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書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 7

2017-08-27 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)

生活を支えた経済システム

 続いて本書は、江戸時代を通じて市場経済が洗練され高度化し、流通の循環構造により全国が統合されていく様子を明らかにする。
 そもそも幕藩体制自体が、米納年貢の販売などのために貨幣と市場経済を前提としていたのであり、よく知られているように、江戸時代前期までには、畿内先進地域を背景とした中央市場・大阪を中心に、大消費地の江戸をはじめ各領国が結びついた、海運業による物資の大量輸送に支えられた全国規模の「西高東低」の流通経済システムがすでに確立していた。こうして時代とともに中央市場と各地の物価が連動し、全国を市場経済がカバーしていく状況を本書は示している。
 そして江戸時代中期以降は、流通のネットワークも大阪と江戸を東西の中央市場とし、各地方領国も地方市場を介して相互に直接に結びついた、より複雑で高度化した市場経済システムに発展した。このことが農村のプロト工業化による経済発展を可能にし、それを基盤とした富の地方分散の時代に移り変わっていったという。本書は江戸時代中期に生じたこうした変化を次のように描写している。

 十八世紀は…経済循環構造や生産構造といった側面に注目すれば、十九世紀の発展を用意するような変化を準備していたのである。それは民間経済の奥深く市場経済が浸透していくことと、非農業的な発展に弾みがついたということであった。
…社会的な富を生み出す源泉は、農耕から加工品製造へと移っていった。市場経済の拡大と浸透は、流通や運送においても富を獲得する機会を増大させた。(二四〇―二四一頁)

 市場経済化を支えたのは、江戸時代を通じて確立された貨幣制度であった。東西経済圏の金・銀建ての並立は江戸時代の終焉まで続いたが、十八世紀後半の田沼意次政権における幣制改革によって実質的な金本位に移行し、また両替商を介した為替取引も一般化し発展して、円滑な流通が実現していた状況を本書は示している。そして幕府が財政難を脱するために何度も行った貨幣改鋳は、結果として貨幣流通を増大させ、米価を調整し、インフレを通じて経済成長を刺激するなど、事実上の通貨政策として機能することとなったという。「このように通貨政策が基幹的な役割を果たしたことは、市場経済が全国的に浸透していたことを物語っている」と本書は評価する。
 そして特に幕末に至る、本書の指摘する次のような状況が注目される。「このようにプロト工業化による国内の市場構造の成熟と変化が進み、やがて幕末の経済発展がやってくる。その契機となったのが文政の貨幣改鋳であった。すでに地方では中央都市を脅かすような経済力を備えつつあったところに、大量の貨幣が注ぎ込まれたのである」。しかし開港による外国貿易開始は、特に欧米との金銀の交換レートを巡る問題により極端なインフレを惹き起こし、これが倒幕に至る社会の騒乱状態を招いた大きな要因となった。「米価変動の第五期の開幕は、安政開港に伴う劇的なインフレーションで始まった。大阪米価は安政五年(一八五八)からピークの慶応二年(一八六六)までに、約十一倍になっている」。不当な金銀交換レートによる金の国外流出と物価騰貴については、作家・原田伊織氏が近著『官賊と幕臣たち』において、米英の外交官(つまりは本国政府の意思)による幕府転覆の策謀ではなかったかと指摘しているが、いずれにせよ麗しき政治史として語られてきた明治維新を再考する際には、こうした経済面・外交面の事情も冷静に見ていく必要があるだろう。

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