毎朝 毎朝 目が覚めたらとBANANAさんのブログにありましたけど
本当は、今日馬事公苑にJPDGAスタッフが到着して、明日から日本選手権の準備に入ったんですよね。
今年は、桜の開花が遅いから選手の皆さんにきれいな桜を楽しんでいただいたかもしれない
今年のゴールデンウィークの馬事公苑はディスクゴルファーでにぎわっていたかも知れない
新緑のすがすがしさもきっと味わっていただけたろう
南相馬のおいしい魚や今がシーズンの山菜もおいしく味わっていただけたろう
おいしい酒も
にぎやかな語らいも
すぺて今はありません
もしかすると、明日の朝は飛び起きて馬事公苑に向かうかも知れない
でも、現実は会社で防護服きての異常な作業になってしまう
むなしさ? 悲しさ?
何にもなく虚脱感だけですよ
いつになったらこの状況から脱出できるのか?
菅さんよ教えてくださいよ!
南相馬の原町区は元気を取り戻している様な気配があるが、現実は他の被災地から取り残されたような、阻害されたようなむなしさが市民には見えないでしょうか
なんでも後回しのような 国から見離されたような気がしますよ
桜井市長 世界ではなく市民のためにがんばってくださいよ!
支援物資は避難所にはあまるほどあるのに、屋内避難している人には配布されない、配布があっても紙おむつだけだよ、って多くの人から聞いてまよ!その後は配布の打ち切りでしたからね。
昨日、6号線を通ったら六角茶屋で物資の配布をしてましたよ。定期的に配布しているみたいですね。多くの市民が来ていました。私も頂いてきましたが、米や野菜、果物、缶詰などなどいっぱい頂いてきましたよ。米も作れなくて貴重なので断りませんでした。
みんなやっぱり助かりますって言ってました。
やっぱりお金はいざというとき必用になりますから、お金がないのに自分で買って食え!はないですよ。
津波で家が流された友人は、直前に給料をほとんど引き卸し自宅に置いておいたそうです。奥さんのへそくりも全て流されたので本当にお金がないって泣いてました。
全て流されて何もないので服や身の回りのものをそろえたら限界ですよね。
さだへ
音沙汰ないから心配してました。
元気でがんばっているようで安心してます。
えいじは大変な状況ですが、世界が注目している今、がんばらなければどうしようもないですよ。
これからは社員として世間から冷たい仕打ちがあるかも知れませんが、こうなった責任は東電幹部と国の指導が間違っていたからで、社員は被害者だと思います。Y川さんもその中に入るのかな?
管理人は我々の仲間ですので、ただ身体に気をつけて安全な環境で作業出来るのを願っています。そして、無事な顔を早くみんなに見せてほしいですよ。
私の会社も警戒区域内に工場があるので復帰作業が出来ない状況ですが、非常に危険な物質を多く抱えていて、震災後放置した状態にあるので、特別維持管理業務を認められたみたいです。
私はそのメンバーに選ばれてしまいました。第2の原発事故にならないようにしなければとおもうのですが、どういう状態になっているかわからず不安です。防護服を着てがんばります。
今は、がんばるというより我慢ですよ。そして、そのときが来たら精一杯がんばりましょう!!
市からの支援物資の配給が無くなった。
今後は、
・地震・津波罹災者
・原発から20km圏内避難市民
・仮設住宅居住者
・生活困窮者
以上に限定されるらしい。
何で食品の配給がなくなったのか不思議に思ったのだが、食料品店を守るために配給をやめるように言った議員がいたらしい。そして、食品を必用としている人が大勢いるのに、食品の支援を断ったらしい。
市長よ、なに考えてんだ!!
市民の中には原発事故の影響で職を失っている人が大勢いる。職安に遅く行くとその日では対応できないほど多くの人が来ているようです。30km圏内でも職を失い失業保険で生活している人が大勢いるのに市では何を考えているのか!!
避難所ではなく個人の力で生活している人は大変なんだよ!!
桜井市長よ、大変だとは思うがもう少し末端まで市民の生活を見てから判断しろよ!!
義援金も申請してから一ヶ月もかかるようだし、原発の仮払い補償金にしたって南相馬市での説明は最後じゃないか!
農家も事業者もローンを抱えている人も本当に困っているんだよ!!
市長よがんばってくれよ!!
屋内退避が解除されたおかげで、今日から郵便配達が再開されるようです。昨日JPDGAの会員証が届いてびっくりして聞いたら今日から再開だそうです。配達されるには郵便局での手続きが必要です。
新聞配達も希望者に配達が始まりました。宅配便も再開されるようです。
スーパーでは、キクチ北町店がもうすぐ再開予定だそうです。
少しずつ正常な生活が出来るような気配が感じられるようになってきました。
「警戒区域」と「計画的避難区域」、「緊急時避難準備区域」の詳細が発表されました。
馬事公苑は、公苑南側道路を境界として南側が小高区なので「警戒区域」になります。西側は横川ダム西側が「計画的避難区域」になるようです。したがって、馬事公苑は「緊急時避難準備区域」になります。非常時に屋内避難すれば問題ない施設となります。
現在、馬事公苑は閉鎖(門は開いているかも?)されています。
開苑の見込みはありません。
馬事公苑に来てディスクゴルフを考えている方はご遠慮ください。
放射線量も平地よりやや高い状態ですが、低い数値を示していますので、原発が収束した段階で直ちに解除されると思われます。しかし、放射能を含んだ植物を処理する方法が示されていないということなので、馬事公苑の草刈等の管理は出来ないと思われます。かなり荒れ果てるとおもいますが、開苑してすぐに使用可能になるようにできるだけのことをしていきたいと思ってます。
会員の皆様のご協力をお願いいたします。
南相馬市ディスクゴルフ協会の皆様
会員のみなさん、毎日大変不安な思いのままお過ごしと思いますが、今の状態をなんとか乗り切るように頑張りましょう!!
協会では平成23年度の活動内容を次の通りとすることにしました。
1.会員の継続については、平成22年度の会員登録を継続します。
2.会費については、平成23年度の会費は徴収しません。徴収した会費については返金します。
3.事業については、馬事公苑が使用可能になった段階でマンスリーを開催します。
4.役員の改選については、総会が出来ませんので総会開催まで留任とします。
以上の内容をご理解ください。
現在、南相馬市会員の多くの方が避難から戻られています。しかし、政府の判断でまた対応が変わりつつあります。どういう状況になるかも知れませんが、今は耐えて頑張るしかありません。
南相馬市ではディスクゴルフが出来ませんが、いわき、福島、会津では出来ます。これまでは馬事公苑に来ていただきましたが、これからはしばらくの間遠征してディスクゴルフを続けましょう。
今日は馬事公苑の様子を見に行ってきました。
コースの状態は、ティーが転がっている以外震災前と変わらない状態でした。
馬事公苑の南側交差点で道路が封鎖され自衛隊と警察の検問が行われていました。馬事公苑の南側道路が20km範囲の境界と思われます。
暖かな陽気でしたので放射能を恐れない猛者がいるのではと期待しコースを見て回りましたが、誰もいなくさるがのびのびと遊んでいました。さるに占領されるのではないかと心配です。
馬事公苑はこれから一年で一番良い季節を迎えます。木々の新芽が芽生え始め早咲きの桜が咲き始めていました。
後一ヶ月で新緑のきれいな馬事公苑に全国のプレーヤーをお迎えすることになっていたのですが残念です。
季節は春を迎えていますが、早く本当の春が来るのを期待したいものです。
震災が発生してから4週間が過ぎようとしています。
地震や津波で犠牲になりました多くの方々のご冥福をお祈り申し上げます。そして、不明になられている多くの方々が早く発見されますことをお祈りしています。
津波による南相馬市沿岸の被害は想像を絶するものがあります。海岸付近では防波堤が決壊し砂浜化しているところも多く見かけます。あの家が密集していた地域が跡形も無く消滅している様子を見ると、ただ呆然とするだけで言葉も出なく悲しくなるだけです。それに追い討ちをかけるように発生した原発事故の影響で復興活動も出来なく避難を余儀なくされてしまいました。
馬事公苑のコースに被害はないと思われますが、会員がばらばらの状態ですので協会活動を行うことが出来ません。原発の問題が終息して、ばらばらになった会員の皆さんが南相馬に戻ってくるまで協会の活動を休止したいと思います。
協会会員の皆さんは全国各地にばらばらに避難されてことと思います。
避難先でディスクゴルフが出来る環境がありましたら是非地元の方と交流しながらプレーしてください。
避難所にこもらないで身体を動かしてください。少しでも身体のストレスを取り除いてリフレッシュしてください。
地元に屋内退避をしている皆さん。南相馬市にも多くの方々が復興のために戻ってきています。まだまだディスクゴルフが出来る環境にはありませんが、避難区域以外の地域では有る程度の活動をすることが出来ます。屋内にこもらないで少しでも地域のために復興活動に協力しましょう。
相馬地方復興のために力をください。
全国のディスクゴルフ愛好者の皆様
南相馬市及び福島県ディスクゴルフ協会では、皆さんが福島県でプレーできるように、何ヶ月、何年先になるかも知れませんが全力を復興していきます。
これまで同様のご支援ご協力をお願いいたします。
がんばろう福島!! がんばろう南相馬!!
大村
このブログを始めたのは2012年1月13日ですが、
震災後に「南相馬市ディスクゴルフ協会」のホームページの掲示板に書いていた記事を震災後の俺の記録としてこのブログに移しました。