愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

「 大法寺マリヤ像と妙見信仰2」

2000年06月15日 | 八幡浜民俗誌
 市内大門にある大法寺マリヤ像は、像容や台座に刻まれた亀から考えると実はマリヤ像ではなく妙見菩薩像ではないかというのが私の見解であるが、ここでは、八幡浜地方の妙見信仰について紹介してみたい。 『愛媛県神社誌』を見てみると、県内に妙見を祀る神社は現在十三社あるが、八幡浜地方の神社には祀られていない。しかし、宝暦十(一七六〇)年にまとめられた「宇和島領神社記」(愛媛県立図書館蔵)を見てみると、宇和島藩領内には妙見社が全部で十二社あり、八西地方でも、日土村二田ノ藪の「妙剣牛頭神社」、同村足田の「明剣神社」、同村森山の「明剣神社」、布喜之川村の「妙剣神社」、伊方浦の「妙剣神社」が記されている。(妙見は持物として剣を持つことが多いことから「妙剣」、「明剣」とも表記される。) また、ミョウケンという地名を『角川地名辞典』で探してみると、各地に残っていることがわかる。八幡浜市日土町の「妙見」、高野地の「ミヨキンタ(妙見田か?)」、伊方町伊方越の「明見へし」などである。これ以外にも私の聞き取り調査で伊方町湊浦や瀬戸町三机などにミョウケンの地名を確認している。その他にも、市内国木の陣ヶ森にある一メートル程の祠には「八大龍王、金毘羅大権現、妙見菩薩」と刻まれており、江戸時代にはこの地方にも各地で妙見信仰が存在したことがわかる。妙見信仰は、日蓮宗において信仰されたものとよく言われるが、それ以外にも修験道で祀られたり、神社で祀られるなど、広く民間に浸透していた信仰であったが、八幡浜地方も例外ではなかったのである。 さて、大法寺マリヤ像は実はマリヤ像ではないのではないかという議論は前々からあったようである。以前、奈良国立博物館の技官がこれは道教の神像ではないかと言ったそうであるが、日本では特に修験道の中に道教思想の影響が顕著に見られるとされる。 このようなことから、大法寺マリヤ像はもともと、江戸時代の修験道の妙見信仰により造像されたものと思われるが、それが明治時代初期の修験道廃止や廃仏毀釈により、その信仰が途絶え、いつしかそれが何の像であるのかわからなくなったのではないか。それを戦後、平櫛田中らがこの像を隠れキリシタンのマリヤ像と認定し、その解釈を以て市の有形文化財に指定し、マリヤ像として現在に至っているのである。 この大法寺マリヤ像が妙見菩薩像であると断定するには、今後、愛媛県内の他の妙見菩薩像との比較が必要となるが、今回は一つの仮説として提示してみた次第である。

2000年06月15日 南海日日新聞掲載


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