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書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著) 2

2017-08-18 | 書評『文明としての江戸システム』(鬼頭宏著)

江戸時代に生きた人々

 本書は、日本が強力な人口記録が緻密に整備され史料として多数が残存する世界的に稀有な「人口史料の宝島」であることを紹介し、特に第二章と第三章でその近年の研究成果をもとに、各村々から全国に至るミクロとマクロの人口動態と、そこから浮き彫りになる社会の実態を明らかにしている。
 ミクロな面では、特にある村の複数の農民家族の人生を長期にわたり追っているのが興味深い。後で見るように、江戸時代中後期とは人口成長が停滞しつつ、生産力の向上が特に農村部を中心に起きていた時代であり、農村の家族の変化を見る上でそうした背景を理解することが必要であるとしている。「江戸時代の農業生産力の向上は、間作・裏作や二毛作による土地利用頻度の高度化という点ではイングランドに似ていたが、経営規模の縮小、家畜利用の減少という点では正反対の方向に向かっていた。労働節約的ではなく、牛馬の代わりに家族労働力を惜しみなく注ぎ込む、労働集約的な発展経路を進んだのである。…密植に耐える水稲農耕が土地節約的農業を可能にしたという生態学的な条件を前提にして、人口密度が高く、耕地・人口比率が低かったことが、土地利用の高度化と投下労働量の増大からなる労働集約的農業を生んだのである」(二七二頁)。
 こうした農業生産上の前提条件のもと、江戸時代を通じて、農村ではそれまでの血縁者や隷属者を含む大家族から、労働集約型の生産に適合した小家族・直系家族化が進行した。本書はこうして農村の基礎単位となった小家族の実態を明らかにしている。
 とりわけ伝統的な日本の家族倫理とされるものを教え込まれてきた私たちにとって印象的なのは、江戸時代には離婚と再婚がごくありふれた事態だったことであろう。この章では特にある典型的な山間農村を舞台にしているが、他に挙げられている各地の結婚継続期間に関する推計等からも、状況は農村・都市を問わず全国的に同様であったことがうかがえる。「多数の離縁状や宗門改帳の記録からいえることは、離婚は現在の私たちが考えるよりも頻繁に起きていた」ということであり、「十八世紀前半に湯船沢村で結婚した男女は、男で三割、女で四割が再婚であった。夫婦のいずれかが再婚であるケースは半数以上にのぼったのである。それほど再婚は普通の出来事であった」(五五頁)。ただし現代と異なるのは「離婚が結婚初期に集中しており、結婚二十年以上の『熟年離婚』はほとんど見出すことはできないこと」であった。そしてこの離婚率の高さの意味について、現在よりもはるかに乳幼児の死亡率高かった当時にあって、男女の皆婚傾向を維持し、家系の維持を可能にする子どもの数を確保したのが、こうした 意外にも流動的な夫婦関係であったとしている。
 時代的制約の中で、それでも農民の寿命に関する状況が着実に改善されていったこと、また江戸時代を通じて男女とも晩婚化が進行していたこと(平均して三~四歳)は、当然ながら農村の生活が改善され余裕が出てきたことの反映と見る必要があるだろう。本書で取り上げられているその他の指標からも、生活状況の改善は明らかだと見える。「現代から見れば、江戸時代は短命で早婚、子だくさんの社会であったが、その内部では十八世紀中頃までに、晩婚化・少子化が進み、寿命も五~六年は延びたと見られる。その結果、高齢者…の人口比率は、例えば信州横内村の場合、十七世紀末期からの一世紀間に七パーセントから一四パーセントへと倍増している。江戸時代にも高齢化があったのである」(六四頁)。これは律令時代からの高齢者の定義である六十歳以上の人口の割合を説明している個所だが、別の個所でこれを換算し、「現行の(高齢者への到達年齢である)六十五歳で計算すると、四パーセントから八パーセントへと倍増したことになる」(二九〇―二九一頁)としている。このように、「江戸時代の高齢化」とは単に現代社会になぞらえた言葉上の比喩などではない。現在の高齢化社会の定義である老年人口割合七%(国連による)に照らして考えても、江戸時代後半の農村とは高齢化社会だったことになるのである。さらに「六十歳または六十五歳への生存率が低い社会社会では、高齢化の程度はけっして軽いものではなかった」ことに留意する必要がある。確かにこの時代は乳幼児の死亡率が高く、現代と比べて出生時の平均余命ははるかに短い時代だった。それでも「農民の出生時の平均余命で推計してみると、江戸時代初期は二十年代後半かせいぜい三十年そこそこであったものが、十八世紀に三十年代半ば、十九世紀になって三十年代後半になったと考えられる。長期的に見れば江戸時代後半を通じて、農民の寿命は明らかに伸びていた」(二八七頁)のである。


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