そうすけよ、聞きなさい。
意思ある行為は無駄にはならない。
一所懸命に努力したプロセスで、自分に才能がないとわかったら見極めることだ。
神様は、成功するために努力させるのではなく、本当に進むべき道を気づかせるために、試練を与えているかもしれない。
ダメのものは、ダメなんだ。苦しいことは苦しんだ。
もう後ろを振り返ることなく、新たな一歩を踏み出しなさい。
不本意な「別人」から「自分」に戻ったとき、身も心も安定をする。安堵の表情を浮かべ、安心から仕草が落ち着く。
存在意義に回帰するということだ。
変わるとは、「自分」に帰ることだ。
人は苦しみと共に自分を捨てようとする。
自分を苦しめるものから逃れるには、自分を捨て、自分から逃げ出すしかないと考える。
そうすけよ、もう一度考えてみなさい。
永遠に続く苦しみなどはない。それはやがて過ぎ去っていく。嵐が過ぎ去ったあとになにをするか。心身の力を蓄えながら考えてみなさい。
慈愛に満ちた心を持ったとき、それまでの苦しみは、人間らしい人間に生まれ変わるためのステップだったと気がつくだろう。
「一まで落ちたら、戻るのは二じゃないぞ、三をめざせ」
「己の信念を貫いて、他人に喜んでもらえ、しかも食べていける、最高の人生だ」
と、生江忘令太先生は語った。
そうすけは、酒によって、逃れている。はじめは苦しみから逃れるために、自分を殺すために、のんでいた。最近は、酒にのまれ、苦しみさえもわからなくなってしまった。
「苦しいと思えること」はピンチではあるが本当はチャンスカードがめぐってきたのだ。酒を飲んで一まで落ちたら、三をめざそう。