〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

種子としてのことば

2006-06-15 | Weblog
いつもながら寝る前に一言。

しつこいようですが、寝る前に考えることは(寝る前に限らずですが、とくに、ということで)いわば無意識への“種子”になるということで、あだやおろそかにはできないとのことです。
これは自戒。

種子といえば、自分にたいするだけではなくて、もしこれを読んでもしそのとおりに「そうか」と思ってくれる方があったとすれば、少なくとも読んでいただいたその時点で、言葉はその方の心にとっての現実となり、そしてその影響力が心の履歴として蓄えられたということになります。

そういう意味で、ぜひ「そうだ」と思っていただけるような文章を目指したいものです。

内向きの意味でも外向きの意味でも、そのことによく留意して書くのが、「書く」ということの本質的な意味なのだと思われます。
言葉というのは、単に自己表現とか情報伝達・コミュニケーションの手段だけでなく、そういう“種子”という深い意味があるのは、内面的なリアリティとして確かだと思われます。

面白いことに、“種子”とはキリスト教でも仏教でも同じ意味で使われていることばのようで、その現象を表すのにじつに言い得て妙という感じがします。

逆に、ほかになかなか表現が難しいと思いのだと思いますが、あえていえば“呪文”とでもいうことになるのでしょうか? あやしげな外面の世界に働くものではなく(あ、でも先に書いた願望実現瞑想ということがありました)、心という内面の世界に、現象としてはたしかにある“呪文”。それがたぶん暗示と呼ばれたりするのだと思います。

私たちは言葉の分別知の連続の中で、いわば“呪文”による幻想の中に生きていると、それを超えた覚りの境地からは言えるのかもしれません。
かといってそこから目覚めるのは、ふつうに生きているとかなり大変そうです。

なので、たとえ究極的には幻想であったとしても、当面はいずれそこから逃れられないのであれば、いかに世界の現実に即した、よりよい夢を見るのが適切か、ということが大切なのだと思います。

そういう意味で、「いい言葉」を使うことを心がけていきたいものです。


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2 コメント

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こんばんは (コスモロチーチャン)
2006-06-15 18:44:07


 すごい!水族館に行ったみたいですね!!



 夜とか眠る前とかに考えることは大切なのですね。



 でも結構悩みとか心配事とか考えてしまいませんか?



 
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Unknown (type1974)
2006-06-17 01:34:10
チーちゃんさま



いつもありがとうございます。

テンプレート、いいのがないので戻そうとしたら、もとのがなくなっていました。なんだか青っぽいものが好きです。

悩みとか心配事、あります。それは寝る前より起きたあとのほうが、いろいろ考えてしまいます。

そういう煩悩はなくなってほしいものです…
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