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大人が大人でない国

2006-09-15 14:15:17 | 風景
 以前フロリダへ出かけた時にアメリカ人は会話好きと書いたが、今回のロードアイランドでも、前回同様みんなしゃべるしゃべる、徹底的にしゃべる。

 そういう文化の中にいると、必然的に勉強しなければならなくなる。議論好きで、主張しあい、認め合うから、議論の根拠や、主張するうえでの言いたいこと、その背景などがはっきりしていないと、会話が続かない。

 ある人が、「これは、こうだろう」と言うと、それを聞いた相手が、「いやいや、こういう場合はそうならない」と反論し、「でもそれは、こういう理由からで、やっぱり、これはこうなるんだ・・・」

 何も考えていない人は、まずずーっと黙ったままになる。日本人がおとなしいと誤解されるのは、こういう場での自己主張が足りないこともあると思うし、普段の生活のなかでそういう事を経験していないから仕方がない。

 飲みに行っても、上司や先輩社員が主張するだけで、それに部下や後輩社員が反論するなんてシーンは想像できない。しゃべる側も、聞く側もそんなもんだと思っている。最近かいたブログの「恥をかかせるなよ」に近い心理なのかも知れない。

 この文化にはいいところもあるし、悪いところもある。いいところとしては、「和をもって尊しと為す」の精神。悪いところは、肝心の上司や先輩社員が、”子ども”だとその組織は崩壊するところだ。

 日本でも米国でも、いわゆるトップが”子ども”だとその企業は寿命が短い。

 これと同じで、日本での最近の”大人”による幼稚な犯罪が絶えないのは、年齢は大人の年齢なのに、精神は未熟なままだからだ。

 大人になれば、なんでもやってもいいだとか、何をやっても許されるとかいった、子どもが持つ”幻想”をそのまま、やってしまっているのが今の日本の陰惨なあるいは幼稚な事件の背後にあると思う。

 大人になるということは、責任をもった行動をすること。なんて言うと、周囲から笑われるのではないかと心配になるぐらい、”大人”であること、”大人”として振る舞うことが、バカらしく思われている。

 犬を盗んで、見つかりそうになったから、窓から投げ捨てた31歳の女。
 くりかえし女児にわいせつな行為をくりかえす、55歳の無職の男。
 酒を飲んで車を運転して、追突事故を起こした20代の男。
 そういうニュースが報じられても、飲酒運転を辞めない大人達。

救いようがないあほとしか言いようがない。どこに大人としての”規律”があるのだろうか?

だれかの小説かテレビドラマで、大人免許なんていうのがあった。年齢がそれなりに達していても、大人免許検定にパスしなければ大人でないというもの。

最近の大人にしてみれば、”子どもの方が楽だから、大人免許に合格しなくてもいい”なんて言い出しそうだからちょっと恐い。

子どもの頃に感じた不満。「まだ子どもだから」と言われ続けて育ったのが、どこかで「大人になったら何をやってもいいんだ」という考えに変わってしまった。

”あたりまえのことを、あたりまえにやる”なんていう言葉があるが、それって”あたりまえのことができていないから”と言っているのと同じで、発想の幼稚さがそのまま浮き出ている。

大人になること、大人であることは大変なのだ。大変な中で鍛えられて、本当の大人になるのだ。大変さを避けて通ってはいけない。子どもの方が楽なのだからといって、大人になることを拒否もできない。そういうものなのだ。だから人は大人になるあるいは生きる目的や目標を見つけてそこに進むなかで大人になることのメリットを受けるしか無いのだ。

ミッションとビジョンとストラテジーはワタミの社長の言葉だが、人生でも同じだと言える。ミッションとビジョンそして如何にしてそれを為すかという努力。そういうことを議論しあえる文化がほとんど無い日本は、大人が大人でない国だと言えるのではないか?






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