77回目の終戦の日。
山梨日日新聞 戦後77年
ー 気付きの先に ー
かつて太平洋戦争について学んだり、聞いたりして気付を得た人たち。
当時の経験をどのように振り返り、どのように今につなげているのか。その後をたどる。
という、山日新聞さんの特集で、教え子という言葉は何かピンとこないのだけれど、小学生の頃からピアノに通っていたなっちゃんが、取材を受けて、その記事が掲載されました。
不戦を思い、母から子へ
そのきっかけのひとつに「歌語り」をあげてくれた。
歌語りの遍歴を追うように、その当時のなっちゃんの置かれた立場が重なるように綴られていた。
2012年、結婚を機に、○△□(まる、三角、四角というお店)で「万歳峠」を企画してくれたあの時を鮮明に思い出す。
あの日は、ちょうど、私もテレビクルーに密着取材を受けていた時で、偶然にもテレビカメラ入りのコンサートになった。
そんな記憶から、記事を読みながら、その前後の時期になっちゃんと過ごした日々の記憶をひもといた。
幼少期、思春期、高校生になっても、音楽とともに一緒に過ごしてきた。
大学生、結婚式にもお呼ばれしました。
スタイルが抜群によくて、かつて私が知る限り、最高に綺麗な花嫁さんでした。
そして、女の子を授かり、まさに出産後、電話で声を聞いた。
・・色々思い出すことばかり。
結婚式の日、ちょうどこの日は日本の原発が一機も稼働していないというニュースがあったのを覚えている。
結婚式日和「安泰」という気持ちがよぎった。
もともと、とても優秀なお嬢さんで、気の強さも含めバランス良い感覚があると思う。
限りある記事スペースに書かれている以上の思いを持っている。
今や3人の子どもの母親。
歌語りどうの・・というより、仲睦まじいご主人と親子3人が、この取材をきっかけに、不戦への思いをあらためて言葉にすることに意味がある。
これから先も、節目節目に「歌語り」を思い出してくれる人が増えて、そこにある平和への個々の思いにつながってくれたら本望なのです。
歌語りはそんなきっかけのひとつになりたいのだから。
ご先祖さまに手を合わせ、今ある幸せに感謝した一日でした。
山日新聞さんありがとうございました。
私自身が取材を受けるより、歌語りの周知の効果ばつぐんじゃんねー
朝からびっくりの1日でした。
また頑張ろうっと!
なっちゃん、ひーくん、まこ ありがとう!!