WBCが日本代表チームの二連覇で終わり、マスコミはこぞって原監督評を繰り広げているが、綿密な取材に裏付けられた評論を展開している人が少ないせいか、とても無難な評価ばかりである。
その、もっとも顕著なのが、「原監督の“柔軟性”」というもの。
個人的には、そんなことだけでWBCは勝てないんじゃない?と思っているので、どうしてもそこに終始している論評には賛成できない。
また、例のごとくすべての結果が出てからなので“結果論”の域を出ていない戦略分析も、野球評論はいつまでたっても進歩していないなあと思わざるを得ない。
これらの評論家たちが事前に「韓国とはこう戦え!」とか「アメリカの戦力分析」などを展開しない理由には、いろいろな理由があろうかと思うが、最も大きな理由は、「やってみなきゃ分からない。確実に勝てる方法なんて無い。」ということが理由だからだろう。
そもそもスポーツなんてそんなもの。確実に勝てる方法なんてあるわけが無い。監督経験者なら痛いほど知っている。だから監督経験者の論評はどうしても当たり障りが無くなるし、監督未経験者は、いろんな遠慮もあったりして迫力に欠ける。
そういうことを比較的きちんと発言しているのは、江川卓氏ぐらいだろう。彼はきっと球界に戻るつもりは無いだろうから、よく聴いていればある程度は発言に自由度があるのが分かる。
さて、冒頭の侍ジャパンの原采配は、彼の柔軟性だけではないはずと言ったが、客観的に今回のWBCの戦い方を見て感じたのは、“負けるリスク”をとことんまで減らした準備と、“一点を確実に獲る戦法を軸にした”戦い方ということ。
負けるリスクを減らすには、よいピッチャーをすえること。そして様々な細かいWBCルールを見据えて、贅沢ともいえる継投を行うこと。その継投も“直感”ではなく“実績”重視だったことが挙げられる。また調子のいい選手を使うこと。これしかないという選択をした。だから松阪であり、岩隈だったわけだ。
一点を確実には、いたるところで見られたバント(犠打)である。城島でさえバントをさせる選択をした。長いペナントレースを戦うリーグ戦とは違うWBCは、延長戦にはさまざまな制限がつくことになる。そうなると“運”が結果に大きく影響せざるを得ない。だからそれを絶対に避ける方法として、“確実な一点”という策を選択したのだ。
また、“確実な一点”の為には、併殺打も徹底的に避けなければならない。そういうことからもバントが増えたと分析するのは正当な考えだろう。
これを軸にして、どのプレイヤーをどういう順番で使えばもっともこの作戦の確実度が上がるかを、いくつかの試合で試し作り上げてきたのが原監督である。
侍ジャパンの監督として就任していらい様々な思惑はずれがありながらも、こういう結果を出せたのは、WBCをどのように戦えばいいのかを、王前日本代表監督からのアドバイスを聞き入れながら自分なりの感触で作ってきた成果ではないか。
そして本戦でいくつかの勝利と敗戦を受け入れながら、冷静に軌道修正した結果ではないかと思う。
そういう戦略面とその戦略を推し進めることができたことに加えて、原辰徳という人物がプレイヤーによい影響を与えた結果が、結束力を高めたのだろう。
原日本代表監督は“柔軟な発想”が勝利をもたらしたという陳腐な評論で済ませられないほどの結果なのだから、評論する人たちはもっときちんと分析し、評論の前提としてしっかりとしたジャーナリズム的アプローチを忘れずに居てもらいたいものだ。
負けたら終わりという戦いに挑む選手たち、そして監督。日本を代表するプレイヤーたちのプライドとプレッシャーは私たちが想像できる範囲を超えているはずである。
評論家たちも、そういう背景をしっかり理解して、WBCという舞台にふさわしい取材と評論をすべきだろう。
その、もっとも顕著なのが、「原監督の“柔軟性”」というもの。
個人的には、そんなことだけでWBCは勝てないんじゃない?と思っているので、どうしてもそこに終始している論評には賛成できない。
また、例のごとくすべての結果が出てからなので“結果論”の域を出ていない戦略分析も、野球評論はいつまでたっても進歩していないなあと思わざるを得ない。
これらの評論家たちが事前に「韓国とはこう戦え!」とか「アメリカの戦力分析」などを展開しない理由には、いろいろな理由があろうかと思うが、最も大きな理由は、「やってみなきゃ分からない。確実に勝てる方法なんて無い。」ということが理由だからだろう。
そもそもスポーツなんてそんなもの。確実に勝てる方法なんてあるわけが無い。監督経験者なら痛いほど知っている。だから監督経験者の論評はどうしても当たり障りが無くなるし、監督未経験者は、いろんな遠慮もあったりして迫力に欠ける。
そういうことを比較的きちんと発言しているのは、江川卓氏ぐらいだろう。彼はきっと球界に戻るつもりは無いだろうから、よく聴いていればある程度は発言に自由度があるのが分かる。
さて、冒頭の侍ジャパンの原采配は、彼の柔軟性だけではないはずと言ったが、客観的に今回のWBCの戦い方を見て感じたのは、“負けるリスク”をとことんまで減らした準備と、“一点を確実に獲る戦法を軸にした”戦い方ということ。
負けるリスクを減らすには、よいピッチャーをすえること。そして様々な細かいWBCルールを見据えて、贅沢ともいえる継投を行うこと。その継投も“直感”ではなく“実績”重視だったことが挙げられる。また調子のいい選手を使うこと。これしかないという選択をした。だから松阪であり、岩隈だったわけだ。
一点を確実には、いたるところで見られたバント(犠打)である。城島でさえバントをさせる選択をした。長いペナントレースを戦うリーグ戦とは違うWBCは、延長戦にはさまざまな制限がつくことになる。そうなると“運”が結果に大きく影響せざるを得ない。だからそれを絶対に避ける方法として、“確実な一点”という策を選択したのだ。
また、“確実な一点”の為には、併殺打も徹底的に避けなければならない。そういうことからもバントが増えたと分析するのは正当な考えだろう。
これを軸にして、どのプレイヤーをどういう順番で使えばもっともこの作戦の確実度が上がるかを、いくつかの試合で試し作り上げてきたのが原監督である。
侍ジャパンの監督として就任していらい様々な思惑はずれがありながらも、こういう結果を出せたのは、WBCをどのように戦えばいいのかを、王前日本代表監督からのアドバイスを聞き入れながら自分なりの感触で作ってきた成果ではないか。
そして本戦でいくつかの勝利と敗戦を受け入れながら、冷静に軌道修正した結果ではないかと思う。
そういう戦略面とその戦略を推し進めることができたことに加えて、原辰徳という人物がプレイヤーによい影響を与えた結果が、結束力を高めたのだろう。
原日本代表監督は“柔軟な発想”が勝利をもたらしたという陳腐な評論で済ませられないほどの結果なのだから、評論する人たちはもっときちんと分析し、評論の前提としてしっかりとしたジャーナリズム的アプローチを忘れずに居てもらいたいものだ。
負けたら終わりという戦いに挑む選手たち、そして監督。日本を代表するプレイヤーたちのプライドとプレッシャーは私たちが想像できる範囲を超えているはずである。
評論家たちも、そういう背景をしっかり理解して、WBCという舞台にふさわしい取材と評論をすべきだろう。