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肉喰い人種にかかせないものは、まずは情報です。イタリアはトスカーナ地方は冬でも暖かく、1月ともなれば、真っ黄色なミモザの花が咲き出します。この花は日本でいえば、桜のようなもので、春の訪れを象徴する花です。
我が郷はこれからが冬の本番で、もっと寒い日もあるでしょう。それでも、今日あたりはかなり暖かくなりそうです。地中海の早い春をイメージしながら、色んなオリーブオイルを使ったドレッシングで、カラフルに盛りつけたサラダを食べましょう。フィレンツェあたりの記憶を思い出しながら、それが無い人は適当に捏造しながら、 生ハム・サラミと、チキンのレバーペーストそれからカナッペ、ぱくぱく、ぱりぱり。スーペル・トスカーナは地酒のワインで、キャンティはこの特徴のある瓶の姿から、お馴染みですネ。この軽めの赤ワインはお肉の料理にとっても合うんです。 ( スーペル・トスカーナ のワインがおすすめ ) (
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女性の裸身をこれほどまで妖しく、美しく描いた作品はそれほど、滅多にはお目にはかかれません。白い柔肌は不思議な雰囲気を醸し出して、見る人の目を何故か捉えて離しません。くねくねとして、頼りない身体を支えたくなり、思わず画面に手を差し出したくもなるではありませんか。
回眸一笑百媚生 六宮粉黛無顏色
あるいは
侍兒扶起嬌無力 始是新承恩澤時
春の料理と、トスカーナの赤ワインを堪能した後は、メタセコイヤの小さな森の奥にある、我が郷美術館へのご招待です。
ダルセーニョ
絵画は、立ってみるよりも、座って見た方が、ゆったりと眺められます。ましてや、ビールなど傾けて、サラダの盛り合わせ。我が世の春とはまさしくこの時なのです。
唐代は白居易の長恨歌の断片を御紹介しました。此処に謳われています楊貴妃の妖艶さとも通ずる妖気が立ちこめています作品の御紹介です。眸(ひとみ)を回らせれば、百もの媚態が生じて、数多(あまた)有る後宮のどんな美女といえども、色を失うほど。温泉で入浴を手伝う、侍女が手を差しのべれば、力なく頼りない仕草が何ともいえず、艶めかしいのです。中央にポーズする艶冶な全裸の女神は、その生々しさからは、神とも思えず、熱い血潮の通う、吐息も婀娜(あだ)っぽい生身の女性そのものです。この不思議な虚脱のしぐさはどこから来るのでしょうか。キューピッドにしては年かさが増して、背丈も伸びて、少しばかり大人びた少年。この全裸のキューピッドは大胆にも、母たるヴィーナスに口づけまでもしています。敢えてここまで、大胆なる振る舞いを演じさせる、作家の意図とは何なのでしょう。
Allegory of the Triumph of Venus (Click on a photo for a larger version) Agnolo Bronzino (
ブロンズィーノ )
c. 1540-45 Oil on wood 146 x 116 cm National Gallery, London
ギリシャ神話のエキドナ(Echidna)は自分の息子オルトロス(Orthros)とのあいだに、ネメアの獅子、パイアそしてスピンクスが産まれています。まさか、画家は怪獣の子等を生み続けた、エキドナの怪を描こうとした訳でもありますまいが、主旋律の裏側に潜む、目に見えぬ、背景としては意識していたのかも知れません。父と娘や、母と息子あるいは兄と妹の近親相姦は旧約聖書とかギリシャ神話には散見されます。借金の塩漬け 【わが郷】 では娘二人と、その父親のあいだに、子供が生まれています。どうも地中海地方の乾いた文化、生き残る自然との闘いの中では、子孫を残すにはなんでもありなのでしょうか。
「さあ、お父さんにワインを飲ませて、寝床をともにして、子孫を残しましょう。」
創世記19章32説のくだりを紹介すれば、この様になります。倫理的には異常な性愛故にあえて、聖書に収められているのでしょうか。どうもヘブライの人達は、困難なときはどうしたとか、闘いの場合はどのように敵を攻めたとかの、極限状況の特殊な出来事まで、有り体に記録に残す、几帳面な性格の人たちの様でもあります。
この絵は ブロンズィーノ により描かれました。『 愛の寓意 』 として後世有名になった絵です。トスカーナ大公コジモ1世がフランス国王フランソワ1世に贈呈したのが此の絵と言われています。この時代はイタリアは統一されておらず、コジモ1世は此の絵の中に盛り込まれた寓意で、権力者同士何かを語っていたのではないでしょうか。この二人の関係を絵の中の登場人物になぞらえれば、様々な政略と、その取引や、非情さそして反倫理性が渦巻いています。
左手にもつ黄金の林檎は、三人の美人で争ったとき、パリスを「絶世の超美人を嫁にしてあげる」と買収して手に入れた、いわば「美人コンテスト」のトロフィーのようなものです。右手ではエロスのもつ、いたずらな矢を取り上げて、いるようにも見えます。エロースは古代から存在する原始神で、アフロディーテとの親子の関係は、後の時代になってから付け足されたとの説もあります。
この絵画には様々な、神格やら、爺さんやら、婆さんそして不思議な姿の少女や、薔薇の花びらを持つあどけない少年まで配置されています。そしてこれらの道具立ては、レオナルド的な遠近法を殆ど無視した、遠近感で画面の中に配置されています。右下に描かれている男女のマスクは、一寸目には自然な、パースペクティブのようにも見えますが、吟味してみればやはり一寸変です。女性のお面を描いている視点が、男性の面積描く視点とは明らかに違います。まるで後の時代の、ピカソのアビニオンの娘達の配置を彷彿とさせる、のような立体派的な、画面構成となっています。

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稲妻型に身をくねらせる女。陰には皺の多い、蛹色にひからびた肌色、年嵩の女性が悲嘆に身悶えんばかりの、形相で泣き叫んでいます。高貴さを示す紫色の鮮やかな布で、この淫らな裸の交わりを隠すようにも見えますし。はたまた、さらけ出すようにも解釈できます。時間の一端を切り取った静止画像ならではの、意地悪なトリックが此処にも仕掛けられています。
薔薇の花びらを持った愛らしい男の子の裏に描かれている美少女は、ギリシャ神話のエキドナとも見えます。足はライオンなのは符号しますが、身体は蛇でよく見れば長い尻尾まで丁寧に描かれています。少年の体躯でかくされて、誤魔化されそうですが、少女の腕は左右が逆に配置されています。向かって右に伸びた手には蠍(さそり)が反対の、左に伸びた左手には蜂蜜たっぷりの、蜂の巣が持たされています。美しい女性の貌で、乳房のある胸と、鷲の翼があるならば怪物テュポン(Typhon)と言う怪物ともいえる。どうもこのTyhonはTyhoon(台風)とも縁のある言葉らしいが、どうも性別は男性らしい。兎に角この蝋面のような取り繕った絵の中の少女の表情の裏には、あまりにも多くの秘密がかくされていそうです。
甘美な蜜を取ろうと、蜂の巣に触れれば、手痛い蜜蜂の反撃に遭ってしまいます。キューピッドの母親で、愛の女神のヴィーナスはそんな愛し子を優しく、諭します。ブロンズィーノの『愛の寓意』には意味不明のあどけない貌の少女が、蜂蜜の蜂の巣と、サソリを持っています。それに手の配置がバラバラで逆についています。
Galleria tematica dipinti di Venere - Afrodite
ヴィーナス、アフロディーテの絵画回廊(部分)
アクセスの記録 2010.01.23(土) 953 PV 268 IP 3936 位 / 1355704ブログ