〈私〉はどこにいるか?

私たちは宇宙にいる――それこそがほんとうの「リアル」のはずである。この世界には意味も秩序も希望もあるのだ。

JFK暗殺事件の真相――オズワルド単独犯行説の虚構を暴く 55 コナリー知事夫妻の最重要証言

2018-12-30 | JFK暗殺事件について
○夫人によるコナリー知事の被弾についての証言は「一発説」を否定しており、ザプルーダー・フィルムに見られる状況と一致する

 当日朝、公聴会の前に知事夫妻はザプルーダー・フィルムを見せられたらしい。どのような形で見せられたのか定かではないが、コマ送りのスローで映写されたものだったのだろうと推測される。
 夫人の見るところ、知事の被弾は映像で229コマ目又はその直後であった。これもまた、委員会にとっては不都合きわまる陳述だったに違いない。夫人はいわばダメ押しをする形で、オズワルドの単独犯行を否定しているからである。

 この点に関しては、夫人は知事と意見が一致していると明言している。つまり知事も同意見なのだが、この状況下で、知事がそのことを語り得なかったのは前述のとおり当然過ぎるくらい当然のことである。
 それを『ケネディ暗殺 ウォーレン委員会50年目の証言』のシノン流に「妻の尻に敷かれていたのだ」と解釈するのは、ただのナンセンスとしか言いようがない。この本に満ちているのは、こうしたあからさまな印象操作である。
 夫妻の死後(夫ジョン・コナリーは1993年に、妻・ネリーは2006年に死亡)であれば、何を言うのも「死人に口なし」で自由というわけだ。


 ※ザプルーダー映像の229コマ目

 ここで「229コマ目かその直後」とはっきり時点を指定していることが注目される。委員会が結論しようとしていた「一発説」によるなら、知事の被弾は229コマ目やそれ以降では絶対にありえないし、あってはならない。
 この時点では後席の大統領はすでに頚部被弾に対する強い反応を示しており、大統領と知事の両者の被弾のタイムラグは見た目にも非常にはっきりすることになるからだ。

 実際には、フィルムによれば知事の被弾はそれより5コマ前、第224コマ目とすでに確定しているのは、先述のとおりである。その瞬間と次の225コマ目、時間にしてわずか0.1秒の間、知事のジャケットの右の合わせ部分が前方にめくれ上がっているのが確認でき、明らかに後方からの右胸部被弾を示しているからである。これは知事のジャケットの被弾痕にも位置的に一致する。


 ※焦点の224コマ目 これまで再三取り上げてきたように、この時点ですでに大統領が被弾していることに注意されたい。知事の被弾は明らかに「その後」に起きており、この時点で「一発説」は完全崩壊している。

 夫人の証言を229コマ目と特定するなら、この224コマ目との間はわずか0.3秒以下、人間の目にとってほとんど同時と言える。夫人が知事の被弾の様子を正確に記憶し証言していたことを、映像という客観的証拠が裏付けているのである。

 なお、彼女が229コマ目と少し遅れたタイミングを指定している理由を、映像から推測することもできる。
 知事が実際に被弾した224コマ目の直後、227コマ目から、大統領はそれまでになかった仰け反るような激しい挙動を示し始める。同時に、その両腕が水平に高く持ち上がる。この顕著な動作は何か新たな衝撃への反応と見ざるを得ない。
 そしてパークランド病院の医師たちの重要証言によれば、大統領にはちょうど喉仏のあたりに前方からの銃弾の射入口があった。だとすれば、その銃撃は映像から227コマ目またはその一瞬前と推測されることを先に見てきた。推測というよりも、大統領の前方からの頚部銃創が存在したからには、映像によれば他のタイミングでの被弾は、事実認識として可能性はゼロに近いということにすぎない。

 証言した夫人は、「夫への銃撃は大統領の被弾のあと」であることを経験的に知っている。そしてフィルムを画像として一コマ一コマ見ないことには、正確な被弾の瞬間の指摘は難しい。だとすれば、夫人が229コマ目と指摘したのは、明らかな大統領の負傷の兆候が確認できる227コマ目の一瞬後を指定した可能性が高い。

 いずれにせよ、これも「一発説などあり得ない」という、またひとつの強い主張だと読み取れる。この点で、夫人の証言は実に一貫している。
 この証言のポイントは、言うまでもなく、夫人が改めて大統領と知事の被弾のタイムラグを証言したことにあるが、加えて現在の目で見れば、その証言の正しさは映像によっても裏付けている。

 夫人、そしておそらく間違いなく知事も、オズワルドの単独犯行など絶対にあり得ないことを経験に基づき知っており、何とかそれを伝えようと公式見解=世論に対立しないぎりぎりのところで証言している、との強い印象を受ける。


 ではなぜ、ネリー夫人は聴聞会の場で直接そのことを語らなかったのだろうか。
 もし「大統領は最初の音のあと、すでに被弾していた」「知事は大統領の被弾のあとに、2発目の銃声で撃たれた」そして「射撃の主は複数だ」と認識しており、その結果「孤独な一匹狼・オズワルドの犯行」など虚構にすぎないことを知っていたのなら、はっきりとそう証言すればよいではないか――もちろん、事態はそう単純ではない。
 
 例えばコナリー夫人は大統領と夫の被弾のタイムラグを語っているが、決して公式見解=一発説を直接に否定した訳ではない。あくまで、淡々と見聞きした事実を語るのみというかたちを取っており、委員会の見解との相違については「それが経験した事実である」以上のことは一言も語っていない。
 夫人の以上の認識からして、明らかに彼女はオズワルドの単独犯などあり得ないことを知っているにも関わらず、そのことには一切言及がないのだ。

 この公聴会の場には、すでに事実上の政府の公式見解となっていたオズワルド単独犯行説を正面から否定できない、日本的にいえば「空気」に満ちていたのであろう。「共通認識」「常識」と言い換えてもよい。
 この状況で、さらに進んではっきりと「複数犯である」などと公言できないのは、夫人ならずとも常識に生きている人物なら当然である。その自主規制は、現にコナリー知事の証言に見られる。夫の政治的立場も顧慮すれば、夫人もまた一定の線(知事より踏み込んだものの)で証言を自主規制したのは当然だろう。

 その抗しがたい空気というのは、あながち推測ばかりとは思われない。夫人の証言記録を見てもわかる通り、公式説に反する意見を徹底して無視しはぐらかし流してしまう、委員会のその姿勢は一貫している。

 さらに、スペクターは最後に

「委員会にとって役立ちそうだと思われることは、他になにかあるか」

 とまで発言している。
 これは表現は一見丁寧なようだが、その真意は「何か委員会に貢献できるようなことは言えないのか」ということ、言い換えれば「あなたの以上の証言は委員会にとって無価値だ。意味ある発言すべきである」と放言しているに等しい。
 配偶者の社会的地位が人間の価値や証言の重要性を左右するものではもちろんないといえ、南部有力州の現職のトップであり、先の海軍長官にして、後の財務長官となる人物の妻に対する、この質問者スペクターの言動は、常識的に言えばあまりに非礼で異常なものであり、見方によっては悪意すら感じさせるものがある。

 彼らが求めているのは「委員会にとって有用な(「helpful to the Commission」)」証言であって、「真相解明にとって役立つか」などは問題ではない――スペクターひいては委員会が思わず本音を漏らした言葉だと見える。
 コナリー夫人が素っ気なく「I don't think so.」とのみ答えたのも当然というものだ。
 この場合、委員会の要求に沿った証言をすることは、宣誓下で虚偽証言をすることに他ならなかったからである。それは先述のとおり、彼らキリスト教徒にとっての重大な罪である。

 ともかく、聴聞会における質問者側の言動は事実上「委員会の見方に沿わない証言など聞く耳持たない」と言っているようなものだ。言葉としては聞いているようでいて、発言の意味する重要な点には少しも触れていない。そのこと自体が委員会の意思を示していることは、スタッフが「目撃証言など当てにならない」との予断をもって調査に当たっていたとの、委員会の内情に関するシノンによる意図せざる「真相暴露」からも明白である。

 レインは証人供述書や、信用があるにしてもほとんどそれに値しないそのほかの種類の証拠に頼っていることを、アイゼンバーグ(委員会の主要スタッフ)は今や知っていた。刑法に実務経験がないアイゼンバーグは、まじめな犯罪学者がいわゆる目撃者の宣誓証言にほとんど価値を置いていないことを知って困惑した。…アイゼンバーグが読んでいる文献では、目撃者はきまって事実を誤解していた。/さらに信用できないのが、犯罪現場で自分が耳にしたことについての証人の証言だった――いわゆる”耳撃者"の証言である。それは多くの場合、はっきりと間違っていた。とくにディーリー・プラザのような比較的都市部に近い空間では。あの場所では、銃撃の音は好き勝手に跳ね返り、証人たちは命からがら逃げていたので、パニックを起こして、自分が聞いているものにほとんど関心を払っていなかった。

 要するに、犯罪捜査に関し「目撃証言の証拠能力は信用しない」との独自の見解を、委員会スタッフが素人(アイゼンバーグは本業は弁護士)の読書経験から抱いたのだという。だからどうしたというのだろう。だとすれば、委員会が大真面目に現にこうして証言録取を行っているのは一体何なのか? 単独犯行説に都合のいい「目撃者」「耳撃者」の証言は採用しているというのに、証人の証言そのものを信用しないという、その矛盾はどうしたことなのか。

 ともあれ、それに対して、夫人の証言はギリギリの抵抗を試みているという印象を受ける。そして見聞きした経験のみを淡々と、そして正確に語り、その意味するところは聞き手の側の判断に任せるとしているのは、パークランド病院のペリー医師の場合と同じである。しかし、委員会が聞く耳を持たないことが明らかである以上、そのメッセージは国民や後年の世代に向けられていたと推察される。

 現に、私たちは夫人の証言から真実を垣間見ることができるわけだ。



2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (newspeak)
2019-03-05 18:57:45
JFK好きにとって補足となる記事の数々、ありがとうございました。ガバガバ論理の単独犯説が大手を振り続けている現実に私も戦慄している一人です
返信する
Unknown (type1974)
2019-03-07 22:19:52
newspeakさん、コメントありがとうございます。書いている記事のネタ元はほとんどがネットで拾ったもので、断片を継ぎ合せたものにすぎません。本当に、いまだに通用している単独犯行説の、なんとガバガバなことか…
返信する

コメントを投稿