〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

ロスト・ジェネレーション――われら“喪失の世代”

2007-01-12 | ロストジェネレーション論
新年に実家に帰り久しぶりに朝日新聞を読んだところ、第一面に新年特集として「ロスト・ジェネレーション」という連載記事があり、内容もさることながらその表題のキャッチ・フレーズが印象的だった。

この言葉がどれだけ一般的に流通し使用されているかを知らないし、最近の論説や報道関係に疎く、その内実がどのようなものかも実はあまりよく知らない。
以下に書くこともけっこう世間とズレていて恥ずかしい内容なのかもしれないが、そのばあいは御笑覧いただければ幸いである。

“ロスト・ジェネレーション”――つまりは“喪失の世代” ――という表現は、自分自身を振り返っての実感としても、付き合う限りでの同世代を見ての印象としても、まさにぼくらの世代が共通に抱えている内面の空虚感と、記事中に描写されたような、それにもとづくかなり情けない(といわざるを得ないだろう)生態を言い当てている言葉なのではないかと思われた。

またそれは、自分がまさにその“失われた世代”のど真ん中にいて、そしてあたかも自分のことが語られているように感じられたということでもある。

とりわけ象徴的に思われるのが、30代もすぎていまだ結婚できない、というか根本的にはその意欲のないとしかいいようがない、かなり情けない男女のエピソード。

女性のほうは、バリバリ仕事をやるキャリアウーマンの幻想から退職後も脱却できず、そんなふうな収入だの学歴だのという競争主義的な社会のモノサシを相手に投影して婚期を逸しつつあり、そういう現代版「白馬の王子様」との出会いを提供すると称する会員制の集まりに高額な会費を支払ってきたが、いまだその甲斐がないという、ある種典型的なお話。

そして同じ記事の一方は、親の仕送りを当てにしながらバイトで生活、アキバ通いをして、部屋にはアニメ系のきわどいフィギュアがたくさんあるという、これまた典型的なオタクの三十男の話である。
親にもせっつかれて漠然とした前途への不安と焦りを覚えており、自分の趣味を受け入れてくれる相手を探す、でなければ一人でいたほうがマシ、というが、そんな都合のいい相手はたぶん絶無だろう。
(後者には、方向性は違えど自分もそうなっているような嫌な共感を覚えてしまうが・・・)

大体そんな感じで、勝ち組・負け組みのいずれにせよ、生き方の「型」を見出せず、孤独にばらばらに、将来への不安を抱えながら「自分なりの」「自分の人生」を追求する同年代の姿が描写されている、といった具合であった。

こういった典型例の示すところが、僕等同世代の一般的なイメージであるということのようだ。

(以下、そのうち更新)


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