車のコマーシャルで、北野武が「豊かさ」についてのコメントをしているが。年も明けて2005年になったことなので、この豊かさについて考えてみたい。
2004年は、猛暑、地震、津波、幼い子どもに対する犯罪など大変な一年だったが、豊かな筈の日本でなぜ、こうも犯罪が増えてくるのだろうか?刑法が改正されて逮捕の行使が14歳以上の子どもに対しても適用できるようになったり、いわゆる暴走族対策の為の、法律も改正された。しかし、犯罪は増えるし、凶悪化の一途をたどっている。か弱い存在を狙った犯罪も後を絶たないでいる。
どこかで豊かさに対する認識が間違っているのか?それともいま私たちが感じている豊かさとは実は幻想なのだろうか?
「豊かさは物質的なものをいうのではない」なんて、理想論を言うつもりは無い。なんだかんだと雨風をしのげる家があれば、次に欲しいモノはどんどんと増えてゆく。テレビだってビデオだって、HDD+DVDレコーダーだって便利だから欲しい。おいしいごちそうだって食べたいし、旅行にも行きたい、好きなタレントのコンサートや、ロードショーを見たいとおもうのは当然だし、おしゃれだってしっかりしたい。
そういう感情はなんら問題はない。しかし改めて考えると、もしかしたら豊かさとは、それらの希望や欲望が満たされないでいるときの、人の心のあり方がどうなのかを言うのではないかと思う。
つまり、おいしいものが食べられないでいる、ご近所では話題になっているレストランでの食事ができないでいるとか、人がおしゃれをしているが、自分がそんなにおしゃれができないでいるときの自分の気持ちの置き方がどうなのか?自分の豊かさの対する感覚がいったいどんななのかという現実があからさまに見えるのではないかと考える。
手に入れられないでいる自分があきらかに存在しているという現実を素直に受入れられず、自分の欲望を満たすために、人のものを盗む、人を傷つける、嘘を付く、あるいは命までうばう。こころが豊かでないと、現実を受入れることができず、いまの現実を招いたのは「自分」ではなく、周囲であり自分以外の他人のせいであると考えてしまう。そこには勿論反省もなく、ただただ駄々っ子のように力ずくで人のものを奪いにかかる。 物質的に豊かだとか、経済的に豊かだとかに関係ない卑しい発想である。
西武の総帥である堤氏にも、その卑しさが垣間見える。豊かな筈に人がそんな状態である。
つまり、お金やモノの量と豊かさは比例するわけではないのだ。
2005年を迎えるにあたり、もういちど「豊かさ」を考え直したいし、「豊かさ」の実現のために何をやるのかを決めてすくなくとも今年一年はやってみたい。
2004年は、猛暑、地震、津波、幼い子どもに対する犯罪など大変な一年だったが、豊かな筈の日本でなぜ、こうも犯罪が増えてくるのだろうか?刑法が改正されて逮捕の行使が14歳以上の子どもに対しても適用できるようになったり、いわゆる暴走族対策の為の、法律も改正された。しかし、犯罪は増えるし、凶悪化の一途をたどっている。か弱い存在を狙った犯罪も後を絶たないでいる。
どこかで豊かさに対する認識が間違っているのか?それともいま私たちが感じている豊かさとは実は幻想なのだろうか?
「豊かさは物質的なものをいうのではない」なんて、理想論を言うつもりは無い。なんだかんだと雨風をしのげる家があれば、次に欲しいモノはどんどんと増えてゆく。テレビだってビデオだって、HDD+DVDレコーダーだって便利だから欲しい。おいしいごちそうだって食べたいし、旅行にも行きたい、好きなタレントのコンサートや、ロードショーを見たいとおもうのは当然だし、おしゃれだってしっかりしたい。
そういう感情はなんら問題はない。しかし改めて考えると、もしかしたら豊かさとは、それらの希望や欲望が満たされないでいるときの、人の心のあり方がどうなのかを言うのではないかと思う。
つまり、おいしいものが食べられないでいる、ご近所では話題になっているレストランでの食事ができないでいるとか、人がおしゃれをしているが、自分がそんなにおしゃれができないでいるときの自分の気持ちの置き方がどうなのか?自分の豊かさの対する感覚がいったいどんななのかという現実があからさまに見えるのではないかと考える。
手に入れられないでいる自分があきらかに存在しているという現実を素直に受入れられず、自分の欲望を満たすために、人のものを盗む、人を傷つける、嘘を付く、あるいは命までうばう。こころが豊かでないと、現実を受入れることができず、いまの現実を招いたのは「自分」ではなく、周囲であり自分以外の他人のせいであると考えてしまう。そこには勿論反省もなく、ただただ駄々っ子のように力ずくで人のものを奪いにかかる。 物質的に豊かだとか、経済的に豊かだとかに関係ない卑しい発想である。
西武の総帥である堤氏にも、その卑しさが垣間見える。豊かな筈に人がそんな状態である。
つまり、お金やモノの量と豊かさは比例するわけではないのだ。
2005年を迎えるにあたり、もういちど「豊かさ」を考え直したいし、「豊かさ」の実現のために何をやるのかを決めてすくなくとも今年一年はやってみたい。