1970年元旦、高校三年生の西脇ノンポリくんは18歳。
それから20年経った後、出版社に勤める西脇まこと氏は38歳。
1970年に過ごしたぼくたちの青春は、思い出の中にだけ存在する。
切なかです。
すごく、身につまされてしまう切なさであります。
「切ない」っていう気持ちを布にくるんできゅい~んと絞って
茶巾寿司にしちゃったよ、みたいなくらい切ないですばい。
「1970ぼくたちの青春」
この作品初見当時の私は、ノンポリくんと一緒に
高校生活に戻っちゃったわお久しぶり、みたいな
直球ストレートの現在形で鑑賞していたのだけれども、
昨夜すご~~~く久しぶりに再見したこの作品は、
現在完了形へと形を変えて、それはズドワ~ンと除夜の鐘のように
心に響いてしまった変化球ボールとなっておりました。
たぶんこの時空感覚が、杉田監督や、脚本家の松原さんの、
真に伝えたかったメッセージなのかな、
と今の私はそう思ってしまうわけで。
時間差攻撃ダブルパンチの名作でありますね。
青春という言葉で限定された時間は、
その言葉によって輝きを増すけれども、
同時にその言葉が過去に向かうとき、
それは人を少しだけ疲れさせてしまう。
大人になるということは、
子供でいることよりも多分容易いことであり、
しかし大人はもっともらしい言い訳たちを
ベルトコンベアーのように次から次へとえっさえっさと運び出して、
大人であるという状態を煩雑に確立させているのかもしれないのかな、
などと、この作品を見てぼやんと考えてしまったとですね。
「そこにあるだろう幸せ」ということを、
ぞんざいに、うやむやに、
そしてそれに無感覚になりがちになってしまっているのではないのかな、
なんて思ってしまう自分もいたりして・・・。
その前でもなく、その先でもない、
その瞬間をただ生きている、
というあの時確かに持っていたであろう絶対的な人生謳歌の美しさを、
今では意識的に忘れてしまっているのではないのだろうか、と。
分かっていることだからそれは失われることではない、
と高を括っておざなりにしている、
実は失速してしまっている人生に対する躍動感。
それは過去の記憶を呼び覚ましたときに、
明確に心に打ち込まれてくる現実感であり。
歳を取ることは決して悲しいことではないはずで、
しかしそこにどうしても感じ取ってしまう憂愁は、
歳をとってしまう、という現実への反射鏡の中に見出してしまう、
かつてあったであろう自分の姿を見て嘆息してしまう
というその行為自体にあることなのかもしれない。
しかし過去というものは、比較することによって現在を嘆くべきものではなく、
それは人の背中を前にそっと押し進めてくれる母の手のようなものであるべきで。
それは決して人の心を拘束すべきものではなく、
ましてやがんじがらめにしてしまうべきものではないとはわかっていても、
やはり人は時に思い出の波跡を行ったり来たり
ゆらゆらゆらりと揺られて揺れて、時には沖合いまで流されて
そこで心の遠洋漁業なぞをしてしまうわけで。
この作品の中での20年後の西脇氏は、
1970年を生きていたノンポリと呼ばれていた自分が
とてもとても輝いて生き生きとして見えてしまうから、
その反射鏡に映るかつての姿が、余計現在の彼に重く
のしかかってくるわけであり。
西脇氏は、そのことにもちろん気付いているのだけれど、
しかし気付いたからといってそのジレンマが消えるわけではなく、
だからこそそこに彼の悲しみの泉があるわけで。。。
あの当時は知る由も、知ろうともしなかった
「その後はあるんだ」
というどうしようもない現実に、
なんだかとても切なくやるせなくなってしまうわけでありますね。
その切なさやるせなさは、この物語の後半で、
地元の祭りの最中に繰り広げられる高校生四人組に起こった
出来事に身をおくノンポリ君が、
「祭り」が「終わりつつある」
と悟ってしまったと「思ってしまった」
その直覚に始りがあるのかもしれない。
祭りには終りがあるんだ、とその時に多分無自覚に
自分の人生に線引きをしてしまった彼の諦念が、
なんかひたすら悲しいし、
見につまされてしまうのでありますよ~。
それはなにも彼だけが察する諦念ではなく、
多分人には必ずそう感じる瞬間が、それぞれの人生の中で
意識無意識様々な現象をもって一度は起こるわけであり、
そこにこの作品のメッセージの奥深さがあるのではないのだろうか、
と、そう今なら思えるわけであり、
思えてしまうわけであり。
それを悲劇ととるのか、ノスタルジーととるのか、どうとるのかは、
それはもちろん人それぞれ千差万別であって、
ドラマや映画というのは、
小説を読むときに作家の内面を探って一旦そこに潜り込んでから
浮上し呼吸するというのではなく、
それは全面的に外へと向かって開放されている芸術であるから、
そこからどう発酵させていくのかは最初から
受けての気持ちに委ねられており、
そこにこそ映像芸術の醍醐味があるのだと
私なんぞは思っちまうわけで。
この作品は、そういった意味をもっていっても、
非常に完成度の高い名作なのだと思いますです。
だばぁ~、なんか現国の授業の宿題論文みたいな
まとまりのないわけわからんことをだらだら~と
書きつらねてしまいまったですば~い・・・。
はぁ~、高校生のノンポリ君のことを書きたかったのじゃなかったのかえ、
私ってばまったく・・・・・・。
この作品、とっても見てみたいような、でも見るのが怖いような・・・。
怖いというのは、自分の「人生の線引き」を考えてしまうのかな・・という面でです。
でも、素敵な作品なのでしょうね。
近いうちに高校生のノンポリ君のことも書いてくださいね
いやはや、私の拙い文章がプレッシャーを
与えてしまったようで、ごめんなさいです・・・。
あたしったらほんまに・・・すみません。
でもこの作品は、ほんっとに名作です。
先日見直してみて、確信しましたであります。
色々考えさせられてしまうかもしれませんが、
必ず何かを残してくれる作品でもありますです。
お勧めしますです。
今度は高校生のノンポリくんのことを、
書いてみよ~って思ってます。
コメント、ありがとうございます。
またいつでもお越しくださいませ。