愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

川名津柱松6-山口県岩国市行波の神舞との比較-

2001年04月20日 | 八幡浜民俗誌
川名津柱松6-山口県岩国市行波の神舞との比較-

 神楽と柱松行事が一体となっている川名津柱松と類似した祭りに、山口県岩国市行波の神舞(ゆかばのかんまい)がある。これは毎年行われるものではなく、七年に一度行われる行事で、現在、国指定重要無形民俗文化財に指定されている。先日の四月七、八日に実施されたので、川名津柱松との比較検討を試みるため、私も見学に出かけてみた。
 この行波の神舞の特色を挙げてみると、川畔に松の木で作った四間四方の神殿が設けられ、ここで神楽が奉納される。神殿の中央には天井から天蓋が吊り下げられ、この天蓋を上下左右に揺らしながら神楽を舞う。神殿から二十間離れた位置には柱松が立てられ、松の高さは十三間半(約二十五メートル)と決められている。柱松の頂上には日月星をあらわす赤白銀の三色の鏡をかたどった輪形が飾られる。
 川名津柱松でも、神楽を舞うハナヤと呼ばれる神楽屋が設けられ、ハナヤの中央には天蓋が吊り下げられている。この天蓋を神楽の「巴那の舞」の時に紐でゆすって色紙や紙吹雪をまき散らす。また、ハナヤの西側には十二間の高さの柱松が立てられる。なお、この高さは閏年には十三間という決まりになっている。このように神楽・柱松が行われる設えに両者の共通性は多い。設えで大きく異なるのは、行波では神殿から柱松までの間が二十間あり、その間に八関と呼ばれる八つの小屋を立て、柱松登りの前に鬼神と奉吏(ほうり)が八人づつ小屋の前に立ち、問答をすることである。松登りをする者はこの八関を越えてから、松に登るのである。しかし、設えの面では川名津とは異なっているが、川名津でも柱松の下に木組みで「関」というものを作り、松登りするダイバンはそこで祈祷をしてから松明を背負って松に登る。神殿と柱松の間を「関」と呼ぶことについては共通しているのである。
 松登りに関しては、川名津ではダイバンが松明を背負って登り、柱松頂上にて鎮火の祈願をして松明を下に投げ落とし、そして頂上に据え付けられたショウジョウサマと呼ばれる藁人形や白木綿も下に投げる。その後に東方の綱をわたって曲芸的な所作をしながら地上に降りてくる。行波では、松登りをする者は松明を背負うわけではないが、柱松の頂上で、日月星の輪形に点火することになっている。点火しない場合には、頂上部の松の小枝をちぎって、下に投げ落とす。観客は、縁起物になるからといってこれを我先にと拾おうとする。投げ終わった後、川名津と全く同じように曲芸的な所作をしながら地上に降りるのである。
 実際に行波の神舞を見学すると、あまりにも川名津柱松との共通していることが多いのに目を奪われてしまう。川名津柱松の起源については不明な点が多く、これら県外の事例と比較検討することで、明らかになることが多いと思われる。この点については、別稿で紹介することにしたい。

2001/04/20 南海日日新聞掲載


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