月のカケラと君の声

大好きな役者さん吉岡秀隆さんのこと、
日々の出来事などを綴っています。

拝啓、ちびっ子純くん

2007年07月16日 | 杉田監督作品



子供は意外に、というかとてもリアルな人たちであります。

多分、世間体という埃・塵・泥・垢に塗れていない分、
物事を純粋ろ過して見れる人たちなのだと思われ。

子供の頃の私なんて、物事をろ過しすぎて、
例えば、その昔、都のはるみちゃんが、
「ど演歌」というゼッケンをその背に背負って、
斜め45度首曲げ角度で空中を見据えながら、
北の宿で着てはもらえぬセーターを涙こらえて編んでいた
女の人の歌を歌っていたのに対して、
「どうしてこの女の人は、毛糸及びに宿代そして労力までを無駄遣いに
しているのだろうか? ようするにこの女の人は暇なのだ。」
などと柿の種なとをボリボリ食べながら、
やけに斜に構えて紅白歌合戦を見ていたりしていたのですが、
そんな時は、横からすかさず
「そんなこと言ったら夢も涙もコブシもNHK受信料も全て水の泡でんがな。」
と父ツッコミ開始という、まったくもってのどっちゃらけ問答を
北関東の片隅で日ごと繰り返していた我が家でありました。
やれやれすったもんだの家族であります。

しかしすったもんだの家族というのは、なにも
北関東の片隅にだけ存在していたのではなく、北は北でも
でっかいど~ほっかいど~にもその形を変え色を変え
しっかと存在していたわけでありまする。

それが、

ザ・黒板家。


すったもんだ家族殿堂入り一家でありますだ。


柴又あたりでもすったもんだしていた家族がありましたが、
こちらのすったもんだは台風系でありまして、
すったもんだも喉元過ぎれば台風一過の秋晴れ、となっていた
「あっぱれリセット常備一家」でありますばい。


しかし麓郷在住の黒板家は、
も~う、
地団駄踏んじゃうくらいに、
どぉ~~~~にもこうにも、
「どすこい」
であります。

なんていうか、男衆が・・・・
出口がない。

そしてやけに蛍ちゃんが、
演歌フィルター・キャンディキャンディ。
または、演歌フィルター2・花の子ルンルン。
すなわち、
とっても、
「辛抱してます私は涙目」、
みたいないい子ちゃんであります。

ゴローさんと純君、そして
令子さんと蛍ちゃんの関係は、
同性同士という性相が色濃く出ている親子関係
なのだと思われ。

ゴローさんは、息子というより男として
純くんのことを見てしまっている面が多いから、
時には、というか、かなり頻繁に、
キーーーーーーーーーっと、
らっきょうの皮を剥いているおサルさんのようになってしまって、
「くぬぅ~こやつ情けねぇべさっ!」とついつい
「純君、火はうまく点けられるようになったんですかっ?」
と自感情バリバリモードで息子をさっぶい外に一人残したまま、
自分は蛍ちゃんとルルちゃん呼び出しルルルルル~、
となってしまっていたのかもしれない。

父としてのゴローさんは、息子の純君に厳しい。
しかし男としてのゴローさんは、男としての純君の存在に
どこかで確かに甘えてしまっているのだと思われ。

純君もゴローさんも可哀想ですばい。

子供は親の選択に従わなければ生きていけないし、
親は、子供が自分の人生とは別の人生を持っているとは
わかっているのに、しかし生きていく上で、やはり時には
子供の人生の上に自分の人生を押し付けざるをえない時もある、
という、その両サイドジレンマみたいなものが、
この黒板家の間には、強くリアルに描かれ出されていると思いますだ。



しかし拝啓、恵子ちゃん。
吉岡くんは、あまりにも、つっぱり押し出し寄りきり圧勝白星
横綱級のリアルすぎるほどリアルなちびっこ役者だったわけであり。

あんなにリアルに「子供のままの子供」として
その役を生み出していた子役はそう他にはいないと思われ。

上手い、と感心させるのではなく、
「そこにいる」という、生々しいほどの生息感を
視聴者に感じとらせてしまえる子役というのは、
私はちびっ子吉岡くんしか知らないわけであり、
彼は、一本調子の上手いと賞賛される演技で突き通す、
というのではなく、様々な、そりゃ~様々な、
純粋ろ過された「子供の」リアル感情でもって、
視聴者を時に笑わせ時に怒らせ時に同情させ常に涙させながら
グイグイ先へ先へと牽引していった、いわば
ちびっ子達人マッシャーみたいな「名役者」さん、
だったのだと思うわけで。

人工的な演技ではなく、あくまでも
天然一色な存在、とそう視聴者に信じ込ませてしまう
神業ちびっ子パワーを持っていた神童ですね、そうでございますわね~、
と、書かずにはいられないわけであり。

しかしここから始まる彼自身の葛藤を思う時、
やはりこちらも苦しくなって、酸欠状態になってしまうわけであり。

けれどもそれは、吉岡くん意外の他には、誰にも分かりえない
苦しみだったのは間違いないわけで。

だけれど、その苦しみがあってこそ、
今の吉岡くんがいるのだと思うと、
この想いはいっそう深くふか~く
心の底に潜っていってしまうわけで。

しかし拝啓、吉岡くん。
悩み悩んで苦しんで、そしてゆっくりと
等身大のまま成長していった、
そして今も成長し続けている、
そんな君がやはり大好きなわけで。


空より高く 想いは続くよ ヒデタカくん


と思わずポエムな気分となるわけで・・・。
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