愛媛の伝承文化

大本敬久。民俗学・日本文化論。災害史・災害伝承。地域と文化、人間と社会。愛媛、四国を出発点に考えています。

防空壕

2006年08月20日 | 地域史
8月16日に地元放送局のニュースで八幡浜第一防空壕について取り上げられ、私も少しコメントする。コメント内容は次の通り。

第一次世界大戦以降、航空兵器の登場と発達する。それによって空襲という新しい戦闘形態が生まれる。そして昭和6年、満州事変を契機とした防空への関心の高まり。「防空演習」が各地で行われるようになる。

愛媛県でも、昭和6年8月に、八幡浜で最初の防空演習が行われる。
八幡浜近隣の小学校の日誌を見ても、この時期に定期的に防空演習は実施されている。

昭和12年には防空法が制定され、消防・避難などの訓練を行う「防空演習」が各地で、本格的に行われる。

昭和14年に、警防団が結成される。(警察の管轄下に「防護団」と「消防組」を統合した「警防団」が設置。)これにより防空体制をさらに強化。

昭和15年には、全国各地で電気・水道などの設備の整った本格的な防空壕が建設される。(当時の内務省主導)

昭和15年10月に、「防空協会愛媛支部」の結成。これは警察中心の組織・防空体制の強化を意図したもの。

そして、八幡濱第一防空壕の建設。(四国最初の本格的防空壕とされる。)
昭和15年5月起工。
昭和16年2月21日完成・・・・・昭和16年12月以降の太平洋戦争開始以前!
照明や水道・トイレ・長いすなどを完備。
実際に、米軍機による空襲で退避に用いられたり、病院の薬品庫として使われる。

これは実際に空襲が始まって、作られたものではない。
戦争が激化する以前に、すでに「国民防空体制」ともいうべき戦時体制が整えられ、
施設整備も行われた上で、太平洋戦争へと突入していったことを物語っている。

防空壕というと、空襲被害との直接的な繋がりで語られやすいが、昭和6~16年と、いかに日本が戦争に突入する体制を作ってきたかという歴史を地域住民の側から見つめ直す意味でも、非常に貴重な戦争遺産だと思う。

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