村のはずれ
三辻にお地蔵さんが立っていた。
爺さまにきけば、馬車引きの地蔵さんなのだという。
何故、墓ではなく
地蔵なのかと、ふたたび尋ねれば
独り身で、家族がいなかった。
それで、祖父さま達で、地蔵さんをこしらえたのだという。
柔らかい凝灰岩で造られた、その像はそれほど年代も経ていないのに
角が取れ、すべてにまろみが帯びて、しっとりと美しかった。
今はその辺を歩くこともなく、ただ車で通りすぎるだけなので
どのようなお姿で立っておられるのか、見ることはない。
そう言えば、この辺りでは、交通事故がない。
これは、御利益なのか
日本の経済と庶民の生活を壊した、売国・自民党の時代には戻りたくない。これが偽らざる国民一般の実感なのだろう。
しかし、鳩山由紀夫氏の極楽トンボ振りには、恐れ入谷の鬼子母神。恵まれた家庭のお育ちのお坊ちゃまには、公人としての総理大臣の器量とはいかなるモノかの、規範は無いと見える。暢気なのは結構とばかりも言えない。昨日の国会では、我が亀井大臣は始終、目を閉じて瞑目しているのか、あるいは寝ているのか知らないが、ここは一休みと言った風情であった。彼のマルクスが、国会は茶飲み話をするところ、と書いたが言い得て妙。たぶん我が首相の心には、我々とは全く別の心象風景が広がっているのだろう。庶民の生活空間からは、遥かに高い峰のうえを、餌を探す苦労などこれっぽっちもしたことがない。ただ優雅に舞い跳ぶだけ。極楽トンビという、言い回しもあるそうで、彼の場合は、この方がよく似合う。 トンビとハムフライ で書いた帆翔を伸びやかに繰り返し、たかく高く舞い上がる。
「石川議員が起訴されないことを望む」と言っちゃったそうだが、我が耳を疑うのが民度の高い国民一般の良識。検察も法務省の一部局であり、千葉法務大臣は指揮権を保持している。その法務大臣を指揮・監督できる権限が、鳩山首相には備わっている。その鳩山総理が「起訴されないことを望む」と言っちまったワケだから、こりゃあ「指揮権発動」でありまする。まるで、マンガの世界である。その上、昨日国会で千葉法相は「指揮権発動権の存在」を述べただけで、発動の否定はしなかった。一般論としては、法相の検察に対する指揮権は当然ある。しかし、何故、法務大臣などの、検察に対する指揮権が問題視されるのか、知らねばならない。日本などの、複数政党制の民主主義社会では、政党間の対立、争いはあってしかるべきで、それが普通。その中の時局で、刑事事件が起き、法務大臣が政敵の立件や、訴追取り止めなどで、いちいち指揮権を発動したならば、権力政党による「独裁政治」に陥る危険性が出てくる。この事を、鳩山氏や千葉氏は認識しているのか。この様な極楽トンボを放置しておいては、日本国も人治・独裁の支那の様になる。数億もの大脱税をやらかして、平然としている鳩山総理と、政治資金の不正使用、不動産蓄財の小沢が国会を混乱に落とし入れている。本来ならばこの国会は、日本の経済再生と、アメリカ軍事に対する、評価を普天間を課題にして語らねばならぬ。日本国の国会がこのザマ。これでは、茶飲み話としても、最低の部類である。経済再建の獅子、亀井大臣はこの混乱の収拾を、寝て待つしかない。千葉法相は疾く指揮権発動をすべきではある。これは逆説的なもの言いではあるが、そうすれば、民主党の志操の低さと未熟さが、国民に知れる。政治の前進は遅遅として、遅いがこれが、民主主義の実態、致し方ない。経済再建の国会論争は、どのみち参院選が済んでも、まともな内容とは成らぬであろう。経済の本質など、このようなぼんくらには、そう易々とは見えない。20年かけて壊した日本経済、10年で再生の契機でもつかめればめっけもの。まずは茶でも飲みながら、世情認識の閾(しきい)がどの程度の値なのか、見定めてから、それからの我らの物言いとなる。程度の低い、莫迦頭に高度な政治志操を説いても、理解出来ぬのでは、書いても無駄というもの。
日本国の政治の成熟からして、鳩山政権がすぐさま「強権独裁」に陥ることは考えづらい。次の参議院選挙までこの様なことが、引き続けば民主党の退潮は避けられまい。それにしても、このような民度の低い鳩山や、小沢不動産屋の不徳のもたらした、国会混乱の責任は、ひとえに人材のいない民主党にある。
これでよいのか、日本。
日本こそが、混乱する世界の経済と、政治に光りを与えねば。戦後の混乱のもたらしたものはあまりにも根が深い。泥棒貴族はどこに隠れている? でも書いたが、民主党も基を辿れば、自民や社会党等の戦後政治の申し子で、アメリカ統治のもたらした、いい加減な利権政治の三文役者にすぎない。数百倍の物価高騰の元凶は、紙幣のメガ濫発であった。その分け前、不当なシニョリッジのもとに成立したのが、戦後政治と経済。倫理や政党人としての矜恃を求めるのが、もともと無理と言ってしまえば、あまりにも空しい。日本防衛と、アジアの解放のために命を賭けて戦った、軍人の影響力は、この大インフレと、不当な東京裁判で、大きく削がれてしまった。
鳩山由起夫氏の懲りない、極楽トンビ発言は、その血脈の杜撰さの一端を示しているのだろう。この様な程度の低い、政治の基本倫理も辨えない総理を頂く日本国の、哀れさはいたたまれないものがある。
『ねずきちの ひとりごと 』氏の記事 未来への建設http://nezu621.blog7.fc2.com/blog-entry-764.html
この中で、
『そして、ようやく第2文の「道義を重んじて、志操を堅固に保ち」という文言の実現のために力を発揮する段階に来ているのではないでしょうか。』というくだりがあります。
まさに、ねずきち氏の指摘するように、現在の日本は、その経済と政治そして科学力の余力を奮い足させて、志操高く、道議を極めて、豊かで平和な世界建設に、遅れるのではなく、真っ先に突き進むべきなのです。その様な中にあって、小沢の様な汚物政治家に頼らざるを得ない、ぼんぼん鳩山政治には、暗澹とせざるを得ない。
最期に、先帝の終戦の詔の全文を掲げて、稿を終える。
課題分類 民主主義の実態と本質
朕深ク世界ノ大勢ト帝国ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ収拾セムト欲シ茲(ここ)ニ忠良ナル爾(なんじ)臣民ニ告ク朕ハ帝国政府ヲシテ米英支蘇四国ニ対シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ抑々(そもそも)帝国臣民ノ康寧ヲ図リ万邦共栄ノ楽ヲ偕(とも)ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々(けんけん)措カサル所曩(さき)ニ米英二国ニ宣戦セル所以(ゆえん)モ亦(また)実ニ帝国ノ自存ト東亜ノ安定トヲ庶幾(しょき)スルニ出テ他国ノ主権ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固(もと)ヨリ朕カ志ニアラス然(しか)ルニ交戦已(すで)ニ四歳ヲ閲(けみ)シ朕カ陸海将兵ノ勇戦朕カ百僚有司ノ励精朕カ一億衆庶ノ奉公各々最善ヲ尽セルニ拘ラス戦局必スシモ好転セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス加之(しかのみならず)敵ハ新ニ残虐ナル爆弾ヲ使用シテ頻ニ無辜(むこ)ヲ殺傷シ惨害ノ及フ所真ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戦ヲ継続セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招来スルノミナラス延(ひい)テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ斯(かく)ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子(せきし)ヲ保シ皇祖皇宗ノ神霊ニ謝セムヤ是レ朕カ帝国政府ヲシテ共同宣言ニ応セシムルニ至レル所以ナリ
朕ハ帝国ト共ニ終始東亜ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ対シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝国臣民ニシテ戦陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃(たお)レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内(ごだい)為ニ裂ク且(かつ)戦傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念(しんねん)スル所ナリ惟フニ今後帝国ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情(ちゅうじょう)モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨(おもむ)ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス
朕ハ茲ニ国体ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚(しんい)シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ若(も)シ夫(そ)レ情ノ激スル所濫(みだり)ニ事端ヲ滋(しげ)クシ或ハ同胞排擠(はいせい)互ニ時局ヲ乱リ為ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム宜シク挙国一家子孫相伝ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ総力ヲ将来ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤(あつ)クシ志操ヲ鞏(かた)クシ誓テ国体ノ精華ヲ発揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ爾臣民其レ克(よ)ク朕カ意ヲ体セヨ御 名 御 璽
昭和二十年八月十四日
各国務大臣副署