7月から始まった日曜ドラマ、「陽はまたのぼる」久しぶりの竹野内豊。1回目は見逃したが、2回目の放送では、テーマが「命を金で買うとき」
タイトルはドラマなので衝撃的な表現になっているが、考えるまでもなくかぜ薬を買う為にはお金がいるし、怪我をした絆創膏だってお金がいる。お金がいるのが分っているから入院保険なるものがあるし、がん保険がある。子どもを産むのだってお金がいる。
結論だけ言えば、命をお金で買うのだ。
一方で、ではお金がないなら死ねというのか?という感情論がある。だから医療保障制度や保険が必要となるのだ。保険組合が互助の精神にもとづいて制度を作り、みんなが豊かで安心できるようにするのだ。
しかしいま問題も起こっている。いわゆる医療費の踏み倒し。確信犯的にお金を払わない一部の人達がいる。
産まれそうになって担ぎ込まれた妊婦を目の前にして、産婦人科医は無視することもできない。そして分娩。場合によっては帝王切開もある。母子の命を預かる医療行為に対して、当たり前の顔で、お金がないから払えないというのもあるそうだ。
医療は無料が当たり前、安いのが当たり前というのは互助の精神に反する大きな誤解だ。働けない人の為に社会保障がある。働けない人に、働ける人が助けるのは当たり前だという考え方が無くなってきている。働けなかった人が、働けるようになったら、また今度は働けない人に返す。そういう精神が前提に互助がある。
戦中戦後のものの無かった時代、多くの人達が貧しかった時代には助け合いがあった。味噌や醤油を借りたりすることも珍しくなかった。
それがいつのまにかどこかへ消えてしまった。
医療にはお金がかかる。だから社会保障がある。社会保障の精神は互助である。互助とは、お互いに助け合うということ。助ける人は自分自身が助けることができる立場に感謝し、助けてもらう立場の人はそれを当然とは思わずに、きちんと感謝し、いずれ返そうと考える気持を持ち行動すること。
医療費はタダではないのだから。国にどうしろこうしろ!ではなくて、自らが少しずつでも無料医療を受けることを少なくしていけばお互いに助かるはずだ。感情論を先行させることなく、きちんと考えて行けば医療制度は崩壊せずに済む。崩壊してしまって真っ先に困るのは、本当に助けてもらわなければならなくなった場合の私たちなのだから。
陽はまたのぼるの公式ページは---> http://www.tbs.co.jp/Tomorrow2008/
タイトルはドラマなので衝撃的な表現になっているが、考えるまでもなくかぜ薬を買う為にはお金がいるし、怪我をした絆創膏だってお金がいる。お金がいるのが分っているから入院保険なるものがあるし、がん保険がある。子どもを産むのだってお金がいる。
結論だけ言えば、命をお金で買うのだ。
一方で、ではお金がないなら死ねというのか?という感情論がある。だから医療保障制度や保険が必要となるのだ。保険組合が互助の精神にもとづいて制度を作り、みんなが豊かで安心できるようにするのだ。
しかしいま問題も起こっている。いわゆる医療費の踏み倒し。確信犯的にお金を払わない一部の人達がいる。
産まれそうになって担ぎ込まれた妊婦を目の前にして、産婦人科医は無視することもできない。そして分娩。場合によっては帝王切開もある。母子の命を預かる医療行為に対して、当たり前の顔で、お金がないから払えないというのもあるそうだ。
医療は無料が当たり前、安いのが当たり前というのは互助の精神に反する大きな誤解だ。働けない人の為に社会保障がある。働けない人に、働ける人が助けるのは当たり前だという考え方が無くなってきている。働けなかった人が、働けるようになったら、また今度は働けない人に返す。そういう精神が前提に互助がある。
戦中戦後のものの無かった時代、多くの人達が貧しかった時代には助け合いがあった。味噌や醤油を借りたりすることも珍しくなかった。
それがいつのまにかどこかへ消えてしまった。
医療にはお金がかかる。だから社会保障がある。社会保障の精神は互助である。互助とは、お互いに助け合うということ。助ける人は自分自身が助けることができる立場に感謝し、助けてもらう立場の人はそれを当然とは思わずに、きちんと感謝し、いずれ返そうと考える気持を持ち行動すること。
医療費はタダではないのだから。国にどうしろこうしろ!ではなくて、自らが少しずつでも無料医療を受けることを少なくしていけばお互いに助かるはずだ。感情論を先行させることなく、きちんと考えて行けば医療制度は崩壊せずに済む。崩壊してしまって真っ先に困るのは、本当に助けてもらわなければならなくなった場合の私たちなのだから。
陽はまたのぼるの公式ページは---> http://www.tbs.co.jp/Tomorrow2008/