サッカーを見てたら格下イエメン相手に拙攻の連続。うとうと居眠りしてしまう。
起きたら試合が終わってて『PC羅生門』という刑事ドラマをやっていた(爆)。
日雇労働者みたいな女性が殺されて、彼女が可愛がっていた半野良犬みたいなのが鍵を握ってた話なんだけど、ラストシーンが大いに疑問だった。
事件が解決して、この犬をこれからどうする? 誰が飼う(飼い主は殺されてしまったから)……なんて刑事たちが話してると、犬が街中へ走り去ろうとする。追おうとする刑事を館ひろしが制止する。
「自由に生きさせてやれ」
あ、あほか!!!
平成15年の一年間で、殺処分となった犬は16万0,209 匹、猫は27万5,628 匹、合計では43万9,837 匹になる。これは、みんな無責任な飼い主が飼育を放棄した結果である。
「動物は責任をもって飼え」と、何度も言ってきた。しかし、やむを得ず、どうしても飼い続けることができなくなったら、捨てずに責任を持って処分しなさい。それが最低限の責任です。
捨てられた犬・猫は、自由に楽しく生きられりゃしないよ。保健所に捕獲されて安楽死させられるのは、まだマシな方であろう。おかしな人間に捕まって、手足を切り落とされて惨殺されたり、川や海に放り込まれたり、そんな悲惨な最期を遂げる元ペットだっている。
処分せずに捨てるのは、可愛がってるからじゃなく、自分が殺す最終決断をすることから逃避しているに過ぎない。
心無い人間に惨殺されたり、病に患って衰弱しながら生命尽きたり、恐怖に怯えながら保健所員に捕獲されたり、交通事故に遭ったり、敵に襲われたり、そんな可能性に頬かむりして「きっと今でも元気に生きているに違いない」などと信じ込むのは身勝手な責任回避でしかない。どうしても飼い続けることができず飼育責任を放棄するならば、せめて「この子の生命を絶つのは自分だ」という十字架くらいは背負うべきだ。
何度も言ってるが、軽い気持ちで動物を飼うな。一度、飼ったら最後まで面倒を見ろ。――そして、どうしても飼えない時は、責任を持って自分で処分しろ。
【追記】(2006.8.23)
坂東眞砂子とかいう直木賞作家が、日経新聞のコラムで、仔猫を崖から投げ落として惨殺したと書き、物議を呼んでいる。新エントリーを立てるのも腹立たしいので、追記にする。
筆者も同類と思われると困るので、基本姿勢を改めて述べておく。
1.軽々しい気持ち、一時的な誘惑で、生き物を飼うべからず。
2.一度飼ったら、死ぬまで面倒を見るのが責任。
3.他人に迷惑を掛けるべからず。
である。ムツゴロウさんのように動物王国を築くつもりなら別だが、1匹・2匹しか飼えないのなら、♂の去勢・♀の不妊処置は、当然の義務である。
「猫がそれを望んでない」???
SEXを「望む」生物なんて、人間くらいなんだよ、色呆けおばさん。動物の交尾は、種の保存のための生殖行為で、気持ちいいからやってる訳じゃありません(笑)。
繁殖した子たちを殺すしかないなら、繁殖を抑えるのが当たり前でしょ?
筆者も「最悪は処分するしかない」と言っているが、これは選択肢が他に何もなくなった場合の最終手段である。最初から殺害目的で交尾を容認するのとは根本的に異なる。さらに言えば処分とは、できるだけ苦痛を与えないで死に至らしめること。崖から突き落として殺すなど話にならない。
ともかく、この坂東眞砂子とかいう人は根本的な部分を理解していない。岩手大生が皮膚病患者をミイラと中傷したという記事で、大学生にもなってこんなことも解らないのかと書いたが、直木賞作家にもなってこんな事も解らない人間もいるんだなぁ。
ともかく、今後はフィクションだけを書いていればいい。小説の中なら、動物を殺すのも人間を殺すのも自由だからね。間違ってもエッセイなどには手を出さないこと。平気で載せる日経も日経だが。品性を疑う。
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