「めんどしい」という方言
唐突ではあるが、私の妻は伊予郡松前町、つまり中予地方の出身である。同じ愛媛県内の出身者同士ということで、結婚当初から夫婦間に言葉や慣習にさほど違和感の無いまま、これまで暮らしてきたつもりだったが、先日、私がある事で妻に対して「めんどしいんじゃないか」と声をかけると、妻からは「私は面倒くさくないわよ」という返事が返ってきた。「めんどしい」が見苦しいという意味だと理解していなかったのである。
その時初めて「めんどしい」が南予独特の方言だということに気付いた。その後、東予地方や県外の知人に「めんどしい」の意味がわかるかと聞くと、必ず「面倒だ・わずらわしい」の意味が帰ってきた。これは南予人にしか通じない言葉だったのである。
気になったので、小学館『日本国語大辞典』の「面倒」に類する言葉を拾い読みしてみたが、見苦しいという意味で「めんどしい」を使う地域は、愛媛県南予地方以外に全国どこにも見つけることができなかった。
この辞典によると、「面倒」にはもともと、四つの意味があるようである。一つ目はわずらわしいこと。これはごく一般的に使われる意味である。二つ目は、困る、大変だという意味である。これは北陸地方で聞くことのできるもので、例えば富山県氷見では「家内が亡くなってめんどなことになりました」と使う。ここでの「めんどう」は、困った、大変なという意味で、決して、葬式を挙げるのがわずらわしいと言っているわけではない。
三つ目は、恥ずかしいという意味である。南予の「めんどしい」にも恥ずかしいというニュアンスは含まれているが、徳島県海部郡では「人に見られるのはめんどい(恥ずかしい)」と言い、高知県幡多郡や大分県大野郡、長崎県平戸でも同様の使い方をする。純粋に恥ずかしいといった意味なのである。
そして四つ目が見苦しいの意味である。この意味の「めんどしい」は、全国でも南予地方以外は確認できないが、岡山県や近畿地方から北陸地方にかけての広い範囲では見苦しいことを「めんどい」と言っている。南予の「めんどしい」に最も近い用法であろう。
さて、『広辞苑』によると、面倒の語源は、馬道のことをメンドウといい、そこを通るのがわずらわしいからという説明をしている。しかし、この説では、「わずらわしい」は説明できても、「恥ずかしい」や「見苦しい」の意味は説明がつかない。やはり、「面」つまり体裁・表面が倒れる(もしくは崩れる)ことから、見苦しいという意味になり、そこから人前では恥ずかしいという意味が出てきたのではないか。
このように、南予地方の「めんどしい」は『広辞苑』の語源説をも覆す良い材料になったのである。
2001/03/01 南海日日新聞掲載
唐突ではあるが、私の妻は伊予郡松前町、つまり中予地方の出身である。同じ愛媛県内の出身者同士ということで、結婚当初から夫婦間に言葉や慣習にさほど違和感の無いまま、これまで暮らしてきたつもりだったが、先日、私がある事で妻に対して「めんどしいんじゃないか」と声をかけると、妻からは「私は面倒くさくないわよ」という返事が返ってきた。「めんどしい」が見苦しいという意味だと理解していなかったのである。
その時初めて「めんどしい」が南予独特の方言だということに気付いた。その後、東予地方や県外の知人に「めんどしい」の意味がわかるかと聞くと、必ず「面倒だ・わずらわしい」の意味が帰ってきた。これは南予人にしか通じない言葉だったのである。
気になったので、小学館『日本国語大辞典』の「面倒」に類する言葉を拾い読みしてみたが、見苦しいという意味で「めんどしい」を使う地域は、愛媛県南予地方以外に全国どこにも見つけることができなかった。
この辞典によると、「面倒」にはもともと、四つの意味があるようである。一つ目はわずらわしいこと。これはごく一般的に使われる意味である。二つ目は、困る、大変だという意味である。これは北陸地方で聞くことのできるもので、例えば富山県氷見では「家内が亡くなってめんどなことになりました」と使う。ここでの「めんどう」は、困った、大変なという意味で、決して、葬式を挙げるのがわずらわしいと言っているわけではない。
三つ目は、恥ずかしいという意味である。南予の「めんどしい」にも恥ずかしいというニュアンスは含まれているが、徳島県海部郡では「人に見られるのはめんどい(恥ずかしい)」と言い、高知県幡多郡や大分県大野郡、長崎県平戸でも同様の使い方をする。純粋に恥ずかしいといった意味なのである。
そして四つ目が見苦しいの意味である。この意味の「めんどしい」は、全国でも南予地方以外は確認できないが、岡山県や近畿地方から北陸地方にかけての広い範囲では見苦しいことを「めんどい」と言っている。南予の「めんどしい」に最も近い用法であろう。
さて、『広辞苑』によると、面倒の語源は、馬道のことをメンドウといい、そこを通るのがわずらわしいからという説明をしている。しかし、この説では、「わずらわしい」は説明できても、「恥ずかしい」や「見苦しい」の意味は説明がつかない。やはり、「面」つまり体裁・表面が倒れる(もしくは崩れる)ことから、見苦しいという意味になり、そこから人前では恥ずかしいという意味が出てきたのではないか。
このように、南予地方の「めんどしい」は『広辞苑』の語源説をも覆す良い材料になったのである。
2001/03/01 南海日日新聞掲載