アジアの経済成長
前回からの続きです。
今日は世界各国の経済成長とその歴史を追いながら中国経済の異質な実体に迫りたいとおもいます。
日本のマスコミは中国の経済成長を作られたGDPの数字や外貨保有高世界一や 異常な資源の買いあさりなどに度肝を抜かれ、常識的な思考を狂わされてバランスを失ってしまいました。
そして一番危険なことは、中国を利用して莫大な利益を上げている米経済界、日本の財界、その他の中国と利害関係のある人たちが、自分たちに都合の悪い中国論を封じ込める工作を積極的にしているということです。
日本のテレビも金満家の中国人の映像を盛んに流しています。華やかな自動車ショウー、交通渋滞、ジーンズ姿で携帯電話を手にした若者たち、ネオン輝く不夜城の上海、そびえたつ高層ビル群、整頓されたきれいなオフイスでコンピューターを叩く若者たち、もう誰も中国の成長神話を疑う人はいなくなります。
結果 以前ブログで批判した副島隆彦氏の著書「あと5年で中国が世界を制覇する」という本まで出てくるしまつです。
中国政府もぬかりなく巧みな宣伝工作をしています。9日付けの中国紙、は、野村證券や米モルガン。スタンレーなど国内外の金融機関系エコノミスト15人に対する調査で三分の一が今年の中国の国内総生産(GDP)の成長率が10%を越すと答え、半数以上が9~10%成長と答えたと報じています。
しかしほんとうにそうなんだろうか、日本のエコノミストもマスコミも大きな見落としをしているのではないだろうか?
中国の経済は見かけだけで実体がなかったのではないか、その成長は外見だけで中身はなかったのではないか、「中国の奇跡」は実は想像上の産物でしかなかったのではないだろうかと、いつの日か日本の経済学者たちの反省をこめた論文をわれわれ一般人が目にするときが必ず来ると思います。
そこで今日は世界の経済成長の歴史を少し振り返って中国経済の実体に迫りたいとおもいます。
最初に近代国家に突入したのは、人類最初の産業革命を経験したイギリスです。続いて他の西洋諸国がドイツを筆頭に離陸をはじめます。そしてアメリカ、19世紀後半には日本が西洋以外では最初の唯一の工業化を達成しました。
19世紀後半から1960年代まで、先進諸国の経済は成長し続けたが、新しい国が先進国の仲間入りをすることはありませんでした。
そうした中で日本は戦争の荒廃を切り抜けて世界第2位の経済大国へと、驚異的なスピードで成長しました。1953年から73年まで一人当たりの成長率が8%という未曾有の現象は二度と繰り返されることはないだろうと世界各国のエコノミストは思いました。
ところが中国が1980年以降毎年10%以上の成長率を記録し、13億もの人々が20年でその所得を4倍にしたのです。(あくまで中国から発表されたGDPを真実としての話です)
中国が離陸を始める前にアジアの国々が工業化を開始し始めました。最初に離陸したのはイギリスが統治していた香港、続いてシンガポール、台湾、韓国という「4匹の虎」と呼ばれた4つの国です。
その経済は1960年代に成長し始めました。その後に第二波が訪れ、東南アジア諸国が続きました。そして最後に中国という巨大な国土と人口を持っているドラゴンが驚くべき規模で離陸を開始し始めました。
世界各国のエコノミストたちはアジア諸国が離陸を始めるまで、経済発展は欧米の専売特許だと思っていました、欧米にもアジアにも属さないように見える日本だけが例外としていました。
それではなぜ後れている貧しいアジア諸国が離陸を始めたのか? その答えは日本の進んだ製造業がアジア各国に進出を始めたからです。この事実を欧米の経済学者はいまだ分かっていません。ノーベル賞を貰った経済学者であるポール・クルーグマンですらこの事実を軽視しています。
それではなぜ日本の製造業がアジアに進出を始めたのかを少し順を追って書いてみます。
第二次世界大戦後、日本は1ドル360円の固定相場の時代でしたが、ニクソン・ショックの後、日本は1973年変動相場制に移行しました。その結果1ドル260円まで円高が進みました。1978年頃には1ドル180円を突破しています。
いま書きながら改めて対ドル為替レートのグラフを見ています。1987年1ドル120円にまで上昇、1995年4月ついに79円、80円割れの史上最高値を記録しています。
つまり日本はこの急激な円高のために自国で製造しても輸出競争力がなくなってしまったのです。結果強い円を利用してアジア各国に工場を進出し現地の安価な労働力を使うほうが得だということになってしまいました。
1985年以降大企業に続いて中小企業がアジア各国に突進しました。円高に上昇するごとに日本企業はアジア各国に対して工場進出を加速させています。
日本はアジア各国に信じられないくらい多くの工場を建てて、現地での雇用を大量に生んでいます。現地の人たちは貰った給料で内需を拡大させ、現地の工場から世界に出荷されて、必然的にアジア諸国のGDPが大きくなっていきました。
たとえばマレーシアにはパナソニックの巨大な工場があり、その工場では約三万人ものマレーシア人が働いています。この工場一軒でマレーシアのGDPの5%強(少し古いですが94年のデーターです)の数字を稼ぎ出しています。
つまり私が言いたかったことは、アジア各国を離陸させたのは、日本の優秀な製造業だということです。
アジアが離陸を始めると抜け目のない欧米各国はアジアに短期の投資を始めました。結果アジア諸国がバブルになり、1997年ヘッジファンドに目をつけられてアジア通貨危機が起こりました。
このアジアの危機を救ったのもやっぱり日本でした。つぶれかけた韓国やタイに対する国際通貨基金(IMF)の資金提供もほとんど日本からの資金なのに誰も声高にいいません、不思議なことです。
ノーベル賞を貰った経済学者ポール・クルーグマンは、「アジアの驚くべき経済成長は効率によるものでなく、資源の投入に基づくものであり、頭脳でなく汗によってもたらされたものである」といっています。
とんでもない間違いです。彼はアジア人を後れた人種としたイメージで捕らえています。アジアに進出した日本の優秀な工場群を一度も見ずに机の上での思考で文章を書いています。
円高を利用して雪崩のごとくアジア各国に進出した多くの日本工場は、アジアにおいて人々の生活を劇的に改善し、「アジアの奇跡」を実現させたのです。
すなわちアジアを成長させ人々に幸せをもたらしたのは日本の長期融資(工場建設)ですが 欧米諸国は短期投資でアジア諸国に不幸(アジア通貨危機)をもたらしたのです。
日本は「融資」、欧米は「投資」同じ資金でもその性格はまったく違います。
(今日も知らぬ間にダラダラと長くなってしまいました。なかなか「中国経済の異質な実体」に入っていけません。休みが続くと気持ちも緩んでしまいます。この続きは次回にさせていただきます。)