そうすけ漫録

そうすけの一日の型録です。

たましい その六

2008年03月20日 | た行

たましいについて知ろうとするとき、われわれはファンタジー、あるいは、神話に頼ることになる。

たましいについての神話を自分にとって納得いくものとしてつくりあげてゆくことが、ユングの言う個性化の過程(process of individuation)なのであり、それは死ぬまで続く過程なのである。


人は生まれ、ABC・・・XYZ、やがて死ぬ。

そうすけは生まれてしまった。それでも、たましいは躍動し沈滞する。鼓動は休むことなく繰り返される。身体から発せられる波動は神話を創造する。それは今を超えてゆくだろう。

そして宇宙に還るときがおとずれる。


たましい その五

2008年03月19日 | た行

たましいは、物と心の切断からもれてきたものであるだけに、人間の身体と心の終焉である「死」と深く関係するし、従って、宗教とも関連してくる。

自分の死をいかに受けとめるかについて、たましいはつねにファンタジーを送り続ける。身体と心とは、己れの死についてパースペクティブをもつことが出来ない。

このように、たましいは死と強く関連し、あいまいさをもつ故に、すべてのものがいかに明確に、明白にみえようとも、その影の部分を見る。

たましいの言葉は、従って時に非常に暗く、破壊的ですらある。

 

どうしようもない衝動が突きあがってきたら、あなたなら、どうする。


たましい その四

2008年03月12日 | た行

たましいは、イメージ、メタファー、ファンタジーなどと呼ばれている一群の心のはたらきに大きくかかわっている。

たましいは自我に対して神話をもって語りかけてくる。

たましいから伝えられる生き生きとしたイメージは、外界の模倣ではなく、それ自身独立に自律性をもって生じてくるものである。

 

「生き生きとしたイメージ」が他者に伝えられるとき、その表現は神話となる。


たましい その三

2008年03月11日 | た行

デカルトが「考える」ことを重視したのに対して、たましいは「想像する」ことを重視する。


想像こそは、たましいのはたらきであり、それを端的に体験するのは夢であろう。(中略)


夢創作の主体は自我ではない。


夢を創り出す主体をたましいであると考えてみるのである。

 

 

ここで、想像をわれわれが日常的につくり出す願望に色づけられた単純な空想と混同しないことが大切である。

真の想像は何らかの創造につながるものである。

つまり何かしら自我のあずかり知らぬものを提出する。

 河合隼雄
 

考えることの喜びを知らない者は「真の想像」することができない。
日常的に願望を刺激する情報がメディアを通じて伝えられる。肥大した自意識は現実と空想の区別が曖昧となる。
目標を実現するには具体的でなければならない。この具体的な問題を伝えなければならない。伝えることができないものは、対価を払って得たとしても満足ができない。

考えるには、どうすれば良いであろうか?

 


たましい その二

2008年03月10日 | た行

「たましい」という言葉をわれわれは明確な方法によって用いることはできない。

なぜそれはあいまいなのか。
なぜわざわざそのようなあいまいな言葉を使用するのか。

これに答えるためには、デカルトによる物と心の明確な切断について考えてみるとよい。

デカルトの切断によって、すべてのことが明確になったが、
それによって人間存在のもつ大切な何かが消え失せたのではないか。

その大切な何かがたましいであり、
デカルト的切断の明確さに対応するために、
それはあいまいでなければいけないのである。 

たましいをもし明確に定義するならば、 
それはデカルト的切断力によって、
物か心かのいずれかに還元してしまうであろう。

ヒルマンが、「たましいという言葉によって、私はまずひとつの実体ではなく、ある展開、つまり、ものごと自身ではなく、ものごとに対する見方、を意味している」と述べるとき、それはデカルト的な世界観に対抗する見方を取ることを宣言しているのである。

物と心、自と他などの明確な分割によって近代人は多くを得たが、そこに見失われたものを尊重しようとする態度を、たましいというあいまいな言葉を用いることによって明らかにしようというのである。

河合隼雄

 明確な分割によって造られた物を与えられ、快適な生活を送っているように見えるが、さらに物を欲しくなり満足ができない。欲求が満たされないとき、自分を見失う。だから欲求は少なければ社会の切断力に抵抗できる。

 

 


徹する

2008年02月28日 | た行

「どこに行っても役に立たない」
 これしかやっていけぬ
 これさえあればどこでもやっていける

 尾崎宗園

 不器用な人間は志を立てる。
 徹頭徹尾しがみつく。
 これしかないのだ。 


たましい

2008年02月27日 | た行

たましいは意図的なあいまいさをもつ。

たましいは明確な定義を嫌う。

たましいは人間の未知の要因である。
そのことによって
「意味」が可能になり、
「事象」を
人間の「経験」に変え、

それは愛においてコミュニケートされるものである。

河合隼雄


2008年01月26日 | た行


 

考えて 

   動いて

      感じる

 

知性 

   感性

       事実     

    意思

大志

 

    業 → 仁


茶のこころ

2008年01月08日 | た行

本日のお言葉

ゆがんだものの中にすなおな香りを、欠けたるものの中に全き美を見出すのが、茶の心である。

岡倉天心

よく見ればなずな花咲く垣根かな

松尾芭蕉

 


大切

2007年12月16日 | た行
そうすけは二人いません。
できることとできないことが限られてしまいます。
今年もあと僅かですね。
この年の瀬を大切にお過ごし下さい。

天使

2007年12月07日 | た行

 天使は、そこにいると、隣のぶんさんがいった。

指差したところは、ぶんさんの頭の天辺だった。

だから、おれには天使が見えないのだ、と。

なんとなく天使がいるように思えてきた。


天の使い者

2007年09月13日 | た行

● がりがりの警備員が弁当屋のショーウインドウをしばらく眺めていた。小さくうなずき、目がひらいた。「いらっしゃいませ」の声が聞こえた。

● <にょっき・ベルリン・トム>天使は人の内面の声を聞く。

● 雨の日に部屋でくつろぐ。北原みれい「懺悔の値打ちもないけれど」藤圭子「夢は夜ひらく」高橋××「雨が好き」

● 還暦までに14年あまりということに気がついた。


どりょく

2007年04月10日 | た行

そうすけよ、聞きなさい。


意思ある行為は無駄にはならない。


一所懸命に努力したプロセスで、自分に才能がないとわかったら見極めることだ。


神様は、成功するために努力させるのではなく、本当に進むべき道を気づかせるために、試練を与えているかもしれない。


ダメのものは、ダメなんだ。苦しいことは苦しんだ。


もう後ろを振り返ることなく、新たな一歩を踏み出しなさい。


不本意な「別人」から「自分」に戻ったとき、身も心も安定をする。安堵の表情を浮かべ、安心から仕草が落ち着く。



存在意義に回帰するということだ。


変わるとは、「自分」に帰ることだ。


 


人は苦しみと共に自分を捨てようとする。


自分を苦しめるものから逃れるには、自分を捨て、自分から逃げ出すしかないと考える。


そうすけよ、もう一度考えてみなさい。


永遠に続く苦しみなどはない。それはやがて過ぎ去っていく。嵐が過ぎ去ったあとになにをするか。心身の力を蓄えながら考えてみなさい。


慈愛に満ちた心を持ったとき、それまでの苦しみは、人間らしい人間に生まれ変わるためのステップだったと気がつくだろう。


 


「一まで落ちたら、戻るのは二じゃないぞ、三をめざせ」


「己の信念を貫いて、他人に喜んでもらえ、しかも食べていける、最高の人生だ」


 


 と、生江忘令太先生は語った。


 そうすけは、酒によって、逃れている。はじめは苦しみから逃れるために、自分を殺すために、のんでいた。最近は、酒にのまれ、苦しみさえもわからなくなってしまった。


 「苦しいと思えること」はピンチではあるが本当はチャンスカードがめぐってきたのだ。酒を飲んで一まで落ちたら、三をめざそう。