〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

何が現実か

2006-06-11 | Weblog
きょうは休みで、さあ坐禅をやろうと思ったら、鼻水が出て出て止まらず、できていません。いちおう、言い訳ではないつもりです。

明日も休みの予定でしたが、営業所から電話あり、残念ながら公休出勤と相成りました。ここは稼ぐとしましょう。DVDドライブとMP3プレーヤーがもう一個、欲しいんだわ。

それはそうと、身近にちょっと困った人がいて、そういう人と接して、できればもうちょっとまともな生活に改めてもらうには、どうしたらいいかなと思ってしまいます。
金銭的なこともあるのですが、それ以前に彼は心理的に立ち直るというか、自己信頼ができるように成長する必要があります。
でないと、このさきずっと同じことをくり返していくように思えてなりません。というか悪循環なのでますます悪くなっていくかもしれません。
それは気の毒だし、しかも現実問題としてこちらも困る。ひじょうに困ります。

心理的に立ち直り成長するための方法論をこれまで学んできて、自分に対してならかなり適用できる(まだまだこれから、ですが)見通しがあるのですが、人にたいしてというのは、現状なかなか難しく感じられてしまいます。
しかもそういうことを伝えられるという関係性にありません。
それにこちらの思惑・マナ識としては、正直なところめんどうくさい、時間が惜しい、という思いがあります。
しかし良くなってほしいです。

まずはさきの願望実現瞑想法で見たように、よくしたいのならその思いをはっきりともつことがぜひ望ましいのでしょう。
「思うだけではなんにもならない」というのは確かに常識ですが、現実の世界は必ずしもそうでないというところがあるようです。
しかも実際問題として、その思いがないうえで何をしようとも、かえって逆効果になるような気がします。

そしてできれば信頼できる関係性を作っていった方がいいのでしょう。おそらくひじょうに不愉快なこともあるだろうということで、それに動じない気合いが必要そうです。

こういうことが身近にあるということは、これに適切に対処せよというメッセージなのかもしれません。
いわば“修行”と考えれば、納得できそうです。
また、そういう捉え方でないと、ひじょうに不条理なことに感じられてしまいそうです。
そしてそういう思いにはほとんど実効性はないし、気持ちが暗くなってマイナスなだけです。

それはそうと、いまYANNIという人のCD“IF I COULD TELL YOU”というアルバムを聴いています。とても爽やかで流れるようで明るく、いい感じです。

現実には明るい面も暗い面もあり、どちらを多く見るかは、気づいてみれば人間にはかなりの自由あります。
明るい方を見ながら、暗い現実にもしっかり対処できるような、いい意味での現実的な人間になりたいものだと思います。


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