村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

妻の初盆

2024年08月18日 10時16分10秒 | 日記

4月に亡くなった妻の初盆を終えた。

新盆にはたくさんの方々からお参りいただき妻も喜んでいるだろうと思います。

いつも静かな我が家ですが、

遠くに住んでいる娘たちも帰省してにぎやかなお盆を過ごすことができました。

妻が亡くなってから早4か月が過ぎてしまいました。

色んな手続きに追われた時期も過ぎて気持ち的に落ち着いた気がするが、

まだまだ現実を受け止められないでいる自分もいるような気がします。

以前のように活発に活動したい気もするが、年老いた母親の事を考えるとそうもいかない。

色んな問題を解決しながら少しずつできることを広げていくしかないですね。

とりあえずはやる気を取り戻して頑張るしかない。


百箇日

2024年07月09日 09時36分52秒 | 日記

妻が逝ってから今日で百箇日

もうあの日から百日も過ぎてしまいました

そういえば

妻が身体に変調をきたしてきたのが昨年の今頃だったような気がする

父親の葬儀を終えて疲れたんだろうくらいに思っていたのに

こんなに大変なことになってしまうとは想像もできなかった

百箇日は

「卒哭忌(そっこくき)」

故人が亡くなったことを嘆き悲しむことを終わりとするという意味が込められているそうです

法要は行わずに身内で集まってお参りをした

遠くに住む娘たちも休みを利用してきてくれる

妻も喜んでくれただろう

四十九日が過ぎてから家のリフォームを行った

昨年13年前の震災で傷んだところを修繕しようと妻と相談していた時に父親の死

父親の納骨が過ぎるまでリフォームを待っていたが今度は妻の死

妻の新盆はきれいになった家で迎えてやろうとリフォームを決意

工務店さんに無理を言って、百箇日前にリフォームを終えることができた

きれいになった部屋の祭壇で妻も喜んでいるような気がする

今度は新盆

最近なかなか身体が思うように動いてくれないけど

妻のために頑張らないとね


妻の四十九日を終えて

2024年06月09日 09時32分50秒 | 日記

妻の死から早くも四十九日

親族だけで四十九日の法要を執り行いました

命日から七日ごとにそれぞれの仏様により裁判が行われ、四十九日で故人が極楽浄土に行けるか決まる日と聞きます

果たして妻は極楽浄土に行くことができただろうか

若い頃から人のために尽くしてきた人だったからきっと良い裁きを受けて極楽浄土に旅立ったと思う

そう願いたい

妻の四十九日法要の前日に妻が書いた物が届いた

「いつもありがとう」に思わず涙がながれてしまった

偶然にもこんな時に届くとは・・・・

親を亡くすことは過去を失い、配偶者を亡くすことは現実を失い、子供を亡くすことは未来を失うと聞いたことがある

まさか俺より早く妻が亡くなるとは思ってもいなかった

妻の死後いろいろな手続きを終えるほどに身体に変調をきたすことが多くなってきた

昨年9月に妻が入院して以来仕事をしながらの手続きラッシュに疲れてしまったのかも

疲労か、精神的なものなのかわからない

いろいろとやらなければならないものが多くあるが、なかなかやる気が起きなくなってしまった

妻が生きていれば怒られるかもしれない

そう思いながら少しずつではあるが気持ちを奮い立たせて頑張っている

配偶者を若くして亡くした方は身近にも多くいる

これまでこんなにも大変なことだとは思いもしなかった

いつになったらこの喪失感から抜け出すことができるだろうか

今は残された年老いた母親の面倒をみながら頑張るしかない

四十九日で喪に服してきた期間を終える日

これからは妻がいない日常の生活に慣れるように頑張ろう


妻を送った

2024年04月08日 21時13分50秒 | 日記

妻を無事に送り出すことができた。

妻を看取ってから悲しむ時間も与えられずに待ったなしにいろんなことが襲ってくる。

まずは葬儀社へ連絡して自宅への搬送依頼。

自宅へ戻るともう葬儀に向けていろんな手続き。

菩提寺に連絡して枕お経をあげていただき、ひっきりなしに訪れる弔問客の相手。

妻の友人の皆さんがたくさん妻に会いに訪れてくれた。

みなさんが号泣する姿を見ていると涙が止まらなかった。

妻がたくさんの人に慕われていたのがわかった。

友人の皆さんから妻の事をたくさん話していただきました。

夫の知らない部分もたくさん知ることができた。

訪問客が帰り毎晩静かになると妻の枕元で妻と一緒にビールを飲み、妻が美味しそうに飲む姿を思い出していた。

待ったなしに過ぎていく時間。

葬儀が終わると形のある妻の姿を見ることはできない。

毎朝の挨拶から夜寝るまで妻の顔を見続けていた。

納棺には妻が愛用していた物や好きだったものをたくさん入れてあげました。

最後まで「美味しい」と言って食べていたデコポンといちごも。

自宅からの出棺。

斎場に到着すると待ったなしに通夜が始まる。

妻のために会場がいっぱいになるくらい多くの方がご会葬くださいました。

僧侶の読経が終わっても続く焼香。

こんなにもたくさんの方々に見送っていただいた妻は幸せ者なのかもしれない。

通夜ぶるまいが終了して皆さんが帰宅すると「今夜は妻と二人にしてください」と親族も帰宅していただいた。

妻と二人で過ごす通夜。

妻と一緒にビールを飲み、線香をあげながら妻の顔を見続けて話しかけた。

妻は答えてはくれないけど「悲しい顔はしないで」と言ってるかもしれない。

常にポジティブな考えの妻。

常に明るい顔でみんなと接し続けていた妻。

結婚して以来42年間夫婦喧嘩をしたことは無かった。

走馬灯のように妻との思いでがよみがえり流れ過ぎた。

通夜の夜を二人にしてくれたみんなに感謝ですね。

朝を迎えるといよいよ最後の日。

最近では葬儀の参列者は少ない傾向があったが、妻のために通夜と葬儀に来てくれた方が多かった。

会場に空席が無いくらいご参列いただきました。

火葬場まで見送りに来てくれた友人もたくさん。

こんなにも多くの方々に親しまれていた妻は幸せ者です。

妻を看取ってから5日目。

いよいよ妻の姿とお別れかと思うと何とも言えない気持ちになってしまう。

火葬場でボタンを押した瞬間になんか気持ちが切り替わったような気がする。

これからは妻の分も頑張らなければならない。

ほんとうに軽くなって帰ってきた妻。

なんとか無事に妻を送り出すことができました。

悲しんでばかりいられないのでまだまだ残された手続きをまずは頑張らないとね。


悲しい別れ

2024年04月02日 06時40分31秒 | 日記

闘病生活を続けていた妻が昨日逝ってしまった。

危篤状態から3日目だった。

いつものように特別に面会を許可していただき朝から妻に付き添った。

妻はすでに呼びかけても目を開けてくれなかった。

「昏睡状態でも容態は安定しているのでまだまだ大丈夫ですよ」と担当医の話だったが・・・・。

午前中に安定していた容態が午後から急変してしまった。

弱弱しくなる妻の呼吸を見続けながら手を握り締めて励まし続けた。

血圧が降下し少しづつ熱があり熱かった妻の手も徐々に冷たくなっていく。

もっともっと頑張ってくれと願ったが。

願いがかなわず逝ってしまった。

苦しまずにほんとうに眠るように。

6ヶ月の闘病生活が終止符を打ってしまった。

昨年9月に入院。

色んな検査を繰り返し病名が確定したのが1か月後。

既にガンは進行しステージ4の絶望状態。

それでも全快を期待していろんな治療に耐えてくれた。

一時は治療が上手くいって退院も考えられたが再発。

最後の望みをかけて挑んだ治療もあまり効果が無かったようでした。

それでも、もうダメと言われてから3ヶ月も長生きしてくれました。

最後に長時間にわたり妻と過ごさせていただき感謝申し上げます。

妻と一緒になり42年と半年。

金婚式まで頑張ろうと言っていたのにかないませんでした。

仕事が趣味のように働き続けた妻。

仕事を辞めて老後を楽しもうと一緒にビールを飲みながら言っていたのに残念です。

半年ぶりに自宅に妻を連れ帰ることができた。

弔問客が帰り二人っきりになったら妻と一緒にビールを飲んで最後の話をした。

「俺を一人にして、俺はこれからどうするんだよ」と夜妻と一緒にいる時に呼びかけると。

「パパ」「パパ」と答えた妻の言葉が繰り返し聞こえてきそうな気がする。

ほんとうに寂しくなってしまった。

これから妻と最後の別れが待っている。

妻のためにできる限り最高の状態で送り出してやろう。