりか、実際のところこうした状態を招いた責任を負うべき当のもの一つである可能性が高い。

こうした「民意」によって成立している政府・地方行政の、いわば「自信のない対応」は、ある意味で当然のことである。その姿を他人事のように嘲笑し叩くメディア、そして多くの私たちは、その情けない様を決して笑うことはできない。目下の政治・行政の右往左往ぶりは、私たちの意識の正確な反映でもあるのだから。


さて、本稿の構想としては、WVSの調査結果を、コスモロジーセラピーの理論的枠組みにおける「生きる自信(自己信頼)」の三つのレベルの観点から、それぞれご紹介しようと思っている。
この人間心理の三つのレベルは、
①宇宙(コスモス)的自信、
②集団的アイデンティティに関する自信、
③個人的自信、
すなわち宇宙観・世界観・人生観という三層を包括するコスモロジー全体で、総合的に人の自信(セルフコンフィデンス)を理解しようとするものである。
上記の調査項目は、この自信の階層で言うと2番目の「集団的アイデンティティ」に密接にかかわるものである。

「宇宙的自信」というのは一般的でない用語だが、世界をも超えたコスモスと自己とのつながりをどう捉えるかによる自己信頼感のことで、従来「信心」「信仰心」とか「宗教心」などと呼ばれていたものに近いが、本来そうした神話性に限定されたものではない。
コスモロジー心理学の枠組みで、世界とりわけ日本人の価値観を理解しようとする本稿の問題意識から、まずこのレベルの調査結果を取り上げようと思っていた。
しかし、上記のように現在の情勢に合わせて、思いついたところから取り上げていくことになるかもしれない。

以降、日本人の世界における位置が特徴的である数多くの調査項目を挙げていく予定である。
WVSの多数の調査項目には、コスモロジー心理学における上記の3つのレベル、すなわち価値観の中核に近いいわば「一次的な価値」(例:「神を信じるか」「国のために戦えるか」等)と、表層のほうに近い「二次的な価値」(「外国人との共生についてどう考えるか」「女性の社会進出をどう思うか」等)に大きく分かれるように見える。もちろんどちらも重要であり、各項目がその中間にあってどちらにより近いかという、グラデーションの問題に過ぎないが。

日本人の回答も、もちろん世界的にみてさほど特徴のないものが大多数である。
しかし価値観の中核ともいえる、上記の「一次的な価値」に関する多数の調査項目で、日本人の反応がネガティブのほうの極ないしそれに近い位置にあるのは注目される事実である。
以下、それらを見ていきたいと思う。


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