傷害致死罪が妥当な罪状なのだろう。合成麻薬を摂取させれば、身体に害を及ぼす。実際に女性は死亡しているのだから、この罪状で立件するのが妥当だと思われる。それが保護責任者遺棄致死罪の適用になると、死亡した女性が、自分から薬を飲んだことの認定が前提である。死人に口なしで、押尾容疑者の言を全て信じて良いものか。例えば、家人が全て死んでしまった、強盗殺人の事件で、強盗の言い訳ばかり聴いていては、そんな警察はいらない。本来ならば、禁止薬物で死亡しているのは、証拠から判明しているのであるから、殺人の事件として調べるのが順当なのである。
最近の新聞の報道からすれば、押尾容疑者が無理に薬物を摂取させた可能性も充分に嫌疑される状況。婦女暴行の疑惑もある。向精神薬物を用いて性的な目的を達成しようとしたことは、状況から確認できる。強姦罪の構成も視野に入れるべきであった。それが、最初の 『 事件性無し 』 の警察発表に捜査が、引きずられて、より軽い方へ、手心を加えられてしまっている。マスコミも警察に同調している。幇間の瓦版屋とでも言って於くべきではある。ネットでは、他にも複数の人物の関与があることを、書いている。この様な疑惑が浮上してくる、原因は警察の捜査が、徹頭徹尾おかしいからである。押尾容疑者がある事実を話さないことを、条件にして量刑の減免が成されているのでは無かろうか。そのように疑われても仕方がない、経緯と現実がある。警察と麻薬等を商う暴力団、それに、怪しげな紳士・淑女たちは、全てグルなのか。この様な疑念は、止めどなく湧くばかり。
本来ならば殺人罪で責め立てて、殺意の立証が出来なければ、初めて傷害致死へと罪状の変更になるべきであり、警察の捜査は被害者の人権を考慮していない。怪しげな連中の仲間との認識をせざるをえない、誠にけしからぬ振る舞いではある。加害者の押尾の立場を斟酌する偏りが、あまりにも酷い。これを見れば、警察と六本木の紳士淑女諸氏との怪しい関係が、容易に想像できる。禁止薬物の摂取で人が死んだのだから、重大事件である。なのに事件性無しの発表が唐突に成された。酒井法子女史の逃走劇も併せて、考慮すれば、そこには大きな謀り事があるのでは、との疑念の存在は否定できまい。小説やテレビドラマならば、三文芝居と、嗤って済まされるが、ことは首都東京の治安を与(あずか)る、現実の司が腐っているのであるから、看過できない。法治国日本の面汚し、官憲恥べし。
警察や検察の捜査が信じられない。これは法治国家としての、大前提の崩壊である。何よりもまず、警視庁の責任は重大である。警察や司法に、自己浄化能力が欠如しているのならば、他の力を作用させるしかない。
分 類 司直 警察・検察と司法