愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

牛鬼の額の前立は何を意味するのか?

2013年10月01日 | 祭りと芸能
宇和島の牛鬼の額にある前立。太刀受けと言われたり、月輪と言われたりするけれど、南予周縁部には日輪が多いので太刀受け説は厳しい。某報道機関から、宇和島だけに伊達政宗の前立に影響されたというのは本当か?と問合せがあったがそれはちょっと難しい。

牛鬼の額の前立のようなもの。私が考えているのは、これが雲形台と神鏡との説。つまり牛鬼は、ご神体が載せられた神輿の先駆、神様の前にいる存在であることを示す。そのための鏡とその台。これは平成12年に開催した企画展「愛媛まつり紀行」のときに南予全域の牛鬼を比較して出した説。その時にはいろいろ解説したり、書いたりしたが、神鏡、雲形台説はなかなか広まっていない。

たとえば写真の愛南町の岩水の牛鬼。これはまさに神鏡、雲形台である。その他にも西予市野村町惣川、高知県沖の島の母島などがこの形である。牛鬼の分布の周縁部にこの形が見られ、中央部の宇和島に月輪が見られる。おそらく月輪は発展系というか、簡略化されたものと思われる。宇和島の隣の吉田では月輪ではあるが丸い板に月輪を表現している。似たような事例に鬼北町清水がある。こちらは一見、月輪だがよく見ると日輪の真ん中がくりぬかれた形となっている。つまり愛南や惣川など周縁部には日輪つまり神鏡・雲形台があり、宇和島は月輪。その中間領域の鬼北や吉田には変化の途中と思われる前立が見られる、という分布になっている。これは一種の周圏論と見てもいい。

伊達政宗由来説ではない。牛鬼の出現は18世紀半ば以降である。伊達の入部からは150年以上は過ぎている。祭り自体の伝承も伊達がらみの話は聞かない。仙台から伝播したことが確実な鹿踊でさえ伊達家との直接的なつながりは見られない。宇和島や吉田の祭礼の人形屋台もいろんな物語を表現して人形や彫刻や立体刺繍幕を飾っているが、そこに藩主である伊達家に関する物語は表現しない。おそらく当時の宇和島や吉田の町人ではそれは憚られたのかもしれない。

このように牛鬼の前立が伊達政宗の甲冑に由来して、月輪型となっているという説。これはちょっと考えにくいと思い、いま一度、神鏡・雲形台説を書いてみました。