やっと、ここに戻ってきた。
ー悪童丸ー 10 白蛇抄第2話
確かに姫の側を離れる鬼を見た気がしたのである。「おらぬ」「政勝殿」澄明が姫の打掛が掛けられた鴨居のほうを見上げると天上に張りつくようにして悪童丸の姿があった。その澄明の目線を追って、政勝が刀の柄に手をかけこいくちを切り掛けるのをみると、さすがの澄明も政勝を引き止める事も叶わぬと察して九字を唱え始めた。澄明にとっては政勝の命の方が大 . . . 本文を読む
主膳は今しがたも姫の顔を思い返していた。
伊勢の姫君、かなえ様におうたのは昨年である。
と、言ってももう年が明けようという冬の暮れであった。
新年を迎える日に、二十年振りの奥の間への礼賛がかなう
と、聞かされた主膳の父である総顕は主膳を伊勢に向かわせたのである。伊勢の藤村是紀が神宮の守であった事もあり、
主膳は年の瀬も押し詰まる日に藤村是紀の元に
守の礼を述べるために立ち寄った。
そ . . . 本文を読む
『かなえ様。かなえ様・・かなえ、かなえ、かなえ・・』
胸の内で恋しい姫の名を繰り返してよべば、
まるで、我が物になったような錯覚にとらわれる。
「ああ」
深いため息をつくと主膳は弓を手に持っていた。
「若さま」
近習の本多伊三郎が慌てて主膳の後を追った。
「若さま。どちらへ?どちらへ参られます?」
主膳は手に持った弓を伊三郎の前に突き出すと
「ちと、腕をならしにいってくる」
弓 . . . 本文を読む
『とんでもない本意であらせられるらしい』
が、それならばなおのことである。
「若。本意なればなおのこと・・・」
伊三郎が言葉を濁した。
本意であらばこそ好いた姫君を間違いなく
若が手中に納めさせてやりたい。
が、伊三郎が言おうとする事は、今の主膳に必要なことであろうか?
「姫様とふたりきりでおうておられるのですか?」
主膳の好意を知らせ姫君も
主膳を憎かれはと思っておらぬ仲なので . . . 本文を読む
かなえ様の手が茶筅を廻していた。
「どうぞ」
主膳の前に茶の器をが差し出されると、
主膳はほううううとためいきをついた。
「もうしわけございませぬ」
主膳のため息にかなえはわびた。
「あ、いえ」
多分、かなえは主膳がまたもや、場を頓挫した是紀に対して
ためいきをついたのだと思ったのであろう。
「そうではございませぬ」
主膳はいった。
「でも、いつも、いつも・・」
呼び立てて . . . 本文を読む
「どうなさいました?」
「いや・・・」
主膳は取り繕う言葉を捜した。
「かなえ様にも、私が迷惑なのではないかと・・」
つまり、かなえの父、是紀こそが
主膳の来訪を疎んじているのではないかと
この若者が心配しているのだとかなえは考えた。
「そんなことはありませぬ。
父はいつも、主膳殿はまだ来ぬかとよくいっておりますに。
あれほど主膳様主膳様といっておるくせに、来て下されば、
やれ . . . 本文を読む
―輿入れなされたかなえ様はほんにおうつくしい―
本多伊三郎はため息をついた。
「ほんにおうつくしい・・・・」
もう一度、伊三郎はためいきをついた。
なにひとつ申し分のない姫君である。
若がご執心なさるのも無理がない。
もう一つ言えば、若が選ぶだけのことはある。
「ほんに・・・」
お姿を垣間見たその瞬間、何もかもを得心させた。
若が、夢中になるのも無理がない。と、思った。
その若 . . . 本文を読む
海老名の胸中いかばかりであるか?
どんなにか、主人を御守りいたそうという思いにおいては
伊三郎に引けを取らぬものがあるのが海老名である。
見も知らぬ、寄る辺のないものばかりの土地に、
とついで来たかなえである。
ほんのわずかでも、かなえを軽んじられたくない。
海老名の想いの裏には、かなえが光来童子に攫われた痛みがある。
主膳様とても知る由もないことではあるが、そのことが引け目である。 . . . 本文を読む
「はい。いくひさしゅう・・・」
かなえの瞳から、落ちる物があった。
童子に誓いたてる言葉であった筈である。
童子と共に生きる筈であった。
(前世のこと・・・)
諦めることにしたはずなのである。
諦めるしかなかったのである。
父、是紀の言うとおり、己の手で運命を選び取った筈である。
だから、かなえの誓いの言葉は、主膳一筋の物でなければならない。
が、
この涙をなんとすればよい?
. . . 本文を読む
「仲のよいことであらせられる」
庭を巡る新しい夫婦の姿は愛らしい。
主膳がつきそうようにして花がほころぶ庭木をかなえに見せている。
その姿を伊三郎は見つめていた。
「この木にのぼっては・・ようしかられた」
ひともと大きな枝ぶりの木の側にくると主膳はかなえに言った。
「伊三郎さまにですか?」
「おおよ」
総顕は大様な男である。
男の子であらば、怪我のひとつもするわと笑って見ているの . . . 本文を読む
が、海老名の心労につきあたるのである。
海老名に苦労をかけさせている自分であることを
承知しているかなえであった。
「どうしました?」
かなえの顔が沈みがちに成るのである。
だからこそ、主膳は庭を歩こうと
かなえを明るい陽の下に誘いだしたのである。
「いえ・・」
「さみしゅうなられておるの」
豪奢な父の元を離れ、とついで来てからのかなえは
ひどく落ち着いて見える。
が、あの夜 . . . 本文を読む
―おや。だまってしもうた―
伊三郎は、言い過ぎたと思った。
どうこういっても、女子が身一つで、姫のためを思い
こんな見も知らぬ地に付いてきたのである。
男でもなかなか、出来る事ではない。
一族郎党に別れを告げ、長年住み慣れた土地を後にして
姫のためだけに尽くし生きる。
女ながらあっぱれなものである。
その心根を判ればこそ姫も敢えて頭を下げたのである。
伊三郎の主膳を思う気持ちがか . . . 本文を読む
だが、雌雛を見つめる海老名の瞳の中には、
伊三郎にも誰にも言えぬ不安があった。
「成りえたのであろうか?」
かなえは確かに海老名の言うとおりに破瓜の細工に応じた。
だが、かなえは主膳をうけいれたのだろうか?
確かに仲睦まじそうに見えるお二人ではある。
主膳殿は優しい御方である。
かなえが拒めば主膳は時を待つことを選ぶことであろう。
かなえもかなえで
童子との睦事の果ての懐妊を望ん . . . 本文を読む
かなえが主膳の元にとついでそろそろ三月をむかえる。
「若!!」
伊三郎は真っ先にかなえの懐妊をしらされた。
伊三郎は
「おめでとうござります」
頭を下げた。
「いや・・なに・・そうじゃの」
伊三郎の入れ知恵のおかげでもある。
主膳が照れた笑いを浮かべるのも無理が無い。
―あれほど、夜毎に通わせられる、御執心ぶりであらば―
「早くも・・父にならされますか?」
無理のないことであ . . . 本文を読む
この頃から、海老名はひどく傍若無人な態度を見せ始めた。
上臈が寄ってくると、さも気に入らないという顔を見せる。
「そちらのやり方があるのでしょうが・・・」
一言言うと、かなえに着せこませる着物一つから
「襟の開き具合が、よくない」
いちゃもんとしかいえない些細な事まで
けちをつけ海老名自らやり直すのである。
「海老名・・」
かなえがいさめようとしたとき海老名の悲しい瞳に気が付いた。 . . . 本文を読む