仏さま、ご先祖さまを「ののさん」って呼ぶけれど、この語源は何なのだろう?
いつものごとく『日本国語大辞典』を開いてみると、「のの」の項目があって、これは幼児語であり、神、仏や日、月などすべて尊ぶべきものをいう語であると解説されている。仏さまを指すだけではなかった。ホント、いろんな意味がある。老僧(秋田県、千葉県)を指したり、曾祖父母(千葉県)、祖父(福井県)、老年の父親(宮崎県)、父(徳島県)、兄(三重県)、曾祖母(千葉県)、祖母(千葉県)などを指したり、地域によってさまざまである。
この語源を特定するのはなかなか難しい。『日本国語大辞典』では、(1)鳴神(なるかみ)の音をいうノノメクから出た語(久保田の落穂)、(2)如来の意の如如の転か(物類称呼)、(3)ノム(祈る)の転か(嬉喜笑覧)、(4)南々の義。南は南無阿弥陀仏の南(燕石雑誌)。以上の4つの説が紹介されている。幼児語ということは日常に用いられる言葉が転訛したと見るべきで、そうなれば(4)の南無阿弥陀仏の南々が適当かと思われるが、確証はない。
長野県北部や新潟県では月のことを「ののさま」というようだが、南無阿弥陀仏の転訛での「のの」とすれば、なぜ日、月の意味も出てくるのか。よくわからない。
そもそも祖父など存命の老齢の者を「のの」と呼ぶ事例も多いが、私は仏さま、死者を意味する言葉だという感覚が強いので、元気なおじいちゃんを「ののさん」といったら不謹慎だと思ってしまう。生きているおじいちゃんに対して南無阿弥陀仏なんて言わないし、やはり南々説もちょっと無理がある。
ただ、僧侶や老齢者が死者を祀る際に「南無阿弥陀仏」もしくは「南無妙法蓮華経」もしくは「南無大師遍昭金剛」を唱えることはあるので、そこから来た言葉と解釈すれば理解できなくもない。祀られる仏、祀る僧侶や老齢者。どちらの側というのは関係なく、その関係性を有する両者を、幼い者の立場では「南々」としたのかもしれない。
すっきりしないが、まあ、今後の課題としておこう。
いつものごとく『日本国語大辞典』を開いてみると、「のの」の項目があって、これは幼児語であり、神、仏や日、月などすべて尊ぶべきものをいう語であると解説されている。仏さまを指すだけではなかった。ホント、いろんな意味がある。老僧(秋田県、千葉県)を指したり、曾祖父母(千葉県)、祖父(福井県)、老年の父親(宮崎県)、父(徳島県)、兄(三重県)、曾祖母(千葉県)、祖母(千葉県)などを指したり、地域によってさまざまである。
この語源を特定するのはなかなか難しい。『日本国語大辞典』では、(1)鳴神(なるかみ)の音をいうノノメクから出た語(久保田の落穂)、(2)如来の意の如如の転か(物類称呼)、(3)ノム(祈る)の転か(嬉喜笑覧)、(4)南々の義。南は南無阿弥陀仏の南(燕石雑誌)。以上の4つの説が紹介されている。幼児語ということは日常に用いられる言葉が転訛したと見るべきで、そうなれば(4)の南無阿弥陀仏の南々が適当かと思われるが、確証はない。
長野県北部や新潟県では月のことを「ののさま」というようだが、南無阿弥陀仏の転訛での「のの」とすれば、なぜ日、月の意味も出てくるのか。よくわからない。
そもそも祖父など存命の老齢の者を「のの」と呼ぶ事例も多いが、私は仏さま、死者を意味する言葉だという感覚が強いので、元気なおじいちゃんを「ののさん」といったら不謹慎だと思ってしまう。生きているおじいちゃんに対して南無阿弥陀仏なんて言わないし、やはり南々説もちょっと無理がある。
ただ、僧侶や老齢者が死者を祀る際に「南無阿弥陀仏」もしくは「南無妙法蓮華経」もしくは「南無大師遍昭金剛」を唱えることはあるので、そこから来た言葉と解釈すれば理解できなくもない。祀られる仏、祀る僧侶や老齢者。どちらの側というのは関係なく、その関係性を有する両者を、幼い者の立場では「南々」としたのかもしれない。
すっきりしないが、まあ、今後の課題としておこう。