矢嶋武弘・Takehiroの部屋

83歳のジジイです。 日一日の命

記者クラブは特権組織ではない

2012年10月16日 15時27分33秒 | メディア

 以前、福島原発の周辺地域を「死の町」と呼んで鉢呂経産大臣がクビになったが、これはマスコミの“言葉狩り”が功を奏したのである。ここで、「死の町」発言が失言かどうかはもう論じない。再三論じてきたからだ。この発言は“客観的事実”をはっきり述べたものだと高く評価しておこう。
それよりもまず、マスコミのあり方について述べていきたい。マスコミとは「大衆伝達」のことである。伝達とは送り手と受け手がいることで成り立つが、その媒体になるのが「メディア」である。よくマスメディアと言う。普通、マスコミとはこの「マスメディア」のことを指しているのだ。
この辺のことはもう多くの人が知っているのだが、問題は媒体になるメディアがどういう性格を持ち、正しく伝えているかどうかということである。現代では新聞、テレビ、ラジオ、通信社、雑誌などがあるが、インターネットもその一つである。

前置きが長くなったが、ここで一つ問題を提起しよう。それは「記者クラブ」制度の問題だ。大方の官庁や公的機関には通常、記者クラブがある。そこに新聞、テレビ、通信社などの記者が詰めているのだが、こういう「記者クラブ」の形態が最良というわけではない。なぜなら、官庁など送り手の発表内容が直接、国民には伝わらないからだ。
大衆伝達というのは本来、送り手が“直接”受け手に伝えるのがベスト(最良)なのだ。その方が、何の介在もなくストレートに伝わるからだ。その点はインターネットが最も有効で、ホームページやメルマガなどが当たり前になってきたが、その話はまた後で触れる。
それなら何故、まだ「記者クラブ」が存在するのか。それは送り手(官庁など)にとってもメディアにとっても、極めて便利だからだ。新聞やテレビなどがある限り、送り手はそれを利用しない手はない。また、メディア側にとっても情報やニュースを次々に提供してもらえる。つまり、双方が持ちつ持たれつの関係にあるのだ。新聞やテレビなどがある限り、記者クラブはなくならないだろう。
 
問題は記者クラブの“弊害”である。あえて弊害と言ったのは、これが大衆伝達の間に「介在する」ことによって、情報やニュースが正しく伝えられているのか、つまり意図的に歪曲されたり、誤って伝わる危険性がないのかといった問題である。
記者たちも受け手である。彼らが情報やニュースを“取捨選択”するのである。そして、自らの判断でそれを伝えるのだ。そこには、どうしても恣意的な要素が入ってくる。
例えば、政治や経済などの話で、各新聞の内容が大きく異なることがある。政治面では全く逆の記事が出ることさえある。それは、“第1次受け手”の記者(新聞社)の判断によって違ってくるからだ。そうなると、“第2次受け手”である一般大衆は、読んでいる新聞によって認識が大きく変わってくるのだ。
どうも難しい話になったが、それなら記者クラブを介在せずに、われわれ一般人が直接、送り手の情報などを有りのままに知ろうとして、インターネットが最近活用されるようになった。これは良い意味での“垂れ流し”とも言える。

「垂れ流し」とは普通、悪い意味で使われる。つまり、官庁などの発表を記者たちがそのまま伝えるということだ。これを戦中の例から“大本営発表”だと皮肉ったり、そういうメディアを「御用新聞」「御用テレビ」などと批判する。しかし、当局の発表を正確に伝えていることだけは間違いない。
問題は、そういう情報を受け取るわれわれに、しっかりとした「批判精神」があるかどうかということだ。メディアが垂れ流しをしようが、意図的に情報を取捨選択しようが、受け手のわれわれに「批判精神」がなければ、ただメディアの意のままに動かされることになる。あとは受け手の問題なのだ。
新聞も読まないし、テレビも見ないという人が増えてきた。それは各人の自由だからどうでもいいが、一つだけはっきりと言っておく。それは特に新聞の場合だが、各紙とも“特徴”を出そうとしている。新聞離れが進むと余計にそうなる。
経済紙は別としても、一般紙はそれぞれ特徴を出すことによって、生き残りを賭けているのだ。保守系の新聞もあればリベラルな新聞もある。色とりどりなのだ。

最後に、新聞やテレビはしょせん「商業新聞」「商業放送」(NHKは別として)なのだ。広告主がいなければやっていけない。その点は、しっかりと認識しておく必要がある。
記者クラブの問題を先ほど話したが、そこにもし弊害があるなら、政府等はなぜインターネットをもっと活用しないのか。例えば、官房長官の発表があるなら、まずインターネットに流せば良いではないか。その方が、国民もマスコミも同時に情報を入手できるのである。記者クラブを介さなくても良い。生の情報が国民にもストレートに伝わってくるのだ。記者クラブは「特権組織」ではない。
記者クラブは猛反対するだろうが、その後で会見を開いて質問をすれば良いのだ。情報は正確に、公平に行き渡らねばならない。もう、そういう時代に入っているのではないか。


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2 コメント

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特権的場所 (矢嶋武弘)
2012-10-16 20:42:23
記者クラブは特権的場所になっているだけでなく、当局の「広報機関」に成り下がりましたね。
お互いに利用し合っているだけです。
フリージャーナリストも入れるようになりつつありますが、もちろん不十分です。
したがって、まずインターネットに流し、「知る権利」の平等を確保する所からスタートすべきでしょう。
今やそういう時代に入ったと確信します。
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Unknown (希土暁宣)
2012-10-16 19:16:04
まったく賛成です。登録された記者だけが参加できる記者クラブというのは、特権的な場所になっています。インターネットで流せば、その特権を排除することができます。また、マスメディアは、ネットで配信される以上の情報、裏づけを取らなければ、生きていけなくなります。それはいいことだと思います。
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