今日の広告の記事に相馬と富山の絆の記事が載ってました。
南相馬でも古くから干し柿を作っていました。
その干し柿を作るのに主に使われていたのが「富山柿」。
われわれの地域でも各家々に富山柿の木が植えられ、秋が深まってくると軒先に柿がつるされる光景があったんですよ。
年々干し柿を作る家は減ってきていましたが、我が家では正月用に毎年少し作ってましたね。
それが原発事故後は放射性セシウムを取り込みやすい柿は食べられることなく、
今では柿木を見ること自体が珍しくなってしまいました。
そんな富山柿にも南相馬と富山のつながりがあったんですね。
柿の木が無くなってしまったのでネットから頂きました。
記事をここに載せたいと思います。
秋の味覚で知る 相馬と富山の絆
秋の味覚の一つに、美味しい「柿」がありますね。
ところで、相馬地区には「富山柿」「蓮如柿」と呼ばれる柿があります。
なぜ「富山」と「蓮如」なのでしょうか?
その答えのヒントは、民謡「相馬二遍返し」にあります。
「相馬二遍返し」は天明の大飢饉で人口が減少した相馬中村藩が移民を募集した際の、
相馬のコマーシャルソングという側面を持ち、その歌詞には、
「相馬はこんなに良い所だから、相馬に住んでください」という意味を持っています。
そして、その結果として、
加賀藩の砺波地区(現在の富山県)から(浄土)真宗の門徒が相馬地区へ移住してきました。
その際に、富山から持ち込んだ柿を通称して「富山柿」、もしくは蓮如上人の名をとって「蓮如柿」と呼ぶようになりました。
柿の名前だけではなく、富山からの移住が多かったことを示すものが他にもあります。
まず、一般的に東北地区には浄土真宗の空白地帯と呼ばれていますが、相馬地区には真宗の門徒が多く見られます。
そして、その浄土真宗の寺院では、本堂の壁一面に、門徒の名を記した木の札がかけられています。
この風習は富山県の砺波地区で見受けられるものです。
相馬地区の門徒は、ともに富山から移り住んだ寺院を「親里」と呼んでおり、
そのことからも移民の歴史を感じることが出来ます。
また、先の震災の時には富山県の真宗の寺院から多くの支援を頂きました。
これもやはり、相馬と富山を結ぶ歴史的な絆の証明ですね。
来年には北陸新幹線が開業しますので、この機会に富山を訪れてはいかがでしょうか?
という記事でした。
俺の家も浄土真宗で、門徒になっているお寺でも多くのご支援を富山県の浄土真宗の寺院から頂きました。
そして、ディスクゴルフでも富山県から多くのご支援を頂いています。
ありがとうございます。
我が家も浄土真宗の門徒だから先祖は富山県からの移民なのかな?調べたことなかった。
そして、昨年は移民から何百周年(忘れたのでごめんなさい)記念だとかで、門徒で富山県を訪れています。
そう考えると富山県とのつながりは強かったんですよね。
そして、俺は今年富山県に行くことを決心しました。
予定があるからはっきりした開催日を知りたいんでけどなぁ~!!