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うどんの研究
連載中
(13)うどん雑学
3.小麦粉の地域の食文化料理
㉘大分県
やせうま 1/2 new
『やせうま』は、お盆や「
お大師さま」と呼ばれる、
弘法大師のご正忌、3月21
日に作られていたそうです
。お大師さまの日は、道端
や辻にある弘法大師さまの
像を、床の間に移しておま
つりし、家で近所の方を接
待していたそうです。この
時は、塩味のきな粉をまぶ
した「やせうま」を、普段
より幅広くのばし、三筋ほ
どを一つに結んでおき、尋
ねて来た方に配ったそうで
す。大人も子供も何人かで
連れ立って、次から次へと
お接待をもらいに村中を歩
く、春の楽しい行事だった
ようです。 お盆の時は8月
14日に作って、仏壇に供え
たようです。盆の『やせう
ま』は、黒砂糖を混ぜた甘
いきな粉をまぶしたそうで
、現在では砂糖を使った、
甘い味が主流のようです。
(次回に続く)
ほうちょう 2/2
名前の由来は諸説あります
が、その昔、豊後のキリシ
タン大名・大友宗麟が、大
好物の鮑の腸が食べたい、
と言った際に、悪天候が続
いて不漁になり(合戦中で
、という説も有り)なかな
か鮑が手に入らず、こまっ
た家来が何か代用品を、と
小麦をこねて、アワビの腸
に見たてて差し出したら、
宗麟がそれを喜んで食べた
ため、鮑腸と呼ばれるよう
になった。と、語り継がれ
ているようです。 お盆には
、お参りに来る親族を、庶
民的なだんご汁より、ずっ
と手がかかり味も上品な、
ほうちょうで、もてなして
いたようです。
(次回に続く)
ほうちょう 1/2
ほうちょうは、お盆や来客
のときに作られていて、お
客から大変に喜ばれていた
ごちそうのひとつです。見
た感じは、まるで細めのお
うどんですが、ひとすじひ
とすじ、ひたすら手で2m
近くも伸ばして仕上げるた
め、手間のかかり方が違い
ます。
(次回に続く)
㉗香川県
打ち込み汁(うどん)
農村の日常食として、どこ
の家でも、季節の野菜をふ
んだんに使い、よく作られ
ていました。麺が太かった
り細かったりするのも、手
作りの楽しさのうち。 打ち
込みの場合は、小麦粉に塩
を入れずに練ります。野良
仕事から一足先に帰った主
婦が、手早く作る汁物のひ
とつです。打ち板も出さず
、まな板の上で切ったもの
です。
(次回に続く)
しっぽくうどん
しっぽくうどんは、吹く風
が冷たくなりはじめる、秋
口から冬にかけてのうどん
の食べ方で、讃岐の冬の代
表的な郷土料理です。 数種
類の季節の野菜を、汁とと
もに煮込む方法で、ゆでた
うどんの上から共に煮た野
菜をかけたものです。年末
には年越しそばの代わりに
食べる家庭もあります。
(次回に続く)
㉖東北
★郷土料理3品
3.里芋と焼麩入り鍋やき
(山形版いも煮のような物)
2/2
焼麩は、汁物によく合いま
すが、色々な食材と一緒に
煮るとおいしいところを全
部麩が引き受けて何よりも
美味しくなるのが焼麩なの
です。 昔祖母は、肉汁の
ことを鍋やきと言っていま
した。今で言う汁の少ない
芋煮のようなものでした。
肉は、豚であったり羊であ
ったり牛肉などは、あまり
食べられませんでした。そ
の中に煮た麩は、おいしか
った。
(次回に続く)
3.里芋と焼麩入り鍋やき
(山形版いも煮のような物)
1/2
秋になると丸切りの大根の
煮物がおいしい。温かい大
根を食べる。そしてその後
に感ずる幸せ感。古里や両
親を思い出させてくれるす
ばらしい食材です。私には
、おいしく煮えた麩もまた
そう感じさせてくれる食べ
物です。それがこの郷土料
理なのです。
(次回に続く)
2.魚(たら、棒だら)
と焼麩の煮物
祖母は、お客様がみえると
冬の魚・たらと麩を煮て、
よくご馳走したものでした
。たらをぶつ切りにしたも
のを醤油、砂糖、酒でコト
コト煮てその煮汁にやわら
かくもどした麩を水分をし
ぼって入れコトコト煮ます
。寒い冬ですので一晩置く
とその煮汁が煮こごりにな
る。その中に入っている焼
麩も煮汁がしっかりしみこ
み煮こごり状態。それを次
の朝炊きたてのご飯にのせ
るとじわっと汁がとけてそ
れがご飯によくからみなん
ともおいしい。思っただけ
でもよだれが出てきそうで
す。
(次回に続く)
Ⅰ.焼麩入りけんちん汁
秋に収穫された色々な根菜
類を油で炒め焼麩を入れて
コトコト煮、みそ仕立てに
します。残った汁は、暖め
直して翌日に食べるのが特
においしく、夜食べて次の
日の朝食べて昼には、うど
んと一緒に野菜の甘みと味
噌汁がおいしく、麩のつる
つる感がなんともいえず体
も温まり冬場の汁として最
適です。
(次回に続く)
★六田の焼麩と郷土料理
焼麩は、小麦粉から取り出
した蛋白質(グルテン)が
原料です。特に山形県東根
市六田地区の焼麩は、グル
テンに合わせる合わせ粉が
少なく、まさしく小麦の焼
き肉といったところでしょ
うか?
(次回に続く)
㉕北海道
㉘大分県
やせうま 1/2 new
『やせうま』は、お盆や「
お大師さま」と呼ばれる、
弘法大師のご正忌、3月21
日に作られていたそうです
。お大師さまの日は、道端
や辻にある弘法大師さまの
像を、床の間に移しておま
つりし、家で近所の方を接
待していたそうです。この
時は、塩味のきな粉をまぶ
した「やせうま」を、普段
より幅広くのばし、三筋ほ
どを一つに結んでおき、尋
ねて来た方に配ったそうで
す。大人も子供も何人かで
連れ立って、次から次へと
お接待をもらいに村中を歩
く、春の楽しい行事だった
ようです。 お盆の時は8月
14日に作って、仏壇に供え
たようです。盆の『やせう
ま』は、黒砂糖を混ぜた甘
いきな粉をまぶしたそうで
、現在では砂糖を使った、
甘い味が主流のようです。
(次回に続く)
ほうちょう 2/2
名前の由来は諸説あります
が、その昔、豊後のキリシ
タン大名・大友宗麟が、大
好物の鮑の腸が食べたい、
と言った際に、悪天候が続
いて不漁になり(合戦中で
、という説も有り)なかな
か鮑が手に入らず、こまっ
た家来が何か代用品を、と
小麦をこねて、アワビの腸
に見たてて差し出したら、
宗麟がそれを喜んで食べた
ため、鮑腸と呼ばれるよう
になった。と、語り継がれ
ているようです。 お盆には
、お参りに来る親族を、庶
民的なだんご汁より、ずっ
と手がかかり味も上品な、
ほうちょうで、もてなして
いたようです。
(次回に続く)
ほうちょう 1/2
ほうちょうは、お盆や来客
のときに作られていて、お
客から大変に喜ばれていた
ごちそうのひとつです。見
た感じは、まるで細めのお
うどんですが、ひとすじひ
とすじ、ひたすら手で2m
近くも伸ばして仕上げるた
め、手間のかかり方が違い
ます。
(次回に続く)
㉗香川県
打ち込み汁(うどん)
農村の日常食として、どこ
の家でも、季節の野菜をふ
んだんに使い、よく作られ
ていました。麺が太かった
り細かったりするのも、手
作りの楽しさのうち。 打ち
込みの場合は、小麦粉に塩
を入れずに練ります。野良
仕事から一足先に帰った主
婦が、手早く作る汁物のひ
とつです。打ち板も出さず
、まな板の上で切ったもの
です。
(次回に続く)
しっぽくうどん
しっぽくうどんは、吹く風
が冷たくなりはじめる、秋
口から冬にかけてのうどん
の食べ方で、讃岐の冬の代
表的な郷土料理です。 数種
類の季節の野菜を、汁とと
もに煮込む方法で、ゆでた
うどんの上から共に煮た野
菜をかけたものです。年末
には年越しそばの代わりに
食べる家庭もあります。
(次回に続く)
㉖東北
★郷土料理3品
3.里芋と焼麩入り鍋やき
(山形版いも煮のような物)
2/2
焼麩は、汁物によく合いま
すが、色々な食材と一緒に
煮るとおいしいところを全
部麩が引き受けて何よりも
美味しくなるのが焼麩なの
です。 昔祖母は、肉汁の
ことを鍋やきと言っていま
した。今で言う汁の少ない
芋煮のようなものでした。
肉は、豚であったり羊であ
ったり牛肉などは、あまり
食べられませんでした。そ
の中に煮た麩は、おいしか
った。
(次回に続く)
3.里芋と焼麩入り鍋やき
(山形版いも煮のような物)
1/2
秋になると丸切りの大根の
煮物がおいしい。温かい大
根を食べる。そしてその後
に感ずる幸せ感。古里や両
親を思い出させてくれるす
ばらしい食材です。私には
、おいしく煮えた麩もまた
そう感じさせてくれる食べ
物です。それがこの郷土料
理なのです。
(次回に続く)
2.魚(たら、棒だら)
と焼麩の煮物
祖母は、お客様がみえると
冬の魚・たらと麩を煮て、
よくご馳走したものでした
。たらをぶつ切りにしたも
のを醤油、砂糖、酒でコト
コト煮てその煮汁にやわら
かくもどした麩を水分をし
ぼって入れコトコト煮ます
。寒い冬ですので一晩置く
とその煮汁が煮こごりにな
る。その中に入っている焼
麩も煮汁がしっかりしみこ
み煮こごり状態。それを次
の朝炊きたてのご飯にのせ
るとじわっと汁がとけてそ
れがご飯によくからみなん
ともおいしい。思っただけ
でもよだれが出てきそうで
す。
(次回に続く)
Ⅰ.焼麩入りけんちん汁
秋に収穫された色々な根菜
類を油で炒め焼麩を入れて
コトコト煮、みそ仕立てに
します。残った汁は、暖め
直して翌日に食べるのが特
においしく、夜食べて次の
日の朝食べて昼には、うど
んと一緒に野菜の甘みと味
噌汁がおいしく、麩のつる
つる感がなんともいえず体
も温まり冬場の汁として最
適です。
(次回に続く)
★六田の焼麩と郷土料理
焼麩は、小麦粉から取り出
した蛋白質(グルテン)が
原料です。特に山形県東根
市六田地区の焼麩は、グル
テンに合わせる合わせ粉が
少なく、まさしく小麦の焼
き肉といったところでしょ
うか?
(次回に続く)
㉕北海道
★豆パン 2/2
家庭でパンを焼くようにな
ったのは、明治末期頃のよ
うですが、日本の食生活は
主食が米のため、家庭では
パンを焼く習慣は普及され
ていませんでした。朝食で
パン食が増え始め、1987
年に国産のホームベーカリ
ーが売られるようになり、
家庭でもパンを焼くケース
が増えてきたようです。
最近、地産地消の食材にこ
だわり、パン屋でも家庭で
も国産小麦、道産小麦を利
用したパンが多く作られる
ようになりました。
(次回に続く)
★豆パン 1/2
日本のパンの歴史では、銀
座木村屋が明治7年にあん
パンを発売して大流行して
から明治末期から大正時代
にかけて、ジャムパン、ク
リームパン、コルネ、メロ
ンパン、コッペパンなど菓
子パンが売られるようにな
りました。北海道のパン業
界歴譜『パンの明治百年史
』の中に「北海道では古く
から馬鈴薯パン、豆パンな
どの特殊パンが代用食パン
として売られてきたことも
特長の一つである。」と記
載されています。戦中から
北海道で代用食として作ら
れていた豆パンは、北海道
が豆の産地でもあったため
でもあるかと思われます。
その後は、学校給食でも豆
パンが食べられるようにな
りました。
(次回に続く)
家庭でパンを焼くようにな
ったのは、明治末期頃のよ
うですが、日本の食生活は
主食が米のため、家庭では
パンを焼く習慣は普及され
ていませんでした。朝食で
パン食が増え始め、1987
年に国産のホームベーカリ
ーが売られるようになり、
家庭でもパンを焼くケース
が増えてきたようです。
最近、地産地消の食材にこ
だわり、パン屋でも家庭で
も国産小麦、道産小麦を利
用したパンが多く作られる
ようになりました。
(次回に続く)
★豆パン 1/2
日本のパンの歴史では、銀
座木村屋が明治7年にあん
パンを発売して大流行して
から明治末期から大正時代
にかけて、ジャムパン、ク
リームパン、コルネ、メロ
ンパン、コッペパンなど菓
子パンが売られるようにな
りました。北海道のパン業
界歴譜『パンの明治百年史
』の中に「北海道では古く
から馬鈴薯パン、豆パンな
どの特殊パンが代用食パン
として売られてきたことも
特長の一つである。」と記
載されています。戦中から
北海道で代用食として作ら
れていた豆パンは、北海道
が豆の産地でもあったため
でもあるかと思われます。
その後は、学校給食でも豆
パンが食べられるようにな
りました。
(次回に続く)