村爺のなんでもいいべ

南相馬市の馬事公苑を中心に活動しているディスクゴルフの話題や南相馬の出来事や思いついたことを書いていきます。

地井武男さん死去に思う

2012年06月30日 09時22分43秒 | 日記

「ちい散歩」の地井武男さんが昨日亡くなった。死因は心不全。地井さんは2月に体調不良を訴え病院で検査を受けた。心不全を起こす恐れがあると診断されて長期休養して治療に専念してきた。最近では週刊誌でジョギングする写真が掲載されたと言われ回復していると思われたが、昨日の朝70歳で亡くなった。

心不全とは、何らかの原因で心臓の血液排出が不十分になり、全身が必要とする血液の循環量を保てなくなった症状、つまり心臓の収縮力が低下した状態をいうそうです。

私も心臓に疾患を持っているのでいつどうなるかわからない。思わず昔を思い出してしまった。

小学生の頃は健康診断でも症状は確認されませんでしたが、中学時代に激しい運動をすると心臓の動悸が激しくなり動けなくなることがあった。でも健康診断で症状が出ないので気にもしないで激しい運動を繰り返していた。

高校に入り陸上部に入部し長距離ランナーを目指した。駅伝で全国を目指している高校だったので練習は厳しかった。でもそれに耐えて練習することはできた。高校1年でハーフマラソンまで経験し記録もそれなりに良いものを残すことができた。駅伝でも1年からメンバー入りした。地元の高校駅伝予選会に向けての試走では区間新記録を出すことができた。しかし、その頃から突然走ることができなくなることがあった。原因はわからなかった。高校駅伝の予選会でそれが起こってしまった。中継所の400m手前で突然走れなくなり目の前が真っ暗になってしまった。チームは独走状態だったので歩いてもトップでタスキを渡すことができた。でも一歩も歩くことができなかった。周りに人が集まり頑張れと言われても、どこか遠くで声がする感じだった。ここで棄権することはできない。必死に踏ん張り何とか400mを歩いた。走れば1分程度の距離だが長い400mだった。何とかトップでタスキを渡すことができチームも優勝を果たすことができた。チームのみんなからは感謝されたが俺とては不甲斐無い思いでみんなに顔向けができなかった。

翌日、病院に行き心臓の診察を受けた。心電図では軽度の不整脈が見られると診断された。みんなに迷惑をかけられないのでその翌日に退部届を出した。練習にも参加しなかった。

でも自分自身の身体に納得できなくて密かに走った。やはり12分を超えると心臓の心拍数が激しくなり走れなかった。ちょっと前まで20km以上走れたのにどうして? 自分自身の身体に納得できなかった。みんなにも信用されなかった。悔しかった。何に当たればいいのかわからず荒れた。でも密かに走り続けた。俺にはこれしか残っていなかった。

これが最初の挫折だった。

高校2年になり何もしていない俺の姿を見て陸上部の顧問の先生が声をかけてきた。「跳躍や投てきだったら走ることがないからできないか」と言われた。そういえば合宿の時など遊びに長距離以外の種目を遊びでやることがあり、ハイジャンプでそこそこ飛べたのを覚えていたらしい。何もやることがないのでチャレンジすることにした。高校にはハイジャンプをやる人がいないのでセーフティマットがなかった。先生が俺のために学校と交渉して買ってくれた。それで俺は絶対にやめられない状態になってしまった。先生を裏切ることはできない。そこから必死に頑張った。みんなの走る姿を見て無性に走りたかったので短距離にもチャレンジした。心臓に負担のかからないようにぎりぎりまで鍛え続けた。高校2年の地区新人大会でハイジャンプと砲丸投げで優勝、400mで2位に入ることができた。これで何とか先生に面目が立った。でも、もともと長距離中心の陸上部なので他の選手はいなかった。したがって練習はいつも俺一人だった。高校3年になり5種競技にチャレンジすることにした。走ることができないため持久力を鍛えることはできないので筋力を徹底的に鍛えることにした。おかけで高校一番の力持ちになってしまった。インターハイ予選ではハイジャンプと砲丸、400mが1位、100mが2位で5種競技はダントツ優勝と思われたが、110mハードルでこけてしまった。なんか俺らしいな。そんなに順調にいくわけないだろうよ!!

その頃から足にしびれを感じるようになった。病院でレントゲンを撮ったら右足の膝裏に軟骨の突起が見られそれが神経を圧迫していると診断を受けた。手術が必要と言われたが、高校最後の大会である国体予選が終わってからすることにした。

国体予選はハイジャンプと400mにしぼり出場したが、県予選で敗退してしまった。

足のしびれが取れないので、その冬休みに手術を決意した。膝裏は神経が多く通っているので難しい手術になると言われたが、その当時外科では名医と言われていた先生だったのであまり不安は感じなかった。手術は全身麻酔で行われるはずだった。しかし、麻酔をかけただけで終わってしまった。麻酔をかけたら心停止を起こしてしまったのだ。そういえばなんかすごく明るいところで誰かが俺を呼んでいたような気がする。麻酔から覚めた時に親から手術はできなかったと言われた。何で? 信じられなかった。「お前は一度死んだんだよ。もうやめような」と母親に泣かれてしまった。そのまま入院して精密検査を繰り返した。今みたいにルームランナーが無い時代だから負荷心電図を取るのにはひたすら踏み台昇降運動を繰り返した。1週間かけて検査した結果が期外収縮による不整脈だった。通常の生活では問題ないが心臓に負荷がかかると期外収縮が起こるというものだった。その当時の医学では治療方法がないので、激しい運動は控えるようにということだった。またやることがなくなった。担任の先生が入院中にクラスのみんなに内容を説明したらしい。学校に行くとツッパリから「かたわ」と言われ激怒した。気づいたら思いっきりぶん殴っていたらしい。みんなに抑えられながら血だらけになった殴った相手を見ても申し訳ない気持ちは起きなかった。先生にもとがめられなかった。先生はずいぶん長いこと気にしていたらしい。申し訳ないことをしたと思っている。

それが第2の挫折だった。

運動を止められても走り続けた。ぐれてもしょうがない何かにぶつけなければならなかった。そこから俺と俺の心臓の付き合いが始まった。

心臓に欠陥があるんだからそれに相談しながらやればいいじゃん的な考えだったかもしれない。

高校を卒業しても陸上は続けた。会社に行きながら暇さえあれば走った。おかげで高校を卒業して1年目で国立競技場で走ることができた。陸上人生で一度は国立競技場で走りたいが実現したので悔いはない。それで俺の陸上人生が終わってしまった。

高校を卒業してから中学時代にやっていたバドミントンを始めたくなり友人とチームを作った。陸上は孤独なスポーツだったのでみんなでやるバドミントンは楽しかった。やっぱりのめりこんだ。何でも完璧にしなければならない性格なので必死に練習した。必死に練習すればするほど強くなってしまった。強くなれば大会で勝ち進むことになる。バドミントンは激しすぎるスポーツなので本当に不安だった。でもなんとなく自分の心臓の状態と相談しながらできるようになった。ダブルスとシングルスの2種目参加し両方決勝まで進むと約9試合になる。やはり心臓がもたなく決勝になると試合にならないことがあった。相手に負けるよりも自分の心臓に負けてしまったのだ。俺の心臓も欠陥品なのに酷使されて迷惑だったろうな。

体育指導委員を市から任命されていろいろなスポーツにも取り組んだ。その中にディスクゴルフがあった。南相馬市馬事公苑にディスクゴルフコースが設置されるとその普及活動を任されてしまった。当初は市の担当者が中心に活動するはずだったがいつしかみんな離れてしまい俺一人に押し付けられてしまった。でも、ディスクゴルフだと心臓に負担がかからず適度に運動になるので俺には向いているかもしれない。

数年前、風邪で病院に行き診察を受けると不整脈が激しいと言われそのまま病院に監禁されてしまった。回復室という看護婦が常について監視している病室で24時間心電図を取り付けられ監視された。自分の心臓の音が常に聞こえるのには参りましたね。それに周りにいる患者はみんな亡くなりそうな方ばかりだし。そんな病室に閉じ込められていたらストレスでかえって悪くなるだろうよと常に思ってた。そこに一週間監禁された挙句に何もできないと言うことで違う病院を紹介された。最初からそっちに行った方がよかったべよと怒りを感じた。紹介された病院で精密検査をうけた。思えばこれまでの30年間かなりの精密検査を受け続けてきたが、決まって結果は治療の方法がないだった。でも今回は違った。今の医学は進んでいて不整脈を起こす部分までわかると言うのだ。今まで心臓に負荷をかけると心拍数が一気に上昇し目の前が真っ暗になることがあったが、それは心臓がけいれんを起こしているつまり除細動を起こしている状態なんだと言われた。けいれんを起こすと血液の流れが止まり頭に血液が流れなくなるので失神するそうです。今まで知らなかったことがはっきり分かるようになりました。今まで通っていた病院はすべて俗にいうやぶ医者だったんですね。治療にはカテーテルを心臓に挿入して不整脈を起こしている神経を焼切る手術と薬物治療があるそうです。手術をするとすぐに治るように思われますが、神経に命中する確率は低いようで命中するまで何回も繰り返さないとならないそうです。薬物も合ったものを探すのに長期間の治療が必要ということでした。どうする?と言われたのでもう少し様子をみて悪くなってきたら治療することにした。

年と共に体が衰え心臓に負担がかかるようになってきたのかもしれない。そんなこともあって30年間続けてきたバドミントンをやめることにした。チームをまとめる立場にありちょっと申し訳なかったのでが、やはり体育館に行くとバドミントンをやりたくなってしまう。やると体に負担がかかり心臓を弱めてしまう。仕方がないのできっぱりと見切りをつけた。でも、ちょっとつらかった。

これが第3の挫折?

これまで自分の心臓のために多くの挫折を繰り返してきた。でもその挫折と戦うことで多くのものを勉強し経験できてきたと思う。なにもない人生を送るよりこれまでの50数年は俺にとって充実していたのかもしれない。

今はディスクゴルフ単独になってしまった。

それでも震災と原発事故が起こる前は、ディスクゴルフの練習をすることで適度な運動になっていた。それがあの日を境に失われてしまった。家に閉じこもることも多くなった。運動をやれないこともないがやる気がなくなってしまった。このままでは体力が失われて心臓も悪くなってしまうなと思っていたところに、地井さんの死亡がテレビに映った。なんか他人事に思えないへんな気持ちになりました。

これではダメだ動かなければ!!

あまり無理なことはできなくなってしまったが、地井さんのように早死にしないためにも自分の心臓をいたわりながら大事に生きなければ!!

頑張ろう!! 俺の心臓よ!!

 


相馬野馬追まで1か月

2012年06月29日 20時11分55秒 | 南相馬の話題

旗指物をなびかせて疾走する

騎馬武者達の熱い想いがふるさとの地を駆け抜ける

南相馬の人々の心を熱く染め上げる

相馬野馬追

じめじめとした梅雨が明け

太陽が照りつける熱い夏とともに

今年は雲雀ヶ原に帰ってくる

昨年は震災と原発事故の影響で会場が「緊急時避難準備区域」と「警戒区域」になったり、馬や武具を流された方もいて祭りそのものが中止されそうになりましたが、鎮魂と復興を旗印にしてできる範囲でやろうと相馬市を中心に開催されました。いつも南相馬市で開催される、500騎馬を超える甲冑姿の騎馬行列や甲冑競馬、神旗争奪戦は残念ながら開催されませんでした。

今年は例年通りに実施されると言うことになりましたので、7月29日は南相馬にあの賑わいが戻ってきます。

私の氏神様である相馬太田神社からも28日に騎馬武者達が戦場である雲雀ヶ原を目指して出陣します。私も震災前まで祭典係として行列のお世話をしていました。今年はここから出陣できることになりましたのでうれしいですね。

それをひまわりで盛り上げようとひまわりプロジェクトが頑張っています。ひまわりの黄色い花が咲き乱れる中を出陣していく姿は絵になるでしょうね。楽しみです。

そして雲雀ヶ原では、甲冑競馬と神旗争奪戦が繰り広げられます。

やっぱりこれがないと南相馬に暑い夏はやってこないですよね。

現在観覧席の入場券が販売されています。前売り券は800円(当日1000円)だそうです。観覧予定の方は早めに入場券をお買い求めください。ただ、南相馬市内での宿泊は難しいようです。旅館組合では福島の旅館組合に協力を求めているようです。宿泊は飯坂温泉か土湯温泉もいいですね。

7月28日(土)~30日(月)は南相馬の熱い祭りで盛り上がりましょう!!


線量計配布

2012年06月28日 22時38分04秒 | 南相馬の話題

南相馬市で放射線量の測定器が支給され、我が家でも昨日いただいてきた。

機種は、富士電機製のDOSE e (ドーズ イー)です。

ガンマ線を測定する携帯型線量計で、放射線量率(μSv/hr)と積算線量(mSv)を計測できます。俺の机の上では0.31μSv/hrでした。3月に違う機械で測った時には0.6μSv/hr位ありましたのでちょっと低いですね。セシウム134の半減期が短いので下がってきたのかな? この線量計はセシウム137を基準としているようなのでセシウム134は検知されないのかな? セシウムなんだから同じガンマ線を出しているんじゃないのかな? なんかわかんなくなってきた。でもこの線量計は低い値を示すとみんな言ってますね。

そんな中途半端な測定器を配布して市民は安心するんでしょうかね。疑問ですよ。

取扱い説明書を見ると、身の回りの放射線というものが載っていいる。

一年間に受ける自然放射線の量は世界平均、1年間で約2.4mSvと言われているそうです。

大地から約0.5mSv(500μSv)

宇宙から約0.4mSv(400μSv)

大気中のラドンから約1.2mSv(1200μSv)

食べ物から約0.3mSv(300μSv)

以上の合計で2.4mSv(2400μSv)だそうです。

国では除染を強化して1.0mSv以下を目指していると言ってますが、自然界からの放射線量が2.4mSvなのに1.0mSvなんて可能なんですかね。


農事組合研修旅行

2012年06月26日 20時23分51秒 | 旅行・温泉

日曜日は、福島市スポレクディスクゴルフ大会、地域の運動会などいろんな行事が重なってしまった。本当は福島に行きたかったけれど、地域の農家が集まった農事組合の研修旅行を優先させることにした。

これまで毎年開催していたが、昨年は震災と原発事故の影響で中止を余儀なくされた。今年も米は作れないし野菜の作付も自粛している農家が多く、農業へのモチベーションが落ち込みすぎているので、みんなで外の空気を吸って少しやる気を起こそうじゃないかと企画されました。

俺も一応農業の担い手ですので、他の地域の農業の取り組み方を勉強して今後の参考?にできればと参加を決意しました。

視察研修先は、宮城県登米(とよま)市の「もっこりウェーブ」。名前が斬新過ぎてどんな施設なのか?、どんなものを作っている施設なのか?誰に聞いてもわからなかった。すごい施設なんだろうなと期待して行きましたが、着いたところはJAの直売所でした。

なんだ直売所かよぉ~!! あのすごい期待感はなんだったんだ~!! それも南相馬にある直売所より小さいし野菜もあまりないではないか。今の南相馬市のJA直売所の方が野菜の種類も量も多いな。すごい勉強になりました。

でも、なんで「もっこり」なんだろうな? この町のあっちこっちに「もっこり」がある。肥後もっこりさんと何か関係があるのかな?でも普通に聞いたらいやらしい事を考える人が多いですよね。道の駅なんか「もっこりの里」ですよ。

恥ずかしかったけど気になったから若い?ねえちゃんに聞いてみた。

「もっこり」とは丸く盛り上がっているようなことを言うそうです。この町は南方町と言って登米町と合併し登米市南方町となったそうです。その南方町では町のキャッチフレーズとして「もっこり」を使っていたらしい。町民一人一人が「やる気」「元気」「活気」を高めることで町全体を盛り上げるような姿を表現したそうです。直売所より勉強になった。俺たちも「もっこり南相馬」になんねーとな!!

でも「肥後モッコリ」はどういう意味なんだろう?たぶんあっちの方はいやらしい意味だな?なんて思いながら「肥後モッコリ」さんの顔が頭に浮かんでしまった。これはいけないビールを飲んで早く忘れなんては!!

それで農業関係の視察研修は終わり。施設の説明はなく、若い?ねえちゃんの「もっこり」の説明だけだった。

そこから登米町の「みやぎ明治村」へ。一度は行ってみたいと思っていたのでこっちの方を期待していたのですがね。

登米町には明治時代に建築された洋風の小学校や県庁、警察署が残っていてその一帯を「みやぎの明治村」と言って整備されているようです。

まずは「観光物産センター遠山之里」へ。そこへ車を駐車し徒歩で明治村を巡ります。各施設は観覧料がかかりますのでここで観覧券を購入します。5施設共通券で大人800円(全部単独で購入すると1300円)です。

そこから隣にある「教育資料館」へ。明治21年に建てられた洋風学校建築を代表する建物で木造の2階建てです。

コの字型に造られていて真ん中の2階にバルコニーがあります。そこから校長が見張ってたんだろうな!!

館内には明治時代から各時代の教育資料が展示してあり懐かしく思いましたね。

俺たちも木造の校舎で小学時代を過ごしたことがありましたから、あの当時のものに出会うことができましたよね。給食であの脱脂粉乳のミルクを入れた容器や食器。

木造の机も懐かしかった。なんとタラちゃんの勉強した机もありましたよ。サザエさんてそんなに昔からやってた?

さすがに校長はひげを生やして威張っている。大正時代はやっぱり着物だったんだよね。そういえば俺の家も貧しかったからつぎはぎだらけの服を着ていたような気がする。

あまりにも懐かしいものがいっぱいあるので写真を撮り続けていたらバッテリーが切れてしまった。なんで充電してこねーんだよ!!

ここも震災の影響で壁が崩れているところが多くありましたね。でもあれだけの揺れに見舞われながら壁の被害だけで済んでいるんだからすごい建築ですよね。

そこから周辺の明治4年に建築された「水沢県庁記念館」。民家で今も人の住んでいる「武家屋敷」。伊達家ゆかりの文化財が保存されている「登米懐古館」を巡り終了。時間が制限されていたのでゆっくり見ることができませんでしたので今度また来たいですね。

昼食は、「伝統芸能伝承館 森舞台」と言って能舞台のある施設で名産あぶらふを使った料理を堪能しました。ちょっとヘルシーメニューですね。

そこから松島へ。

松島は観光客でにぎわっていましたね。今年の3月に行ったときには観光客が少なかったのに、この日は震災前のようなにぎわいがありました。

今回は久し振りに瑞巌寺を見学。拝観料が700円もかかるのでいつも素通りしていたが、今回は団体行動なので入場しました。約10年ぶりですね。

でも残念ながら瑞巌寺本堂は修理のため非公開でした。

本堂が非公開なので特別に庫裡と大書院が公開されていました。大書院には本堂に安置されている伊達正宗の位牌や歴代藩主の位牌、開山禅師の木造など、本来近くで見ることのできない貴重なものが間近で見ることができました。しかし藩主の位牌ってなんであんなに大きいんですかね。2m位ありますよ。その他に「陽徳院御霊屋」と言って伊達正宗と愛姫夫妻の位牌が安置されている墓堂も特別公開されている。宝物殿も教科書に載っている貴重なものを間近で見ることができるので700円は安いかもしれないですね。

なんか最近、博物館や資料館を見るのが楽しくなってきた。年なのかな? これってやばくない?

農事組合の研修が歴史を学ぶ研修旅行になってしまいました。


悪夢

2012年06月23日 22時03分34秒 | 日記

今日の今朝方悪夢を見た。

昨日仕事をしながら津波の話をしたからかもしれない。

3.11あの日津波が来る前に家に帰るかどうするか議論をした。結局、落ち着いて着替えて帰ろうと言うことになり、俺たちは倒れてしまったロッカー室の整理を始めた。その5分後に津波が襲ってきた。鉄筋コンクリートの建屋の中に全員いたので助かった。もしあの時着替えないでそのまま帰ることになったら多くの人の命が失われただろう。俺も今ここにいないかもしれない。それは幸運だったのかということがいまだに話に出る。多くの人の命が失われたが、その判断が生死を分けたと言うことは多いだろう。いまだに考えさせられる。

そういう会話があったせいか今朝方また夢を見てしまった。夢の内容はおぼろげにしかわからないが、あの日にまた戻っている。

倒れたロッカーをみんなで協力しながら元に戻しているときに津波が襲ってきた。津波は入口からどんどん入ってきた。室内の水かさが増え自分の背丈以上になってしまった。でも入口近くの階段を登らなければ2階に避難することはできない。もがきながら入口を目指すが入口から入り込んでくる海水で流されてしまう。海水はすぐに天井まで達してしまった。呼吸ができない。息を吸うことができない。苦しくて苦しくてどうしようもなくなった時にいっきに目が覚めた。どうやら夢を見ながら息をしていなかったらしい。汗びっしょりになっていた。

でも本当にあの時に無理して帰っていたらたぶん車ごと大津波に呑まれ海に流されていたでしょう。そういうことを考えていると車ごと津波に呑まれた夢を見てしまう。

そういうことを考えなければいいのかな?

毎日会社に行くときにその光景を思い出させられるので考えないのは無理かもしれない。

もう少し楽しい事ばかり考えればいいのかもしれない。

あの日を忘れさせてくれる何か楽しいことはないですかね。


ディスクゴルフ

2012年06月22日 08時00分00秒 | ディスクゴルフ

日曜日の午後からは南相馬市にある東ヶ丘公園でディスクゴルフを楽しんでいましたが、今度の日曜日24日は福島市でレクリェーション大会があるので中止します。

俺も地元の事業が重なり福島に行けなくなりました。

残念です。

福島のみなさんごめんなさい。

南相馬でディスクゴルフを楽しみたいと思っていた方は、福島市あづま総合運動公園ミニ多目的広場に行ってみてください。たぶん優しい福島の皆さんは仲間に入れてくれるはずです。

俺も7月はいろいろな事業と重なり東ヶ丘公園に行けませんので代わりに準備してくれる人を募集してます。

7月1日は大丈夫と思いますのでその時に相談しましょう。

みんなも積極的によろしくお願いしますよ!!


リラックスグッズ

2012年06月21日 19時20分45秒 | 日記

BE-PALを見ていたら無性に新しいイスが欲しくなった。

この辺りではアウトドア用のイスが買えないので福島のゼビオスポーツに行ってみることにした。

月曜日が一時帰休で会社が休みなので早い時間に出発、ゼビオスポーツには開店と同時に入店することができた。

いやぁ~ いろいろいっぱいありますね。展示してあるイスを全て試してみて迷ってやっと決めました。ついでにミニテーブルも購入。

さっそく試してみたくなりいつもの霊山に向かった。そしていつもの場所でさっそく使ってみた。

ウールリッチのリラックスチェア3800円。これすごく座り心地がいいし長時間座っていても気持ちいいよ!!

そしてテーブルはコールマンのスリム二折テーブル3800円。一人で使うにはちょうどいい大きさと高さですね。

目の前は雄大な霊山の山なみが広がる。

ここで山を眺めながらゆっくり食事&読書&昼寝。ぜいたくすぎますよね。福島は28℃位の暑さだったのにここでは涼しい風が吹いている。快適すぎですよ。

食事は質素に!! ビールはただの飾りですよ!! 間違っても飲んではいけませんよ!! 

ここでなんと3時間も過ごしてしまった!!

その後はいつものように霊山紅彩館で入浴。

会社の休業なのにこんなことしてていいのかな?


ダディーズビール

2012年06月20日 19時10分37秒 | 日記

日曜日に孫たちと一日楽しく過ごしてさびしく南相馬の自宅に帰ってきたら、娘から父の日のプレゼントが届いていた。

重い箱なので何が入っているのか楽しみに開けてみるとビール6本だった。ずいぶんと安上がりに済ませたなと思ったが、よく見てみると聞いたことがないビールだった。

箱の中に説明のチラシが入っていたので見てみると、岩手県盛岡市のベアレン醸造所というところで作られているビールだった。岩手県で有名なのは銀河ビールでちょっと高いけどおいしく飲んでいた記憶がある。今はあまり見かけないけどもうないのかな?

ベアレン醸造所は、100年以上前から使われていたドイツの設備を移設し、本場ドイツで修行した職人が一つ一つの手間を惜しまず丁寧に造り続けている醸造所だそうです。100年前から続くドイツの伝統的な製法にこだわって造り続けている地ビールなんですね。

入っていたのは、「ダディズビール」と「クラシック」の2種類。

「ダディズビール」は熟練マイスターがお父さんたちに喜んでもらえるように特別に作った「お父さんのためのビール」だそうです。「クラシック」は俗にいうラガービールで苦みとコクのバランスが良いビールだそうです。

俺が今飲んでいるのは1本100円の第3のビール「キリンのどごし生」だからちょっと高級すぎて身体になじまないかもしれないな。

飲んでみたけどやっぱり高級な味がする。第3のビールに慣れた身体では味がわかるまではちょっと6本では足りないな。でもありがたく味わいながら飲みたいと思います。「お父さんのためのビール」だから横取りされないように妻がいないときに呑むことにしよう!!

メッセージもしっかり入っていた。

みんな離ればなれになっているけど、年に一度くらいみんなで集まって楽しみたいなと酔っぱらった頭でそんなことを考えてしまいました。


訃報

2012年06月19日 18時30分59秒 | 日記

今、桃さんのブログを見たらお父さんが亡くなったと書かれていた。

桃さんのブログの記事からはもう少し長生きできると思ってましたが残念です。

桃さんには震災発生以降これまで本当に支えて頂いたのに、桃さんが本当につらく頑張っているときに俺は何もできませんでした。本当に申し訳ないと思います。亡くなられたお父さんにも、丹精込めて作ったピオーネを送っていただきました。何も安心して食べられないときに本当に涙が出るくらいおいしいものでした。

本当にありがとうございました。そして、安らかにお眠りください。心よりご冥福をお祈り申し上げます。

私の義父も癌で亡くなりましたが、やはり桃さんのお父さんのような最期を迎えました。抗がん剤の副作用で苦しみ、ガリガリにやせ細り、最後は苦痛との戦い。最期を迎える頃には強力な痛み止めでほとんど眠っている状態でした。看病していても本当につらいですよ。苦しくても何もしてやれずただ頑張れと言うことしかできないんだから。

桃さんも本当につらかったろうと思います。

長い間ご苦労様でした。

まだお父さんから引き継いだ農業がありますから休むことはできないと思いますが身体に気を付けて頑張っていただきたいと思います。頑張りやの桃さんだったらきっとお父さんに負けないピオーネと米を作ることができると思ってます。

桃さん 頑張れ!!


さくらんぼ狩り

2012年06月18日 20時25分53秒 | 日記

昨日は父の日のプレゼントに孫たちとさくらんぼ狩りしてきました。

南相馬はけっこう強めの雨が降ってましたが、山形に入ると太陽が顔を出し寒いはずが暑い一日になってしまいました。

さくらんぼはまだ時期的に早いらしく赤湯では14日から始まったと言うことです。米沢は20日からでしたね。今はまだ早い品種のもので佐藤錦は6月下旬あたりがおいしいでしょうと言ってました。

今回は赤湯の石田農園さんに行きました。入園料は、大人1200円、未就学児800円でした。

今の旬は「香夏錦」という品種で佐藤錦と高砂という品種を交配したものだそうです。大粒で果肉も厚く甘みも酸味も「佐藤錦」と変わらないような気がしますが? おいしいかったですね。佐藤錦や他の品種も食べましたがやはりまだ早いらしく甘みがありませんでした。

地元では自宅でさくらんぼを植えている方が多いらしく、近所からさくらんぼを頂けるのでさくらんぼ狩りをする人はいないそうです。孫たちも経験がないので楽しそうにもぎ取って食べていました。食べ過ぎてお腹を壊さないか心配するくらい食べましたね。料金分は元を取ったと思うくらい食べましたので満足です。

さくらんぼで満腹状態なので原減らしにバラ園でバラ祭りをやっているというのでバラ園へ。

南陽市宮内にある双松公園のバラ園です。入園料はバラ祭り期間中のみの入園料らしいですが、大人300円、小学生100円、幼児は無料でした。バラはちょっと時期が遅かったのか散り気味でしたがきれいに咲いているものも多くありました。

公園は高台にあるので山々に囲まれた市内が一望にできて最高ですね。天気が良いせいか大勢の観光客でにぎわっていました。

久し振りにきれいな花をこれでもかってくらい見て癒されましたが、日陰がないのでちょっと暑すぎましたね。でものんびり花を眺めるっていいもんですね。

暑いところできれいな花を眺めた後は、厳かな雰囲気のある熊野大社へ行きました。こちらの方は木々に囲まれているのでちょっとひんやり涼しさを感じました。

正式名称は熊野神社ですが通常は熊野大社の通称が用いられているそうです。日本三熊野の一つだそうでかなり格式の高い神社ですね。俺も日々の平安をお祈りしてきました。

この熊野大社には三羽の兎伝説があり、本殿(本宮)裏側の彫刻に三羽の兎が隠し彫されており、その三羽を全て見つけるとお金に困らず幸せになれる、願い事がかなうと言い伝えられているそうです。俺もお金に困り不幸な人生を送っているので必死に探しました。何とか1羽は見つけられましたが後はダメでした。神社の後ろで山の中なので薄暗く目の悪くなった俺には無理かもしれないな。今度行くときには双眼鏡を持っていこう。縁結びの神としても有名なようでカップルで兎を探している人も多くいましたよ。縁の薄い人は是非チャレンジしてみてください。

そこから毎度お決まりの孫たちのゲームに付き合い、早くも一日が過ぎてしまいました。今はこちらから会いにいかなければなかなか会えない状態ですが、山形に避難したおかげで山形のいろいろなものを楽しめるようになりました。しばらくは孫たちと山形の色々なものを体験したいと思います。

最後に前回残念ながら売り切れで買えなかった白いくものシュウクリームを買うことに。店に行くとシュウクリームはやはり売り切れでした。やはり早い時間でないとだめですね。でもゆめひとつというお菓子は2個だけ残っていた。ラッキー!!

カリカリのシュウではなくモチモチのシュウにカスタードクリームを詰め込んだものです。通常のシュウクリームよりかなり小ぶりですが、食感もよく中のカスタードクリームもおいしい!! これで1個94円でした。 今度は話題のシュウクリームを食うど!!