わたしにも今頃になると、同窓会の案内がくる。しかし、どうしても、わたしには参加する意欲がわかない。わたしも還暦を過ぎて、参加してくる顔ぶれは元気な女性連中が多くて、また参加人数の少ない男性の半分はリタイアした方々が多いのが特徴だ。
その数時間は、現在の故郷の話題やかっての仲間との懇談や四方山話で盛り上がった後にはカラオケに流れる。たび重なると興醒めする。回顧や懐旧談のオンパレード。見えや社会的地位の自慢。それで、一万円はつかわれる。なんだか、こういう席には皆さんは気前がいいのだが、わたしには気が乗らない。お金がもったいない。
わたしには、まだまだ生計上働く必要があるのと、リタイアしたから、別のことをやろうもしくは暇を持て余しているからという、発想は見事にない。まして、ごく世間的に会社勤めや役所勤めを定年まで幸いにも無事勤めあげてきた、などという思いは皆無である。こんなわたしの性格は、一般的にはへそ曲がりの変人に分類されるだろう。
このブログでなんども言ってきたが、はなから人生の中に占める組織である会社勤めや役所勤め期間など多寡がしれていて、どう生きて来たかが大事であってこの世で為すべきことを見つけてそれをやりとおすことに意味を見出していくを重要視している。むろん、その前提では、身近な幸せに責任を持ってからであるが。
たとえ、それが自己満足の狭い領域であろうが、生きていくことはそういうことだから理屈の世界ではない。
というのも、20代に進路的に隘路に陥った経験があり、故郷を心理的に断ち切った経験のせいかもしれぬ。わたし自身の出自の良さ悪さも分かってきたし、同郷人の良さ悪さも分かってきたし、田舎者の良さ悪さも分かってきたし、知人や親戚の良さ悪さも分かってきたし、都市生活の軽薄さと煩雑さと多種多様、その良さ悪さも分かってきたし、という次第だ。単に社会のレールへののっかり方の問題だけかもしれない。
わたしは18で上京以来、大学も結婚式も、自宅購入は自腹である。誰の援助も受けていない。自分の頭で考えて、物質的に自前で生きていくことの厳しさは十分に身に応えている。それがまだ続いているのだ。それが、これからも続くのであろう。
しかし、なんだか、近頃、苦言ばかりこのブログに書きこんでいるなあ。