(承前)
このどこか奇妙なコナリー知事の公聴会での陳述は、彼もまた大統領の最初の被弾を見たという、重要な一点を隠したものだった可能性が高い。
もしそうだとすれば、それは「大統領が喉を押さえているのを見た時に、自分はまだ被弾していなかった」ということを意味する。つまり、それを「見た」と証言してしまうと、そのわずか一言で政府の公式見解(一発説)を真っ向から否定することになってしまうのだ。
政治家として、大統領調査委員会ひいては政府・現政権と対立し、さらに国民の感情を逆撫でするような発言は避けなければならない。政治家の処世術として、それはある意味で当然であっただろう。そうして実際、彼は後年ニクソン政権の財務長官にまでなりおおせている。
こうした事情を考慮すれば、前コナリー知事が証言は曖昧にしたまま、実際の「大統領の被弾を見、そのあと自分が被弾した」「暗殺の主体は複数だと感じられた」との自身の経験を、あえて妻・ネリーに語らせた可能性は高い。二人が証言を事前に調整していたことは、先述のフィリップ・シノンが明らかにしていたとおりである。
しかし女性、ことに主婦の証言など、1960年代の米国社会でどれほどの割引を受けることか。現にシノンが示したように、夫人のこの最重要証言はウォーレン委員会において、あたかも子供が語ったかのように扱われてきているのである(それに対して2010年代にもなって何の疑問も呈さないおめでたさが、この人物の見識のほどを表している)。
この複数犯との認識は、銃声の来た方向を尋ねられたネリー夫人の、「右側から」「後ろ方向から」「やはり右側から」という発言の揺れにも現れていると見える。単独犯行説という予断を外し、複数箇所からの射撃の可能性をも想定するのなら、こうした証言の揺れは何らおかしいことではなく、むしろ真相解明の糸口となるはずのものである。
調査委員会としては、そのこと自体に真実が現れている可能性を考えるべきであっただろう。にもかかわらず、この最重要証言に対してそれ以上質問しないどころか、誘導尋問めいたことをして「後方からだった」との言質をとろうとしたスペクターの、真相追及へのあまりの消極ぶりは、現在の視点からすれば明らかに異常である。
*ウォーレン委員会の調査で、オズワルドによる狙撃の被弾の様子を再現するA・スペクター(右) 彼はウォーレン委員会の実務上の筆頭のスタッフであり、「シングルブレット・セオリー」の主唱者である。当時33歳の若さであり、のちに上院議員を長期にわたって務めている。米国の超エリートの一人といえよう。
このようにネリー夫人の証言は、リムジン車上で大統領の間近に着座していた三人が三人とも、揃って「暗殺者は複数であった」との認識したことを示している。しかもそれは、大統領の最初の被弾という最も早いタイミングにおいてであった。
これらのネリー夫人の記憶が正しいものだったとして、では彼らのいわば体感的判断の根拠は何であったのだろうか。
まず考えられるのが銃声の数だが、前述のようにこれは知事やジャクリーン夫人にとって、それはわずか最初の一回の「音」のみである。しかもそれは両夫人やほかの多くの現場に居合わせた人物によれば、それは大きいけれども銃声とは聞こえないような、何らかの「音」なのであった。
いずれにせよ、一回だけであった以上、この「複数の暗殺者」という認識の根拠は、普通に考えられるような銃声の回数・間隔・方向によるものでもない。あまりにも早いタイミングでの「複数犯」との判断はなぜだったのか。彼らは何か誤認をしていたのだろうか。
三人ともが揃ってそう認識している以上、誤認の可能性は少ない。ここでは彼らが状況を正しく知覚・認識し、それを証言したと仮定する。その判断が発砲音としての銃声によるものではなく、それでも銃弾が複数の銃からのものだったと知覚するには、残るは銃弾の飛翔音や着弾音しか考えられない。
ここで、先に検討した
すなわち、サイレンサーを装着した自動火器による、大統領の頭部ヒットを狙った連続射撃の可能性である。あくまで推測ではあるが、そう考えるに足るいくつもの根拠が存在することは、すでに見てきたとおりである。そのうち一発は大統領の上背部に着弾して浅い銃創を残し、一発は頭上に逸れてアンダーパスの橋脚の前にいた観衆・テーグの足元の縁石にヒット、やはりきわめて浅い弾痕を残した。さらにもう一発、別の銃弾がリムジンのウィンドシールドの枠に当たって凹みをつけた可能性が高い。
この推測をネリー夫人の証言に適用することで、他の二人が揃って語ったという、銃撃開始直後に複数犯だと判断した言葉の意味が、はじめて明快になる。
この状況を彼らの主観でとらえ直してみよう。
だとすれば、リムジン同乗者が大統領の最初の被弾の瞬間に「狙撃者は複数」だと判断したのは、知覚に基づく自然な反応だったことになる。大統領の被弾の前後に、複数の飛来する銃弾が存在したのだから。
他に、この「複数形で語られた証言」を意味あるものとして説明する方法を見いだすことは難しい。
このどこか奇妙なコナリー知事の公聴会での陳述は、彼もまた大統領の最初の被弾を見たという、重要な一点を隠したものだった可能性が高い。
もしそうだとすれば、それは「大統領が喉を押さえているのを見た時に、自分はまだ被弾していなかった」ということを意味する。つまり、それを「見た」と証言してしまうと、そのわずか一言で政府の公式見解(一発説)を真っ向から否定することになってしまうのだ。
政治家として、大統領調査委員会ひいては政府・現政権と対立し、さらに国民の感情を逆撫でするような発言は避けなければならない。政治家の処世術として、それはある意味で当然であっただろう。そうして実際、彼は後年ニクソン政権の財務長官にまでなりおおせている。
こうした事情を考慮すれば、前コナリー知事が証言は曖昧にしたまま、実際の「大統領の被弾を見、そのあと自分が被弾した」「暗殺の主体は複数だと感じられた」との自身の経験を、あえて妻・ネリーに語らせた可能性は高い。二人が証言を事前に調整していたことは、先述のフィリップ・シノンが明らかにしていたとおりである。
しかし女性、ことに主婦の証言など、1960年代の米国社会でどれほどの割引を受けることか。現にシノンが示したように、夫人のこの最重要証言はウォーレン委員会において、あたかも子供が語ったかのように扱われてきているのである(それに対して2010年代にもなって何の疑問も呈さないおめでたさが、この人物の見識のほどを表している)。
この複数犯との認識は、銃声の来た方向を尋ねられたネリー夫人の、「右側から」「後ろ方向から」「やはり右側から」という発言の揺れにも現れていると見える。単独犯行説という予断を外し、複数箇所からの射撃の可能性をも想定するのなら、こうした証言の揺れは何らおかしいことではなく、むしろ真相解明の糸口となるはずのものである。
調査委員会としては、そのこと自体に真実が現れている可能性を考えるべきであっただろう。にもかかわらず、この最重要証言に対してそれ以上質問しないどころか、誘導尋問めいたことをして「後方からだった」との言質をとろうとしたスペクターの、真相追及へのあまりの消極ぶりは、現在の視点からすれば明らかに異常である。
*ウォーレン委員会の調査で、オズワルドによる狙撃の被弾の様子を再現するA・スペクター(右) 彼はウォーレン委員会の実務上の筆頭のスタッフであり、「シングルブレット・セオリー」の主唱者である。当時33歳の若さであり、のちに上院議員を長期にわたって務めている。米国の超エリートの一人といえよう。
このようにネリー夫人の証言は、リムジン車上で大統領の間近に着座していた三人が三人とも、揃って「暗殺者は複数であった」との認識したことを示している。しかもそれは、大統領の最初の被弾という最も早いタイミングにおいてであった。
これらのネリー夫人の記憶が正しいものだったとして、では彼らのいわば体感的判断の根拠は何であったのだろうか。
まず考えられるのが銃声の数だが、前述のようにこれは知事やジャクリーン夫人にとって、それはわずか最初の一回の「音」のみである。しかもそれは両夫人やほかの多くの現場に居合わせた人物によれば、それは大きいけれども銃声とは聞こえないような、何らかの「音」なのであった。
いずれにせよ、一回だけであった以上、この「複数の暗殺者」という認識の根拠は、普通に考えられるような銃声の回数・間隔・方向によるものでもない。あまりにも早いタイミングでの「複数犯」との判断はなぜだったのか。彼らは何か誤認をしていたのだろうか。
三人ともが揃ってそう認識している以上、誤認の可能性は少ない。ここでは彼らが状況を正しく知覚・認識し、それを証言したと仮定する。その判断が発砲音としての銃声によるものではなく、それでも銃弾が複数の銃からのものだったと知覚するには、残るは銃弾の飛翔音や着弾音しか考えられない。
ここで、先に検討した
「教科書倉庫ビルからの発砲音の偽装のもと、向かいにあるダルテックスビル二階から行われた、消音・減音措置を施した銃による連続射撃」
という推測が意味を持つことになる。すなわち、サイレンサーを装着した自動火器による、大統領の頭部ヒットを狙った連続射撃の可能性である。あくまで推測ではあるが、そう考えるに足るいくつもの根拠が存在することは、すでに見てきたとおりである。そのうち一発は大統領の上背部に着弾して浅い銃創を残し、一発は頭上に逸れてアンダーパスの橋脚の前にいた観衆・テーグの足元の縁石にヒット、やはりきわめて浅い弾痕を残した。さらにもう一発、別の銃弾がリムジンのウィンドシールドの枠に当たって凹みをつけた可能性が高い。
この推測をネリー夫人の証言に適用することで、他の二人が揃って語ったという、銃撃開始直後に複数犯だと判断した言葉の意味が、はじめて明快になる。
この状況を彼らの主観でとらえ直してみよう。
・銃声又は何か大きな音が、右のほうから一回聞こえた。
・ほとんど同時に、今度は真後ろから、複数の銃弾が飛んでくる風切り音が聞こえた。
・そのうち少なくとも一発は彼らの頭上すれすれを擦過している。
・このとき、大統領はすでに撃たれて喉元を押さえていた。
・ほとんど同時に、今度は真後ろから、複数の銃弾が飛んでくる風切り音が聞こえた。
・そのうち少なくとも一発は彼らの頭上すれすれを擦過している。
・このとき、大統領はすでに撃たれて喉元を押さえていた。
だとすれば、リムジン同乗者が大統領の最初の被弾の瞬間に「狙撃者は複数」だと判断したのは、知覚に基づく自然な反応だったことになる。大統領の被弾の前後に、複数の飛来する銃弾が存在したのだから。
他に、この「複数形で語られた証言」を意味あるものとして説明する方法を見いだすことは難しい。
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