愛媛県歴史文化博物館で開催した平成12年度企画展『愛媛まつり紀行』の図録に掲載した愛媛県における鹿踊の分布図。
江戸時代初期に仙台伊達家から伊達政宗の長子である秀宗が宇和島に入部したことに起因して、東北地方の鹿踊が宇和島藩、吉田藩領内とそこに隣接する地域に伝播している。
松山藩や今治藩など中予、東予地方には全く見られない。
この分布図を見ていただければ、鹿踊が東北地方ルーツの南予文化であることがよくわかっていただけるかと思う。
【補足】宇和島藩初代藩主の伊達秀宗が宇和島に来たのが慶長20年(元和元年、西暦1615年)。そして明暦3(1657)年に秀宗の子・宗純が分治されて吉田藩主となります。宇和島藩、吉田藩の範囲は、現在の伊方町、八幡浜市、大洲市の一部、西予市、宇和島市、鬼北町、松野町、愛南町、宿毛市の沖之島の一部です。ほぼ東西南北宇和郡といえます。
江戸時代初期に仙台伊達家から伊達政宗の長子である秀宗が宇和島に入部したことに起因して、東北地方の鹿踊が宇和島藩、吉田藩領内とそこに隣接する地域に伝播している。
松山藩や今治藩など中予、東予地方には全く見られない。
この分布図を見ていただければ、鹿踊が東北地方ルーツの南予文化であることがよくわかっていただけるかと思う。
【補足】宇和島藩初代藩主の伊達秀宗が宇和島に来たのが慶長20年(元和元年、西暦1615年)。そして明暦3(1657)年に秀宗の子・宗純が分治されて吉田藩主となります。宇和島藩、吉田藩の範囲は、現在の伊方町、八幡浜市、大洲市の一部、西予市、宇和島市、鬼北町、松野町、愛南町、宿毛市の沖之島の一部です。ほぼ東西南北宇和郡といえます。