つぶやき、遊び・仕事・日常

一日の出来事のあれこれを雑多に記録していきます

やるべきことはやった

2022-06-25 06:57:24 | 日記
この「やるべきことはやった」というのは、凡人のことです。
世のため人のために、さらなる努力を続けていただく方々はそのままでお願いします。
で、こういう気持ちになるのは、おおむね60歳とか65歳の区切りのようです。
おいらもそういった目標に向けて頑張りたいものです。

◆自分の好きなことをやってもいい人生
 人が生まれてくるのは、何かを成すためだなんてことを言う方がいる。
 その気持ちは大事なのかもしれないが、人類全員がそうだったら世の中は素晴らしいものになっていることでしょう。
 そうではなく、一般の凡人が泣いたり笑ったり、時には自慢したりがっかりしながら人生を歩んできたはずです。
 必死に働き、さらには子を成し、そして巣立っていった。
 それらを振り返ってみて、ほとんどの人はこう思うことだろう。
 ああ、おいらも随分と頑張ってきたものだ、これからは少しぐらい楽をしてもいいかな。

 その通りのようです。
 あなたたちはやるべきことをやったし、できることをやってきたのです。
 これからの人生は、もう少し「自分に」フォーカスし、今まで我慢してきたことがあれば、
 それらを解放してあげるべきです。
 実は、あなたが我慢していたお買い物や旅行や習い事は、
 それらを開放すれば、その周囲の人々の役に立つのです。
 ですから、誰憚るともなくやりたいことをやれば良いのです。
 そうです、あなたは「やるべきことはやった」からなのです。

 →おいらの心を代弁してくれたかのようです。
 

 

海洋深層水

2022-06-24 06:38:50 | 日記
海洋深層水という言葉をよく目にする。
それは、なんとなく体によさそうな感じだ。
して、その実態は一体どんなものなのだろうか。
少し深堀りしてみました。

◆光の届かない水深200メートル以深の海水のことを指す
 光の届かない海中は、窒素・リン・ケイ素などの無機栄養塩素が豊富に含まれるそうだ。
 そして、細菌類も非常に少ないため、塩分さえ抜けば飲料や化粧品として有益性が高いという。
 元々この海洋深層水の研究は、フランスの物理学者ダルソルバルが始めたらしい。
 その目的は、低温の海洋深層水を温度差による発電に利用することを狙ったものだ。
 その時点では、残念ながら成分には興味がなかったということなのだろう。
 
 日本でもこの温度差による発電研究が進められたがうまくいかず、その成分に注目した利用にかじを切ったようだ。
 どうやらこの成分は、飲料や化粧品、それに養殖などへの利用が有効のようだ。
 そして、一次産業以外に産業が乏しい高知県が、これに賭けた。
 国の補助も受け、取水した深層水を民間に無償提供する事業を始め、その産業振興に努めている。
 なんとか、無限にも近いこの資源を有効に用いていただきたいものです。
 なお、海洋深層水の容量は約13億立法キロメートルもあり、これは海水全体の約95%にもなり、
 枯渇する心配はまったくないので、どんどん活用していただきたいものだ。
 
 
 


逃れられない

2022-06-23 06:37:26 | 日記
故瀬戸内寂聴氏は、文筆家であると同時に多くの迷える民を導いた方だ。
だが氏が仏門に入ったきっかけは、不倫や三角関係等のどろどろとした行動の結果でもあったようだ。
その点のみをとらえれば、氏は何かから逃げたのかもしれません。
そんな行動にも考えはいろいろのようです。

◆世の中よ 道こそなけれ 思いいる 山の奥にも 鹿ぞ鳴くなる
 皇太后宮大夫俊成
 世の中に生きやすい場所なんてないのかね。俗性を離れて出家しても、山奥では鹿が悲し気に鳴いている。
 多くの友人・知人が出家していくのを見て、俊成自身も出家を検討するようになった。
 しかし彼は、出家したからといって、憂いや悲しみが消えるわけではないという真実に気づき、さらに迷っているようだ。

 おそらくは、出家のみによって救済されることはないのでしょう。
 だが出家してさらに仏門の道を歩む結果として、自分自身が救済され、
 さらには他の人々をも導く力がついてくるものかもしれません。
 そう考えれば、瀬戸内寂聴氏の仏門での貢献にも頷かされるものです。
 「逃れられない」のではなく、自ら「逃れる」あるいはそれらから超越することが、
 ヒトとして成長するという事なのかもしれませんね。
 そしてその意味で、出家する・仏門に入るということは、そのスタートを切るということなのかもしれませんね。

 →どうやら、逃れられないことから逃れるのは、やはり自分自身の行動の結果のようです。
 

「赤福」だけではない

2022-06-22 06:47:04 | 日記
三重県の伊勢名物の「赤福」だが、その人気ぶりは全国区と言ってもよいものだ。
お隣である愛知県民でさえ、密かに自慢をしているほど。
なので、高速道路のSAから道の駅、それにJRのキオスクでも販売している。
あまりに販路を広げたため、かって賞味期限の偽装などという事件をも起こしている。
なお、毎月一日には、朔日餅(ついたちもち)を販売し、好事家はこぞって並んで購入している。
時代に合わせて、夏になれば「赤福氷」などというものも売り出し、それはそれで人気を集めている。
赤福の販売応援のようになってしまったが、言いたいことはそうではなく、伊勢餅の数々のことなのだ。

◆お伊勢参りのお供として餅屋が繁盛した
 江戸時代のお伊勢参りは東海道を歩き、街道一の宿場町だった桑名に着く、そこには「安永餅」がある。
 さらに進めば、現在の四日市市の日永追分で東海道から参宮街道に分岐する。
 そしてここに「なが餅」がある。
 さらに進み関町には「関の戸」がある。ここまでは、長く平たい餅だ。
 中勢地域に入り津市だ、「けいらん」「伊賀餅」伊賀市、「松笠餅」多気町などが丸い餅の有名どころだ。

 南勢地域の伊勢市までくれば、餅はますます丸くなり、「二軒茶屋餅」「御福餅」「赤福餅」となるわけだ。
 これらには理由があり、餅は腹持ちが良くエネルギー源として貴重だったらしい。
 また甘いあんこは、長旅で疲れた旅人を心身ともに癒してくれたようだ。
 またお伊勢参り=一生に一度のハレの日とみなされていたため、めでたい餅はぴったりだったのだろう。
 そんなことで、参宮街道沿いにはたくさんの餅屋が隆盛したわけだ。
 そしてこれらは、現在も大半が残っています、興味のある方はこれらの餅三昧を楽しまれてはどうでしょう。
 

「お客様は神様」か「面倒な客か」

2022-06-21 06:42:22 | 日記
昭和の時代には、たしか三波春夫が「お客様は神様」とやった。
その後時代は流れ、平成~令和となった。
そして、その令和の時代では、お客様は神様ではなく、「面倒な客」にもなっているらしい。

◆どんな価値を求めますか
 今回のブログは温泉宿に絞ったおいらの主張です。
 別の主張のある方は、そのまま黙って去っていただきたいものです。
 おいらが温泉巡りをしているのは、過去に何度も記しているとおりです。
 到達するのが難しい秘湯や、稀有な足元湧出泉、化学的なPHが高い、希少な成分など、求めるものは多い。
 それらに到達した折には、強い達成感を得られるものです。
 だが、そんな達成感を否定する口コミも散見されます。

 「湯はよかったんですが、サービスがいまいちでした。」
 「施設の古さが気になりました。」
 「夕食が、仕出し屋か、まかない料理のような感じでした。」
 「清掃が行き届いてないと感じました。」
 それらの自称お客様の意見は、黙って拝聴しましょう。

 そんな自称お客様は、一泊二食で2~3万円以上の予算なのでしょうか。
 そうでなければそれは、ないものねだりというものです。
 サービスを整えるのは、客商売として当然なのですが、それでもなおそれにはコストがかかるのです。
 そのコストを負担せずして、それらを求めるのは「面倒な客」だと思います。
 ですから、皆様が求めるものを温泉の質なり、サービスなり、施設なり、清潔感なりを絞るべきです。
 そうすれば、求めるものが適正な料金で得られるはずです。
 そのすべてを求めるような「面倒な客」には、なっていただきたくないものです。