写真は平成8年頃に撮影したものである。
佐田岬半島の瀬戸町(現伊方町)三机の八幡神社の秋祭り。
10月15日。いまはそれに近い週末に行われている。
この写真は、奥の牛鬼と手前の四つ太鼓が鉢合わせをしている勇壮なシーン。
三机の牛鬼も、一般に知られた宇和島型の牛鬼とは形相が異なって面白い。
見ていただきたいのが手前の四つ太鼓。
地元では四つ太鼓と呼ばれているが、中央に太鼓を乗せて、それを4人の子どもが叩く。
四本柱があって、その上に布団屋根がある。
その布団屋根。上から白、赤、青、黄、緑の5枚が重ねられている。
西日本各地に見られる典型的な布団屋台。
愛媛では太鼓台と呼ばれるものである。
でも地元では太鼓台とは呼ばない。
興味深いのは、一番上の布団の模様。
白、赤、青、黄、緑の格子模様。
似た模様は、新居浜市の太鼓台の天幕。
この三机の布団の頂部の模様は、普通に担いでいると、観客には見えない。
斜めになった際にチラッと見えるだけである。
それを考えると、新居浜の太鼓台の天幕の起源は、
布団の頂部の格子模様を観客に見てもらいやすいように半円状に膨らませた。
このように勝手に推測してみた。
史実を確認していないので断定はできないが、
新居浜の太鼓台の天幕はかなり昔は膨らんでいなかった、という記述はよく目にする。
祭りの際に、布団の頂部の模様まで観客に「見せる」ために、
膨らませて半円状にしたのではないか。
あと、この三机の四つ太鼓。布団締め、幕や掛け布団に注目してもらいたい。
5枚の布団を締めている紐状のものが見られるが、これに金糸の刺繍を加えていくと
新居浜などの太鼓台に見られる昇龍、降龍などが装飾された布団締めとなる。
四本柱の上(布団の下)に柱をぐるりと巻かれた幕。
これに刺繍装飾すれば、新居浜の太鼓台でいわれる上幕になる。
そして、子どもたちの背中に見られる高欄に掛けられた布団。
この布団に刺繍装飾をすれば、高欄幕となる。
もっと発達のプロセスを説明すると、
四国中央市に見られるもたれ布団。
もしくは新居浜の太鼓台の江戸時代、嘉永年間の記録に「もたれ布団」の記述。
現在のように、高欄幕が新居浜で発達したのは、
三机の四つ太鼓のような高欄掛けの布団に刺繍装飾がなされ、
それが四国中央市の太鼓台のようなもたれ布団として、
かき棒の上にもたれる形で斜めに配置される。
この形状は四国中央市から香川県西讃に見られる典型である。
ところが、このもたれ布団。
かき棒の上で斜めに置かれると、観客からは十分に見えない。
折角の豪勢な刺繍である。これは観客に十分に「見せる」ためには、
斜めではなく、垂直に立ててしまった方がよい。
このように四国中央市型太鼓台のもたれ布団が、
新居浜太鼓台の高欄幕へと発展、変化したのではないかと推察している。
天幕にしろ、上幕、高欄幕、もたれ布団など、
これら発展のプロセスを考えるヒントとして、
佐田岬半島の三机地区の四つ太鼓は非常に参考となる。
愛媛の太鼓台文化圏。
新居浜市や四国中央市だけではなくて、
佐田岬半島をはじめ、南予地方各地に見られる四つ太鼓。
また、上島町の弓削や生名などしまなみ海道沿いや忽那諸島の津和地島などに見られる
地元で「だんじり」と呼ばれる布団屋台(太鼓台)。
こう見ると、広い範囲にわたってくる。
太鼓台文化は、新居浜市、四国中央市だけで当然、完結するものではない。
愛媛の各所に伝承された布団屋台の装飾は豪華絢爛ではないかもしれない。
でもこのような素朴な布団屋台(太鼓台)も無視するわけにはいかない。
佐田岬半島の瀬戸町(現伊方町)三机の八幡神社の秋祭り。
10月15日。いまはそれに近い週末に行われている。
この写真は、奥の牛鬼と手前の四つ太鼓が鉢合わせをしている勇壮なシーン。
三机の牛鬼も、一般に知られた宇和島型の牛鬼とは形相が異なって面白い。
見ていただきたいのが手前の四つ太鼓。
地元では四つ太鼓と呼ばれているが、中央に太鼓を乗せて、それを4人の子どもが叩く。
四本柱があって、その上に布団屋根がある。
その布団屋根。上から白、赤、青、黄、緑の5枚が重ねられている。
西日本各地に見られる典型的な布団屋台。
愛媛では太鼓台と呼ばれるものである。
でも地元では太鼓台とは呼ばない。
興味深いのは、一番上の布団の模様。
白、赤、青、黄、緑の格子模様。
似た模様は、新居浜市の太鼓台の天幕。
この三机の布団の頂部の模様は、普通に担いでいると、観客には見えない。
斜めになった際にチラッと見えるだけである。
それを考えると、新居浜の太鼓台の天幕の起源は、
布団の頂部の格子模様を観客に見てもらいやすいように半円状に膨らませた。
このように勝手に推測してみた。
史実を確認していないので断定はできないが、
新居浜の太鼓台の天幕はかなり昔は膨らんでいなかった、という記述はよく目にする。
祭りの際に、布団の頂部の模様まで観客に「見せる」ために、
膨らませて半円状にしたのではないか。
あと、この三机の四つ太鼓。布団締め、幕や掛け布団に注目してもらいたい。
5枚の布団を締めている紐状のものが見られるが、これに金糸の刺繍を加えていくと
新居浜などの太鼓台に見られる昇龍、降龍などが装飾された布団締めとなる。
四本柱の上(布団の下)に柱をぐるりと巻かれた幕。
これに刺繍装飾すれば、新居浜の太鼓台でいわれる上幕になる。
そして、子どもたちの背中に見られる高欄に掛けられた布団。
この布団に刺繍装飾をすれば、高欄幕となる。
もっと発達のプロセスを説明すると、
四国中央市に見られるもたれ布団。
もしくは新居浜の太鼓台の江戸時代、嘉永年間の記録に「もたれ布団」の記述。
現在のように、高欄幕が新居浜で発達したのは、
三机の四つ太鼓のような高欄掛けの布団に刺繍装飾がなされ、
それが四国中央市の太鼓台のようなもたれ布団として、
かき棒の上にもたれる形で斜めに配置される。
この形状は四国中央市から香川県西讃に見られる典型である。
ところが、このもたれ布団。
かき棒の上で斜めに置かれると、観客からは十分に見えない。
折角の豪勢な刺繍である。これは観客に十分に「見せる」ためには、
斜めではなく、垂直に立ててしまった方がよい。
このように四国中央市型太鼓台のもたれ布団が、
新居浜太鼓台の高欄幕へと発展、変化したのではないかと推察している。
天幕にしろ、上幕、高欄幕、もたれ布団など、
これら発展のプロセスを考えるヒントとして、
佐田岬半島の三机地区の四つ太鼓は非常に参考となる。
愛媛の太鼓台文化圏。
新居浜市や四国中央市だけではなくて、
佐田岬半島をはじめ、南予地方各地に見られる四つ太鼓。
また、上島町の弓削や生名などしまなみ海道沿いや忽那諸島の津和地島などに見られる
地元で「だんじり」と呼ばれる布団屋台(太鼓台)。
こう見ると、広い範囲にわたってくる。
太鼓台文化は、新居浜市、四国中央市だけで当然、完結するものではない。
愛媛の各所に伝承された布団屋台の装飾は豪華絢爛ではないかもしれない。
でもこのような素朴な布団屋台(太鼓台)も無視するわけにはいかない。