
わたしは、今度の東北大震災の義捐金の大きな窓口である日本赤十字に大きな誤問を感じていている。一般からは4000億ともいわれている被災地への支給の遅れだ。人の好意のかたまりを結果として無にしているように思われてならない。
この組織の運営には必ず、官僚的なシステムが絡んでいるとは、おもっていたが、案の定、今度の東北大震災ではひどいことになっている。被災者にとって生活難を支援するためには資金や物資を至急手元に届けなければならないのに、まだ、半分も届いていないようなのだ。
日本赤十字の活動について、内部の関係者は当然ながら有償で働いているのだが、緊急時を想定して成り立つ日本赤十字という存立の意義がよくわからない。スピードこそ重要。使命感というからには、今は非常時のはずである。
ところで、このことはわたしが一般論で言っているのではなく、この日赤に年に3回献血を信念としておこなってきたから言うのだ。献血回数は、もうすぐ40回だ。ちなみに、わたしはいまだ輸血を受けたことがない。
献血会場に行くと、いつも20代の男女が相変わらず多く、見るたびにその心構えをこれからの人生でもつづけて欲しいと思うのだが、どうもそうなっていない。マイホーム第一、会社第一で30から40代が私生活、金儲けと仕事にかまけて等閑視している、まあ日本人の社会奉仕活動の実態はこんなものだろうけれど。
先日、成分献血の依頼のはがきが自宅に届いたが、どうしたものか、日本赤十字はこれでいいのか。
日本人は流されやすい、熱しやすくさめやすい。そして、他人の顔色を見て動く、付和雷同の民族だ。世の中で必要とされる社会的な責任感はいずこにあるか、知らず知らず、社会の風潮は世間の雰囲気は、実態を想像できず実際を感じられず議論のみの学生の生徒会や自治会みたいな幼稚な管政権の施政にならっている。組織の無責任な体質、悪しき社会通念というやつだ。
(管直人首相はもともと政治家ではなく政治屋であり、演説と議論の戦いのみで明け暮れてきて個別の信念も人徳もない。実際的に仲間・同志や師事する人物も少ないようで、そうなると最後の頼みの綱であるこの家庭は現代はやりの友達夫婦の悪い一典型である。彼にとって今、信頼できるのは元気な御夫人のみで、状況はことわざに言う「雌鳥歌えば家滅ぶ」になっているような気がする。ちょっと、この事態は予想するだに空恐ろしいのだが。)





