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JFK暗殺事件の真相――ジョージ・H・W・ブッシュの疑惑②

2020-11-14 | JFK暗殺事件について
(続き)
 さて、前掲の文書中の「テキサス州タイラー」とは、ダラスからおよそ百キロ少々の距離にある都市ある。日本の感覚だと百キロは遠いようだが、米国のスケールでは隣の都市という程度の位置関係にある。



 ブッシュはおそらく車で移動中のこととして、「暗殺のあった1時間15分後の時点でタイラーに立ち寄っており、これからダラスに向かうところだ」という趣旨のことをFBIに対して語っている。

 のちにブッシュが大統領となったことを知らない目からすれば、これはテキサス在住の実業家としてごく常識的な行動ということになるだろう。そして通報も文句のない愛国的行動というわけだ。
 しかしそれを知っている目からは、「暗殺の時刻にダラス近傍の都市にいて、まさにダラスに向かっている」という事実はきわめて異常な意味を持つことになる。

 そればかりか、後年の目からすれば、これは実にアリバイ作り臭い話でもある。ブッシュはここであたかも「銃撃のあった12時30分に私はダラスにいなかった」と述べているかのようである。しかし本当にそうなのか?

 当時の電話のシステムを知らないので何とも言えないが、電話交換を介するとすれば、それ以外の場所にいながらタイラーにいるかのように話すことは難しかったと思われる。
 しかし、仮にブッシュが12時30分にダラスにいたとしても、たかだか百キロ余りの距離、13時45分にタイラーにたどり着くのは、車を飛ばせばさほど難しくもない。
 つまりブッシュが13時45分にタイラーにいたとしても、暗殺時刻におけるダラスでの不在証明とはならない。

 そして注目されるのは、「これからダラスに向かい、そこで一泊し、翌日ヒューストンの自宅に戻る」と自ら述べているくだりである。

 13時45分時点で「ダラスに向かっているところ」なのだから、このブッシュの話を信じたとしても、普通に移動すれば15時ごろには彼はダラスに到着していることになる。
 つまり、ブッシュ自らの陳述を真正面から受けとったとしても、暗殺当日の午後のかなり早い時間に、彼はダラスにいたことになるのだ。

 仮に何らかの意図があって、FBIへの通報でわざわざこう述べている場合、裏付けのない話をするのは後々不都合な状況を生じかねない。
 だとすれば、11月22日の午後にブッシュがシェラトン・ダラス・ホテルにチェックインしたことは事実だったと見る必要がある。

 地図で調べてみると、同ホテル(当時から位置が変わらないとすれば)から、事件のあったディーリープラザまでは、わずか1マイル(1.6キロメートル)ほどの距離しかない。車で5分・歩いて20分程度であろう。



 すなわち、確認できる情報を文字通り受け取っただけでも、1963年11月22日、後年の大統領リチャード・ニクソンはケネディが降り立つ直前にダラスを発ち、暗殺があってからほどなくして、同じく後年の大統領ジョージ・ブッシュはダラスに到着し、暗殺現場のごく近くに滞在したことになる。

 そんなことが「偶然」起こりうるのか?
 ――まずありえないと断言できよう。

 二人が暗殺当日、時刻はさておきダラスにいたことは確実である。
 後年大統領職を務めたこの人物たちは、明らかに暗殺に関わって現地にいたとしか見ることができない。

 だとすれば重要なのは、この文書に登場する「ブッシュ」が、果たして本当に後年のブッシュ大統領なのかということだが、同一人物であることは百パーセント間違いない。
 以下さらに見ていきたい。

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