恵まれた家庭のゆとり教育は、法律から隔離された、塀の内側で行われたのか。首相「問題あっても民主選んだ」 小沢氏問題、衆院選でみそぎ(日経記事)
現首相の母上は、押しも押されもせぬブリジストンの創始者の娘である。創業者の石橋正二郎氏がどのような苦労をして、財を成したかは今となっては、詳らかには出来ぬ。なれど、泥棒貴族はどこに隠れている? で書いた時代は、戦後の混乱時期だった。占領統治の下で、凄(すさ)まじいまでの信用貨幣の濫発。想像ではあるが、濡れ手で粟の状況が容易に作り出されたのは確実。この時代を生き残ってきた事業団体はそれこそ、ゆとりある融資を受けて、あるいは今日平成の御代を生きるものには想像も付かないような、トラックに山盛りの刷りたてお札の「おてもり」があったのかも知れぬ。
しかし今は、無頼の米軍占領下とはちがう。
日本は独立国であり、粗野で野蛮なアメリカとは遥かに異なる、洗練された文化・歴史を有する。日本人としての矜恃があるならば、先ずは知るべし。我が国は聖徳太子の古来より、文治の国であり、法理を重んじる国柄である。日本国の総理になったからには、その責は重い。ルーズな金持ちの放埒アタマでは、国の乱れを正すことは出来ぬ。
如何に、圧倒的な衆議院当選者を得たとしても、小泉郵政選挙がもたらした、日本政治の堕落を想起してみれば、『先の衆院選で禊(みそ)ぎ』等とは、言えぬはず。それもこれも、政権担当の経験の、ごく僅かしかない「小学一年生」故の失言であろう。それとも、この記事を書いた記者が実際の発言を、ねじ曲げたのか。小沢幹事長の元私設秘書・石川衆院議員が逮捕された。この現実は、1月15日の現実のこと。ここから、嵐の鳩山政権は再出発せねばならない。当然、小沢は幹事長を辞めるべきである。その流れに沿った、もの言いが、政権の担当者には求められる。鳩山由紀夫氏は民主党の代表でもあるが、日本国が求めるのは、国の舵取りとしての総理大臣の自覚である。先の選挙で疑惑は取り沙汰されていたが、圧倒的多数の当選を得て禊ぎは済んだとのもの言いは、不遜である。この様な態度を続けるならば、風はいよいよ烈風、風雪を伴い、恵まれた家庭の金の筵をも吹き飛ばすやも知れぬ。
先の選挙で、止むにやまれず、国民が実績の乏しい「民主」に託した心情を鳩山首相は、斟酌しきれてはいないようだ。国民が望んだのは、これほどまでに荒廃した政治風土を何とかしてほしい。一般国民の生活が、すさんだ原因は、自民・公明の国民生活と産業経済を壊して、金融博打への道を開いた「構造改革」路線に有る。そして、その世界規模の構造改革にたいして、もっとも従順だったのは民主党だった。最近はその過ちに気づいた議員もいくらかはいるのだろうか。しかし、今回の小沢疑獄を受けての、総理の対応を観るに、「解っていない。」の感を深くする。
今回の石川議員逮捕に見る、混乱は「構造改革」以前の問題である。政治資金改革は田中政治の土建屋利権などへの反省から生まれたはずである。数併せから言えば、小沢自由党の合流は「政権交代」を実現させる重要な契機ではあった。このことから、元自由党の小沢に「手柄がある」と考えるのは、不遜である。国民は悲しんでいた。そしてそれは今も同じ。売国・日本破壊の小泉=竹中政治を払拭できない、自民・公明の政治の悪逆から逃(のが)れるために、緊急避難的に現政権を選ばざるを得なかった。この現実を忘れれば、民主は危うい。小沢疑獄は夏の参院選にも必ず、暗い影を民主党に投げかける。東京地検が敷いたレールではあるが、自民・公明が勢力を盛り返すには、この軌道に乗るしか彼等に道はない。本来なれば、「構造改革」からの脱却が本命なのだが、彼等にその真実は見えぬ。なんとなれば、あまりにも、湯田菌がばらまいた、金銀ダイヤの胞子の魔力は強烈過ぎた。この黄金の笑い茸中毒から恢復するには、あと3年あまりを冷や飯食いで、泥水を啜(すす)り、黄金茸の毒気を抜くしかない。
緊急避難の仮小屋が鳩山政権である。その寄せ集めの、ブルーシートの一枚が、冷たい冬の烈風に吹き飛ぶ寸前である。御殿で育ったボンボンには、おのれの政権が仮住まいの、筵(むしろ)張りなのも理解できぬらしい。
鳩山政権が、瓦葺きの本建築になるには、ブルーシートは取り外す必要がある。しかし、その下には本建築の骨組みは有るのか。「禊ぎは済んだ筈」などと惚けたもの言いが続くようでは、それは無理というもの。
小学低学年の民主党の議員諸君は、小沢やその周辺の司直の裁きを、じっくりと見学させてもらって、法治と民意のお温習いでもするが良い。
ブリジストンの子供手当てで、鳩山由紀夫が温存されたのは、これも日本国の緊急避難である。テメエの小遣い帳も管理できぬ低脳を総理として、頂かねばならぬ国民の、悲哀は理解出来ぬのだろう。
国民も、悲しい。そして日本の憲政に心血を捧げた、大和心もおちおち、寝てもおられぬ。
由紀夫君はまず、言葉の使い方から、もう一度学ばねばならぬ。
今の日本は、戦後のドサクサの時代とは違う。日本は世界中から、倫理観のリーダーとしての、実践を求められている。