
最近、電車の中で本を読む。週刊誌とか資料は読むのだが、いつもいぎたなくベッドで寝ころび濫読をするわたしにしては珍しい読書の習慣だ。この間、「吉本隆明1968 鹿島茂 平凡社新書」を読了する。
わたしは、生来、自他共に認める吉本隆明ファンだが、珍しいことにこの本は口語体で簡明に綴られており、非常に読みやすい。この本はフランス文学者・鹿島茂氏がまとめたもの。
吉本隆明物は、知っている人は知っている本だが、極めて難解な著作物である。逆にこのような感想文的にまとめられたものは少なく、いい傾向である。
わたしにとって、吉本隆明の本について、各人が書きあらわす批評的なものには既に食傷気味であり、どうも否応もなく自らの影響を受けた体験を語るという表現の形式が一番いいようだ。あらわしている内容には詩をはじめとして思想的な範疇もあり、根源的に系統的に、アカデミックに分析を試みようとすると大仕事になるのだ。気取りと気概も必要とされてはいるのだが。
たとえば世に、この道ひとすじで専門職につき、生きてきた人がいる。その場合、たいがいの大人は30~40歳代以降に気づくのだが、専門的な内容である難しいことを難しく表現することは易しい。えてして符牒だらけの世界に陥るのだ。実は、一般用語とボキャブラリィで易しく表現することの方がよりいっそう一番難しい。




