愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

八幡濱第一防空壕の古写真発見!

2001年02月26日 | 地域史
このところ、話題になっている八幡浜市幸町の「八幡濱第一防空壕」。
本日午後、私が別件で八幡浜の弘法大師伝説を聞き取りしようと、松柏の知人宅を訪れたところ、その近所に、この防空壕の昭和16年2月に撮影された古写真を持っている方がいることを教えてもらった。早速、拝見させてもらい、写真撮影もしてみた。
この写真は、所蔵者の父が戦前からのものを丁寧にアルバムに整理されていた中の一枚だった。現在残っている防空壕跡と同じく、丸形の内部屋根になっている。電球や椅子も確認できる。現状とさほどかわりのない写真だ。やはり、この防空壕の現在の保存状態は極めて良好と改めて確認できた。
さて、その写真の脇には付箋が貼られ、「昭和十六年二月竣工、愛媛縣八幡浜市幸町、四国最初之防空壕」と記されていた。事実か否か確認していないが、四国ではじめての防空壕という記述には驚かされた。また、竣工が昭和16年2月であり、未だ太平洋戦争も始まっていない頃である。何故に防空壕を作ったのか、その理由がよくわからない。当時の新聞記事を確認したり、地元幸町の古老からの聞き取りなどで調べてみる必要がありそうだ。

情報提供 大本 2001/02/26

三崎町のカワウソ伝承

2001年02月26日 | 口頭伝承
西宇和郡三崎町三崎に住む山本義麿さん(大正4年生まれ)から、三崎のカワウソ伝承を聞くことができた。山本さんが少年時代に聞いた話なので、昭和時代初期以前のことになるだろうか。
話の内容は次の通りである。
三崎から高浦に通じる海岸沿いの道は、現在では舗装されて二車線になっているが、昔は小道であった。この小道沿いの海にカワウソが多数生息していた。三崎ではカワウソのことを「オソ」と呼んでいるが、夜遅く、高浦のある男が三崎から帰るため、この道を歩いていると、海の方から「こっち来い、こっち来い」というオソの声が聞こえてきた。男はその声につられて、浜辺に降りて、そのまま海の中にじゃぶじゃぶと入って行き、引き込まれそうになった。そこを通りがかった別の人が、男に何をしているのかと聞くと、「わしは道を歩きよる」と答えた。男は、オソに化かされそうになったことを、そこでハッと気付いたという。三崎では、宴会や葬式などで酒を飲んだ後に、ふらふらしている人がいると、「オソに化かされんなよ」とよく言っていた。実は、高浦への小道ではオソが化かすというので、供養しようということになり、カワウソを彫刻した地蔵を作り、海岸端に他の地蔵とともに祀った。そのカワウソの石像は現在、三崎八幡神社の境内に移されている。三崎方面では、化かしたり、祟ったりする動物を供養するため、カワウソ以外にも、猫地蔵や狸地蔵が作られている。猫地蔵は川本というところにあり、有名な三崎のアコウ樹の上の農道近くに祀られている。また、狸地蔵は、三崎の伝宗寺境内に祀られている。また、三崎にはオソゴエという地名が何カ所か残っている。これは湾の出鼻に小さく窪んだ峠があり、そこをカワウソが通るというので、その地名が付いた。現在でも高浦、正野に残っている。また、三崎町名取では、カワウソに化かされて亡くなった人もいると聞いたことがある。
以上のようなものである。
名取の件については、保内町の木村明人さんから、以前教えてもらった話だが、名取の岡の川にも昔カワウソにだまされて、タネに落ちて死んだ跡、といって地蔵が祀られているらしい。「昭和二年古川清七」という銘の入った石塔があるということだ。

2001年02月26日