あまりに有名な、福沢諭吉の「学問のすすめ」の原文はかなり難解だ。
だが、斉藤孝先生が現代的な口語に訳してくれたので、手に取ってみた。
そこで感じたことはこう、今までの印象は錯覚だったようだ。
◆「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
この言葉は日本人のほとんどが知っていることだろう。
というか、「学問のすすめ」内のこの言葉しか知らないと言ってもよいかもしれない。
だから、いかにも諭吉が「人間の平等」を説いているかのような錯覚を覚える。
どうやら諭吉は、人間を上等(社会の役に立つ)と下等(社会にあまり役に立たない)に区別して考えているようだ。
そしてそれは、ある種の選民主義のようにも感ずる。
エリートと大衆の差異の原因が、江戸時代のような身分によるものではなく、
自身に学問を身に付けたかどうかによるという主張のようだ。
だから、エリートになりたければ学問を身につけなさいということなのだろう。
賢い人も愚かな人もいる。
貧しい人も金持ちもいる。
社会的地位の高い人も低い人もいる。
その理由ははっきりしている。
人は学ばなければ智は身につかない。
賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによる。
社会的地位が高かったり、社会での重要性の高い人ならば、
自然とその家も富み下の者から見れば手の届かない存在に見える。
それは学問を収めたかどうかにより決するもので、天が生まれつき定めた違いではない。
→ふうん そういう意味合いだったんですね。
さらに言えば、諭吉は先天的能力ではなく、簿記や計算等の実学を重視したようですね。
だが、斉藤孝先生が現代的な口語に訳してくれたので、手に取ってみた。
そこで感じたことはこう、今までの印象は錯覚だったようだ。
◆「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」
この言葉は日本人のほとんどが知っていることだろう。
というか、「学問のすすめ」内のこの言葉しか知らないと言ってもよいかもしれない。
だから、いかにも諭吉が「人間の平等」を説いているかのような錯覚を覚える。
どうやら諭吉は、人間を上等(社会の役に立つ)と下等(社会にあまり役に立たない)に区別して考えているようだ。
そしてそれは、ある種の選民主義のようにも感ずる。
エリートと大衆の差異の原因が、江戸時代のような身分によるものではなく、
自身に学問を身に付けたかどうかによるという主張のようだ。
だから、エリートになりたければ学問を身につけなさいということなのだろう。
賢い人も愚かな人もいる。
貧しい人も金持ちもいる。
社会的地位の高い人も低い人もいる。
その理由ははっきりしている。
人は学ばなければ智は身につかない。
賢い人と愚かな人との違いは、学ぶか学ばないかによる。
社会的地位が高かったり、社会での重要性の高い人ならば、
自然とその家も富み下の者から見れば手の届かない存在に見える。
それは学問を収めたかどうかにより決するもので、天が生まれつき定めた違いではない。
→ふうん そういう意味合いだったんですね。
さらに言えば、諭吉は先天的能力ではなく、簿記や計算等の実学を重視したようですね。