愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

佐田岬半島の裂織り文化

2000年03月23日 | 八幡浜民俗誌

 先日発売された、東京の文化出版局から刊行されている雑誌『季刊銀花』百二十一号に愛媛県佐田岬半島の裂織りの特集記事が紹介されていた。
 裂織りとは、たて糸に麻、木綿などの丈夫な糸を用い、よこ糸に細く裂いた古い木綿布を使用した織物のことである。
 この裂織りの分布は東北地方や佐渡、丹後地方などの日本海側と五島列島、鹿児島県甑島、奄美大島などの南日本島嶼部に見られるが、これまでは愛媛県佐田岬半島にまとまって裂織りの文化が伝承されているとは全国的には全く知られていなかった。
 数年前、愛媛県歴史文化博物館の学芸員の今村賢司氏の精力的な調査により、その全容がはじめて紹介され(註)、昨年「裂織りの美・技・こころ」という展示会も同博物館で開催されたことで、全国に知られるようになり、今回の『季刊銀花』の特集記事になったわけである。
 佐田岬半島では、裂織りの仕事着、帯が昭和40年代まで使用されていたが、地元での名称は「ツヅレ」「オリコ」であり、「裂織り(サキオリ)」とは言っていなかった。佐田岬半島の「ツヅレ」「オリコ」文化を「裂織り」文化と名付け、全国的にも貴重な民俗文化であると言い始めたのは地元以外の人間である。地元の人達は、これらを一般的にどこにでもある野良着として使っていたため、粗末に扱っていた。当然それを全国的にも貴重な織物文化の遺産であるとは認識していなく、「ツヅレ」「オリコ」を佐田岬半島という「内からの眼」からでしかとらえていなかったのである。今村氏の調査成果や今回の雑誌『季刊銀花』での紹介は「外からの眼」によるものである。
 現代の民俗文化の継承には、地元の人達も「外からの眼」を持って、自分達の文化を見つめるという視点が必要だと私は考えている。 佐田岬半島の人達が、「ツヅレ」「オリコ」を、現在は使用しないので捨てられるべき野良着として扱うのではなく、全国的視野から見て、その貴重性を認識するという、伝承者自身も「外からの眼」を持てるようになり、この文化遺産を継承していこうという流れになっていくことを、私は願ってやまないのである。
註 『佐田岬半島の仕事着ー裂織りー』愛媛県歴史文化博物館 一九九九年
  今村賢司「愛媛県佐田岬半島の仕事着」『月刊染織α』二一一号 一九九九年

2000年03月23日南海日日新聞掲載

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