今の私は、郷土を語る時に「地方」という言葉を極力使いたくない。(南海日日新聞に連載中の「八幡浜地方の民俗誌」では「地方」を使っているが・・・。)
「地方」というと、どうしても対比語として「中央」が思い浮かんでくる。八幡浜が「地方」だとすると「中央」は東京であろうか。私は学生時代を東京で過ごし、就職の縁あって地元に帰郷したわけだが、正直「都落ち」したという感覚があった。東京に居れば、情報・物・人など様々な面で「地方」よりは恵まれていると頭の中は凝り固まっていたのだ。
日本列島は、山の頂きのように東京という「中央」が高い所にあって、「地方」は低いところに位置する。情報も、高いところから順に降りてきて、「地方」に届くまでには時間がかかる、もしくは降りてこない。「中央」に対するコンプレックスに私の20代半ばは苛まれていた。
ところが、ここ数年、インターネットが普及して、「地方」にいても情報不足に悩むことはなくなりつつある。しかも、自らホームページを作成して、「地方」からの情報発信も可能となった。
高くそびえるように見えていた東京という「中央」の山が、少し低く見えるようになってきたのだ。
私は、そこで「地方」という言葉を捨ててみようと思った。「地方」ではなく、「地域」だ!と。
東京も一つの地域であり、ここ八幡浜も地域である。どちらも平等であり、それぞれの個性を持っている。
最近はそのように思えるようになった。
さらには、国家という枠組みにも疑問を持ってしまった。政治、軍事上は国家は必要だが、人の生活情報に国境はもはや関係ない(とまでは言い切れないが、将来はそうなるかもしれない。)私が個人のホームページで英語バージョンを作ってみたのも、そういった理由からである。(下手くそな英語ではあるが・・・。取りあえず海外からのレスポンスがあるから、それで良しとしている。)
「地方」からそれぞれ個性を持った「地域」へと発想を転換することで、郷土への眼差しが違ってくるような気がする。言葉は悪いが、井の中の蛙的な郷土史は、内からの眼だけの作業であった。「地域」を考え、内からだけではなく、外からの眼でも郷土を見つめることができれば、かつての自分のコンプレックスが解消するのだろう。濱知の会でも、無意識のうちに「中央」と対比させられる「地方」ではなく、個を抱いた「地域」として地元を見つめる作業ができればいいと考えている。
大本敬久 2001/02/18
「地方」というと、どうしても対比語として「中央」が思い浮かんでくる。八幡浜が「地方」だとすると「中央」は東京であろうか。私は学生時代を東京で過ごし、就職の縁あって地元に帰郷したわけだが、正直「都落ち」したという感覚があった。東京に居れば、情報・物・人など様々な面で「地方」よりは恵まれていると頭の中は凝り固まっていたのだ。
日本列島は、山の頂きのように東京という「中央」が高い所にあって、「地方」は低いところに位置する。情報も、高いところから順に降りてきて、「地方」に届くまでには時間がかかる、もしくは降りてこない。「中央」に対するコンプレックスに私の20代半ばは苛まれていた。
ところが、ここ数年、インターネットが普及して、「地方」にいても情報不足に悩むことはなくなりつつある。しかも、自らホームページを作成して、「地方」からの情報発信も可能となった。
高くそびえるように見えていた東京という「中央」の山が、少し低く見えるようになってきたのだ。
私は、そこで「地方」という言葉を捨ててみようと思った。「地方」ではなく、「地域」だ!と。
東京も一つの地域であり、ここ八幡浜も地域である。どちらも平等であり、それぞれの個性を持っている。
最近はそのように思えるようになった。
さらには、国家という枠組みにも疑問を持ってしまった。政治、軍事上は国家は必要だが、人の生活情報に国境はもはや関係ない(とまでは言い切れないが、将来はそうなるかもしれない。)私が個人のホームページで英語バージョンを作ってみたのも、そういった理由からである。(下手くそな英語ではあるが・・・。取りあえず海外からのレスポンスがあるから、それで良しとしている。)
「地方」からそれぞれ個性を持った「地域」へと発想を転換することで、郷土への眼差しが違ってくるような気がする。言葉は悪いが、井の中の蛙的な郷土史は、内からの眼だけの作業であった。「地域」を考え、内からだけではなく、外からの眼でも郷土を見つめることができれば、かつての自分のコンプレックスが解消するのだろう。濱知の会でも、無意識のうちに「中央」と対比させられる「地方」ではなく、個を抱いた「地域」として地元を見つめる作業ができればいいと考えている。
大本敬久 2001/02/18