日本国の国防元年は何時のことなのでしょう。
ネットで語られることは、『日本の核武装』です。素人の論議としては、それなりに意義のあることですが、現実感覚のない国防論議は、ある意味噴飯ものと謂えるのかも知れません。何故そのような、観念論にもならない「空論」になるかの原因は、ネトウヨの国家論がすでに「戦後民主主義」の幻想の中で溶融してしまっているからなのでしょう。民主主義の理想論では、確かに、国家の主権者は国民の筈です。しかし、実際の国家の主権者は、買弁資本を使役している、所謂「国際金融」です。我が郷ではこのような、虚飾に満ちたポジティブな呼び方なんぞは致しません。湯田菌とネガティブに呼び捨てが好いのです。民主主義幻想の霧が立ちこめる、自由の森。間断なく降りしきる、黄金の落ち葉。惛い森。其処に積もった、枯葉、病葉の類。その温床に菌糸を伸ばして、そこかしこに現れるきのこ。マスコミのモニターで見れば、カラフルな子実体は美しい。かりそめの華を見せて、人々を幻惑する。
湯田菌のかつての外皮は、大日本帝國憲法。戦後は日本国憲法。そして、湯田菌の日本寄生を根拠付けている、国際法が「日米安全保障条約」です。明治の御代に問題になっていたのは、不平等条約でした。現代日本にあっても、同じような不平等が厳然と存在しています。嘗ては、黒船の威圧に屈し、今度は、原爆と無差別都市爆撃に屈した末の「不平等条約」これが「日米安保」です。これで美味しいご飯を食べている人達が、日本の陰の「主権者」です。彼等は真性の日本人ではありません。
法的には、日本国民が国家の主権者。衆議院そして、参議院選挙で議員を選ぶのは、一般国民。しかし選ばれる議員は、『世襲制』の議員ばかり。これは、骨肉の世襲制という意味ではなく、『戦後民主主義』という篩いにかけられた、対米無害の血統による継続支配を意味します。占領軍による、東京裁判の粛正と、公職追放の統制下の傀儡政治の世襲制が、現下の日本政治の骨格を形成しているのです。
ネトウヨが夢見る幻視の核武装は、実現すればアメリカへも飛翔する能力がある。これを自覚しない『核武装論』は戯言にすぎません。
湯田金の菌糸の及ばない、擬制の民主主義の森のその奥に、深い杜があるならば、其処にこそ、核の胞子が潜んでいる。
自衛隊と日本防衛
日本国の核兵器だけが錆び付いてはいないのです。なんとなれば、部品は日々生産されて、日用汎用品として消費されてしまっています。これが組み立てられるときは、連合国の主要部位が……。