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そんな日々、室内でパンツ一丁の裸同然の起居のなかで、自堕落なわたしは暑さをこらえて本を読む。ここでは、橋本治の『小林秀雄の恵み』を読む。橋本治の本については、『「三島由紀夫」とはなにものだったのか』が小林秀雄賞を受賞したと聞いて意外な気がしていた。間違いではないのか。橋本治の特徴はおしゃべりめいた文章が特徴でわたしにはなかなか馴染まない。
まず、『「三島由紀夫」とは・・・』だが、第三者的には毀誉褒貶のある内容であると思う。やがて、とりとめのない文章と記述で文意をつかむのが面倒になり放棄する。
しかし、『小林秀雄の恵み』は小林秀雄の「本居宣長」を題材にしていてやっと読みこなすことが出来た。今まで小林秀雄は日本の文壇では神様扱いされているが、ここではある意味で橋本治の微に入り細を穿つ分析力で見事にこの作品を解体している。その手法は野放図でいやらしいほどだ。小林秀雄について、表面的に高評価をおこない中らずと雖も遠からずのような迂遠な評価をしてきた今までの文壇の現状を突破しているように感じる。どんな場合でも、偶像化を避けることは大事なことだ。そこで、振り返り、わたしは「本居宣長」を再読中である。