つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

荷物は軽い方がいいか

2019-10-16 17:15:34 | 日記
リアルに荷物運びをする場合は、もちろん軽い方が楽でいい。
では、人生や仕事における荷物(負荷)は、やはり軽い方がいいのだろうか。
ユダヤの格言にこんな言葉があるそうだ。

◆荷物を軽くしてほしいと要求するより、ひたすら自分を鍛えよ。
 問題に対処するすべを身に付けることは、ウェイトトレーニングをするのに似ている。
 なぜならば、体力と同じように精神力も鍛えれば強くなるからだ。
 ラグビーの日本代表は、技術を磨くのはもちろん、前任のHC(ヘッドコーチ)が主に体力強化を図り、
 次いで現HCが精神面を鍛えたという。
 
 問題を待ち望んでいる人はいないが、どんな人でも必ず問題に直面する場面がある。
 しかし、たとえ問題が起きても、それに対処できるだけの精神力を持っていれば、どんなピンチでも乗り越えられるものだ。
 似たような言葉で、ドイツの哲学者フリードリッヒ・ニーチェはこう言っている。
 今日は、お得な2本立てだ。

◆困難は私を破壊しない限り、私をより強くしてくれる
 困難は私たちをより強く、より賢くしてくれる。
 もちろん、それを知っているからといって、困難を乗り切るのがたやすくなるわけではない。
 しかし、この真実をしばしば思い起こすことはとても有意義なことのようだ。
 私たちがより強く、より賢くなるのには、単に困難を経験するからではなく、それを機に自分の力を最大限に発揮する
 経験を身に付けるからなのです。
 私たちは、忍耐や勇気、ユーモアのセンスを通じて、自分に秘められた底力に気づくというものなのだろう。

 日本にも、「若い時の苦労は買ってでもせよ」というのがありましたね。
 不平不満を言う前に、自分自身を磨いてどんなことにも耐えられるようになる方が、よほど有意義ということなんでしょうね。
 


ちょっと一休み

2019-10-15 23:31:32 | 旅行
仕事を一休みして遊びに行ってきました。
草津温泉です。
首都圏の方々は、珍しくないと思いますが、名古屋からはなかなか行きにくいので初の訪問です。

 〇草津温泉湯畑です
 

 〇同じく湯畑の湯滝です
 

 〇湯畑の近くの白旗源泉です、源泉にもらい湯を経験してきました、45℃で暑かった~
 

 〇西の河原です、川は強酸性で魚等の生物は住めないそうです
 

 〇㏗2.0の強酸性でも生息できるチャツボミゴケです
 

 〇同じくチャツボミゴケの穴地獄、動物が落ちると死んでしまうとか
 

 〇穴地獄の上流で、源泉が湧出しています、腕が悪くて写真がわかりにくいかも・・
 

 〇旧太子(おおし)駅
 

 〇同じく太子駅、さみしい
 

 〇太子駅、鉄鉱石の積み込みホッパーの跡、もの悲しい
 

 〇おまけです。上諏訪温泉片山館の「千人風呂」、ここは深いので立って入浴します、底は玉砂利でした
 
 

生ぬるい湯

2019-10-14 07:49:56 | 日記
何事にも熱情なき人がいる。
これを国家社会の上から見れば、酔生夢死(すいせいむし)の人間といふほかなく。
その種の人が多くなれば、すなわち国は必ず滅ぶ。
渋沢栄一「訓言集」から。

◆生ぬるい湯につかるな
 現代口語訳をすれば、こんなとこだろうか。
 何をするにも情熱を持って臨まない人々がいる。
 国家や社会からの視点から彼らを見れば、貴重な人生を無為に過ごしているとしか言いようがない。
 そんな人たちが増えれば、間違いなく国家は滅びるだろう。
 
 情熱を失った国民が増えれば、国は滅ぶ。 
 お金儲けに興味がなく、いろいろなことに欲のない人。
 かと言って、慈善や福祉にも貢献しようとしない人。
 社会には、残念ながらどんなことに関しても、まったく情熱を持っていない人がいる。
 「自分には関係ないから・・」、とでも思っているのか、一生生ぬるい湯につかっいて何もせずに、
 ただ存在しているかのような人たちです。
 
 これを「酔生夢死」(酒に酔ったように生き、夢を見るように死んでいく)と呼ぶようです。
 何もせず、のらりくらりと無駄に一生を過ごすことのようです。
 こんな人たちが増えれば、国も社会も発展するはずがありません。
 必ずいつか、衰退して滅びへの道を歩むのでしょう。

 少なくとも自分は、こういった生ぬるい湯を出て、周囲にも出ようと呼びかけていきたいものです。 
 健全な欲望や上昇志向こそが、人類の発展につながっていくと強く思います。
 何か、昨日の(不要なもの)とはまったく逆のような結論ともとれますがね。
 
 

不要なもの

2019-10-13 18:27:58 | 日記
なんとなく、おぼれげながらに感じてはいた。
人間の欲望には限りがない。
もっともっとお金も欲しいし、あれもこれも欲しい、昇進もしたい、人からもっと認められたい・・・
でも、それってきりがないし、本当にそれらが必要なのかと。
そんな疑問に、米国の社会学者エリック・ホッファーが明快な答えをくれた。

◆不要なものは・・・
 「不要なものをいくら手に入れても、けっして幸せにはなれない。」

 そうなんです。そういうことなんです。
 私たちは、常により多くのものを欲しがっている。
 より多くの所有物、より多くのお金など、それらがいくらあっても足りないと感じ、もっともっとたくさん手に入れたら、
 きっと幸せになれると思っているようだ。
 しかし、私たちはよく考えるべきですよね。
 すでに持っているものが、幸せをもたらせてくれないならば、それらをもっともっと手に入れて幸せになれるだろうか、と。

 生きていくうえで、あるいは自分の尊厳を維持するうえで、必要なことはそれほど沢山あるわけではありません。
 それ以外は、「不要なもの」と、自分自身の中で定義すればこんな楽なことはありませんよね。
 まあそんな考え方は、資本主義経済の敵になるかもしれませんが。

 ここで、不用品の山に埋もれた「ゴミ屋敷の住人」と自分を重ね合わせてみたらどうなんでしょう。
 他人から見れば不用品の山に埋もれたこの住人は、それでもあれも必要だしこれも必要、
 もっともっと必要だと主張しているそうです。
 我々は、嘲笑しているこの住人と同様の行動をとっているのかもしれませんよね。
 
 
 
 
 

たいしたことない

2019-10-12 08:26:35 | 日記
社会生活を営んでいると、時として、こんな場面がある。
ふざけんじゃない。ひどい奴だ。あいつだけは、絶対に許せない、と。
そんな時にはこんなフレーズがいいそうです。
精神科医の保坂隆さんが教えてくれた。

◆たいしたことないから、ま、いっか♪
 楽しそうに生きている人、信頼されている人ほど、こだわりが少なく、いい意味でアバウト。
 これは、自分にとって重要なこと、優先順位が高いことを常に軸として定めているから、その他のことには振り回されずに、
 自分にとって大切なことに集中できるからのようです。
 極論すれば、自分を取り巻くすべての環境は、自己選択によって変え得るのです。
 どんなに不幸な状況にさらされたとしても、その先どう行動し、どう考えるかを選ぶのは自分です。
 どんなことも、自分で選べば変えることは可能です。
 自分で選べていないと思う日々では、やらされている感が強くなり、苦しくなります。
 それに対し、自分で選ぶ人生は自由にあふれているものです。
 むろん、その結果は自己責任なのは言うまでもありませんが。
 まずは、自分の意思で行動すべきなようです。

 人生はあなたが思った通りになるのではなく、あなたが行動した結果の通りになるという訳です。
 この示唆は気持ちをすごく気楽にしてくれます。
 しかし、見方によっては、極めて厳しい指摘を含んでいます。
 自分を取り巻くすべての環境や結果は、自らに起因しており、すべては自分自身で負うべきものなのだ、と・・・・